三十一
若者の一日とは早いもので、課題やら趣味やらに没頭すれば約束していた祭の日はあっという間にやってきた。
玄一は錫色の細かい絣模様の浴衣を着て白地に紫鳶色縞の帯、彼方は荒い縞模様の女郎花色の浴衣に赤朽葉色の菱形模様帯を貝口に結んでいる。色合いも風合いも対照的なふたりだが、並ぶと妙にしっくりしていた。
「財布持ったか?」
「持った! 玄ちゃんは?」
白木の千両をつっかけながら、玄一は袂から千草鼠に露草が輪のようにぽっちりと縫い切りで刺繍された財布を出して軽く振る。これは当然、彼方が刺したものだ。
「しかし、お前それよく似合うな」
上がり框に座って焼きの後丸を履く彼方の首からぶら下がるのは、色合いも鮮やかな金魚型のがま口である。ちりめん地のがま口を作ったのは文江で、今日の浴衣と彼方の雰囲気によく似合っている。
「ふふー、いいでしょー!」
「まあ、首に下げられるのはいいな。お前、下手に持ってると落としそうだ」
「そんなことねえしっ」
ぷっくりと頬を膨らませた彼方は、からん、と音をたてて玄関を出る。
「おい、それ裏ゴムついてねえから気をつけろよ。割れるぞ」
「うーい」
からんころんという音が気に入っているのだろうが、途中で下駄が割れるのは避けたいので彼方は大人しく鍵を閉める玄一を待つ。以前、彼方が家の鍵を落としかけてから、玄一は予備を持つようになった。
「んじゃ、行くか」
「しゅっぱつしんこーう!」
「テンションたけえな……」
ぱたぱた袖を無意味に振る彼方に引っ張られながら、玄一は「金魚みてえ」と呟く。
「金魚?」
「色とかがな」
「ふうん……あ、金魚の絵の周りに水草とか金魚鉢の刺繍ってどう思う?」
「お前また……額向きだな」
「そーそー、十五センチ角くらいでさー」
思いつきに機嫌が良くなったのか、彼方はぐるぐると玄一の周りを歩き回りながらあれこれ話し出す。
「おい、転ぶぞ」
「だいじょーぶだいじょーうおっ」
大丈夫ではなかったようで、見事足を縺れさせた彼方を玄一は慌てて支える。
「なんか社交ダンスでありそう!」
「いいからとっとと体勢整えろ、クソカナ」
「ういっす」
祭に向かうひとが多いのか、通り過ぎた浴衣姿の女性数人にくすくす笑われて玄一はぎっちりと眉間に皺を寄せ、体を立て直した彼方の頭を引っ叩く。
「いだいっ」
「少しは落ち着きを持て」
「へーい……」
多少しょぼくれながら彼方は玄一の横をゆったりと歩きだす。
中央公園が近くなるとスピーカーから流される音頭が聴こえてきて、祭の賑やかさが伺えた。
まだほんのりと明るいが、じきに太陽は沈みきる。生温い風に首を撫でられながら玄一と彼方は宗司たちと待ち合わせしている公園入り口へ向かう。
さすがにひとの出入りが多いと分かり辛かったが、観察眼の良い彼方はぽっちゃりとした宗司を見つけて大きく手を振った。
「いたいた!」
「あ? どこだ」
「あそこ、百日紅の脇」
「あー……あ、見つけたわ」
彼方が指すほうに目を凝らした玄一も宗司と駿を見つけて、心持ち早足で向かう。
「あ、やっほー」
「終業式ぶり」
灰色の甚平を着た宗司が配られているらしい団扇を振り、薄花色の作務衣を着た駿が微かに微笑む。
最後に会ってからそれほど日が経っていないものの、妙に久しぶりのような気持ちになるのはほぼ毎日顔を合わせていたからだろうか。
「ね、ね、二人とも後ろ見せて!」
「へ?」
「あ?」
挨拶もそこそこに興奮した様子で言う宗司に怪訝な顔をするふたりの背後、ぐるっと周った駿が「あれ?」とおかしそうに首を傾げた。
「な、なにっ」
彼方がばっと振り返っても駿は首を傾げていて、宗司に向かって「ないよ」と言う。
「おい、お前らいったいなんなんだ……」
「えっと、彼方なら加賀紋でも刺してるんじゃないかなーって」
玄一もだが、それ以上に彼方が呆れた顔をする。
「……浴衣にそれはねーし」
「彼方ならやっても不思議じゃないよ」
「どんな信頼だ……」
「浴衣はシンプルなほうが好きなんですー! でなきゃ生成りの麻に墨絵で曼珠沙華とか」
「うっわ、大胆」
「シンプルって言った口で」
「墓参りくらいには着れるか?」
「帯次第じゃない? ただ、紫とかの色無地で弔事行ったらなんか言われる世の中だし、白の喪服も知ってるひと少ないからやめた方が無難だろうけど」
「ミニスカやらへそ出しの連中以上にあれこれ煩くなるのはどういう道理なんだかな」
「文化伝承が薄れて自分の知識が正しいって連中が多くなったんでしょ」
染物屋と和裁師の息子がそれぞれ舌打ちした瞬間、スピーカーが一瞬甲高い音をたてて別の曲に切り替わる。
「……行こっか」
一瞬呆けた宗司が促すのに「あーい」と彼方が頷き、玄一の袖を引く。
「おい、引っ張るな」
「引っ張ってないですー、玄ちゃんの迷子防止ですー」
「迷子になるとしたらお前だろ……」
ため息吐きつつ袖を取り返さない玄一に、後ろから宗司と駿が「引率大変ですねー」とくすくす笑った。
「お前ら……」
一発くれてやろうかと後ろを振り返りかけた玄一は「玄ちゃんわた飴! わた飴がある!」とはしゃぎ出した彼方に引っ張られ、慌てて彼方に並んで歩き出す。
大きくなった笑い声は祭囃子のなかでもしっかりと耳に届き「後で覚えてろ」と玄一は歯噛みした。




