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絲し心を染めて  作者: ちか
仕立て
43/49

四十三



 もうこのひと以上のひとはいません。

 これ以上のひとと出会ったとしても、私の薬指はこのひとと繋がったまま。

 そう、姿で主張する飯田橋夫妻に白の喪服の由来をきいたものたちは涙を堪えきれなかった。

 彼方は事情が事情ゆえにあまり表に出ることはせず、玄一とともに制服姿で控え室の隅に立っていた。

 飯田橋の繋がりを彼方は知らない。

 だから誰が誰というのは分からないが、ふと弔問客のひとりと目があって、咄嗟に玄一の袖をつまんだ。


「カナ?」


 玄一が不思議そうにするのに応えるより早く、弔問客が優雅な足取りで近づいてきた。まるで、上品な人形のように整った顔立ちの男は仕立てのいい喪服スーツに身を包み、まじまじと彼方を見つめた。


「お前さんが絹子さんの?」


 どう応えたものかと悩んでいると、ほかの弔問客を相手していた秀次がすっ飛んできた。


「叶さん、うちの息子がなにかっ?」


 焦った父親の様子に彼方は驚くが、叶と呼ばれたほうはそうでもないらしく「いや、いちおう挨拶でも、と思っただけだぞ」と小粋に肩を竦める。


「そ、そうですか。ですが、彼方はまだ……」

「彼方! やっぱりあののれん作ったのはお前か!」


 似たようなことが夏にもあったと思い返しながら、彼方は玄一を見上げた。玄一も難しい顔をして叶を見ている。


「久々にいいもん見たと思ってな。将来はそっちに進むのか?」

「あの……」

「ああ、自己紹介がまだだったな。

 叶四季、飯田橋絹子は叔母、飯田橋彼方とは従兄弟関係にあたるぞ。ま、交流はなかったがな。俺を産んだひとはとっくに勘当されてんだ」


 いやー、葬式のいいところは結婚式と違って招待状いらねえところだわ、と呟いた四季の真意を彼方は読めないが、顔色を青くする秀次に深く付き合うのはあまりよくない人間なのだろう、と彼方は判断するが、あとで玄一に「叶四季」は関東一帯を占める高槻会系久巳組の若頭補佐の名前だと聞いて腰を抜かした。

 なにせ、彼方の対応ときたらこれである。


「従兄弟なの?」

「おう」

「ならしいちゃんって呼んでもいい?」

「カナっ」

「彼方っ」


 保護者ふたりが切羽詰った声を出すが時は既に遅し、吐いた唾は飲めない。

 しかし、四季はけらけら笑いながら「いいぞ」とうなずいた、


「その代わり、刺繍を続けるんなら融通してくれ」


 願ってもない申し出に彼方はすぐにでも頷こうとしたが、玄一が口を塞いだ。もがもがいうが全く意味をなさない。


「まだまだひよっこですから、この話はまた今度」

「いつでも待ってるぞ。ま、期限はあるんだがな」


 一瞬だけ困った顔をするのが妙に人間臭く、彼方はこの短時間で四季を気に入っていた。


「さて、叔母上の顔でも拝見してくるか。叔父上殿、彼女は俺を産んだひとと似てるのか?」

「え、あ、きついところはよく似てたらしいけど、晩年が晩年だから綾子さんのほうがやわらかい顔だとは……」

「ふうん。じゃあ、面影くらいに期待しとくか。

 じゃあな、彼方。いい職人になれよ」


 ひらひらと手を振った四季がその場を離れた瞬間、秀次も玄一も大きなため息をついた。適うならその場で座り込んでしまいたかっただろう。


「……俺、伯母さんいたんだね」


 改めて母親のことを何も知らないと落ち込む彼方に、秀次は苦笑いしながらその茶髪頭をなでる。


「絹子のお姉さん、綾子さんっていうんだけどね。彼女は絹子が幼い頃に家を出て勘当されているんだよ。元々婚約してたのも綾子さんのほうだったけど、三つかな、年上のきれいなひとだった」


 どちらかといえば、絹子より綾子さんにお前は顔が似ているよ、と秀次はひたり、と息子の頬を撫でて挨拶の列に戻っていった。


「玄ちゃん」

「あん?」

「今日だけでたくさん知ったね」

「そうだな」


 彼方は自然と目で四季を探す。

 オーダーであろう美しい輪郭を描くスーツの四季はなんともいえない顔で遺影を眺めていた。遺影には美しくも気の強さが目じりに現れた絹子がいる。


「しいちゃんには袖先に雄獅子と雌獅子をそれぞれ刺した本羽織が似合いそうだなあ。額裏でもいいけど」

「そんな機会があればいいな。とりあえず、石摺りの忘れんなよ」


 玄一が石摺りの着物を仕立てる際は派手な額裏をいれてやる、と彼方は豪語している。それを差し置かれるのは面白くない。


「忘れてないよー」

「なら、いい」

「玄ちゃんのやきもちやき?」


 いつも通りべしっと叩こうとして、葬儀の場だと思い出し自重する玄一はため息を吐き、ふと聞こえた声にきり、と唇を噛む。


「あの子が……」

「命がけで産んだっていうのにろくに顔も……」


 事情を半端にしか知らない雀の囀りに玄一は拳を震わせたが、それをそっと押さえたのは彼方だった、


「いいの」

「カナ」

「いいんだよ、玄ちゃん」


 ほんとうではないけど、嘘でもないのだから。

 儚げな笑みで呟き、彼方は玄一を軸に腕を引っ張る。


「ほーら、お坊さんきたよ!」


 刈り上げてはいるが有髪の坊主は若かったが、声は重ねてきた経で掠れていた。

 係りの人間の「間もなく準備が整います」という声をどんな思いで彼方が聞いていたのか、玄一には計り知れない。


 間もなく別れの時間がやってくる。

 ふと気付けば四季の姿は斎場から消えていたが、誰も指摘するものはいなかった。


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