二十六
玄一としては湿布のひとつも貼ればあとは放置して問題ない怪我も、暴力慣れしていない彼方にとっては重傷の範囲らしい。もっとも、それが腕という彼方の趣味を思えば重要な部分だからというのもあるだろうが、風呂上りにうっかり半裸で居間に出てくるんじゃなかった、と騒ぐ彼方を前に玄一は後悔する。
「ま、ままま真っ青ですよ玄ちゃあああんっ?」
「あー、ぶつけたもんで……」
「嘘おっしゃいっ、いま嘘をつきましたでしょう、あなた!」
「いや、はい、うん」
「んもーっ、んもーっ」
いかにも「ぷんすか!」という言動をとるくせに、彼方の顔は半泣きで、家のなかをばたばた走り回りながら救急箱と、冷蔵庫から出したての湿布を持ってくる。
「おい、その包帯どうする気だ」
「湿布ってべろっと剥がれるじゃん。上から巻き巻きするんですよこのおばかっ」
「誰が馬鹿だ、この野郎」
べしっと彼方の頭を叩いてやるが、彼方は包帯を取り出す手をとめず「ひやっとしますよ」という一言を添える間もなく、玄一の腕に大きな湿布を貼り付けた。
「つべてっ」
「ふふん、数ヶ月以上冷蔵庫で冷やされてるもんね」
「それ、効くのか?」
「え、湿布って賞味期限あるの?」
「賞味期限はないだろうが、使用期限はあるだろ。たぶん」
「……つーんとする?」
「あー、どうだかな……冷たくてよく分かんね」
「そっか」と少ししょんぼりした彼方だが、すぐに手を叩く。
「大丈夫、俺、祖母ちゃんから小麦粉練った膏薬の作り方教わってるから!」
祖母に育てられた彼方は、妙なところでおばあちゃんの知恵袋を携えている。
「……ああ、うん。多分大丈夫だわ」
「そ? んじゃ、包帯まきまーす」
「いや、三角巾とかでいんじゃね? 新しいのおろすことねえだろ」
袋に入ったままの包帯を開けようとした彼方は、素直にそれを救急箱へ戻し、三角巾を取り出す。
「湿布押さえるだけなら、たしかにこっちでいっか。それに腕って三角巾のがずれないらしいね。へい、玄ちゃん腕出してっ」
「はいはい」
「はいは一回!」
「はい」
浅く焼けた肌に湿布が目立つ玄一の腕に、彼方は薄桃色の三角巾を巻いていく。
玄一は自分の腕に比べて妙に生っ白い彼方の手を見て、少しだけ不思議な気分になる。
彼方はこんな暴力で怪我をしたことはないだろう。外を駆け回るより、室内で刺繍に没頭するのが好きで、体はひょろりと細いところがある。髪の色も明るく、前髪をぼんぼんで留めているところがおかしくも愛嬌があり、よくよく見れば長い睫やら、つん、と尖ってあひる口にも見える唇など、玄一と対照的な部分の多いこと。
刺繍という繋がりがなければ、玄一と彼方は交差することもなく、ただお互いの世界に真っ直ぐ目を向けたまま、お互いを見やることもなく、平行線を行ったのだろう。
けれども今、ふたりの人生は交差し、ぴたりとお互いが嵌り合う。
「玄ちゃん、案外ピンク似合うねー」
「あんまり嬉しくねえな」
「いいじゃん、今度お揃いでピンクのTシャツでも着ようぜ!」
それは、なんとも滑稽な図なのだろう。
玄一はピンクのTシャツを着て並ぶ自分達のでこぼこぶりを想像し、頭が痛そうな顔をする。
にしし、と笑う彼方は三角巾を巻き終えた玄一の腕をそっと撫で、ほっと息をつく。
「痛い?」
「痛くない」
「あんまり喧嘩しないでね」
「俺から売るなんて滅多にねえよ」
ない、とはいえないのは、今回が先手必勝だったからなのだが、そんなこと、彼方は知らない。知ったとすれば、今度こそぴーぴー泣いたかもしれない。
「で、調子としてはどうなんだ?」
話を逸らしたくて玄一が言えば、彼方は「順調は順調」と答える。
「この調子なら余裕があると思う」
「そうか。碓井たちに伝えておくが、無理はするなよ?」
「あい」
「ああ、そうだ。明日辺りまた経過見たいらしいが」
「あいあい、結構進んだから、それなりに見応えあるんじゃないかな」
「じゃ、その次は完成したときでいいか」
彼方が頷くのを確認した玄一は、不意にくしゃみを一つして、そばに丸めていたシャツに手を伸ばす。気付けば少し体が冷えていた。
「寒い?」
「着てなけりゃな」
「風邪ひかないでね。ひいたら看病するね」
「……カナの看病っていうとケツに葱さされそうな気がすんだよな……」
ぼそり、と落ちた玄一の言葉を拾った彼方は、にんまりと悪戯っぽい顔をする。
「んー? して欲しいならするよー? 俺が祖母ちゃんに教わったのは炙った葱首に巻くのだけど、玄ちゃんがお願いするならがんばいったあっ」
「アホなこと言ってんな。あと葱巻くくらいなら胡瓜刻んだの巻いてくれ」
「……梅干乗せてやる」
「なんか言ったか、クソカナ」
「べーつーにー」
信用ならない彼方の口調にじっとりした目を向ける玄一だが、へたくそな口笛を吹いてそっぽを向く彼方を追求するのも馬鹿馬鹿しく、ため息ひとつ吐いて立ち上がる。
「布団用意してくる。お前は作業まだやるんだろ」
「うい」
「救急箱は片付けとくから、行ってこい」
「あーい!」
「ブーン」と飛行機を真似て両腕を広げながら駆け出した彼方に「あいつは何歳児だ……」と肩を落とし、玄一はもう一つくしゃみをしてから救急箱を持ち上げた。




