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絲し心を染めて  作者: ちか
織り
21/49

二十一

 秋田徹は機嫌がいい。

 息子である玄一にしっかりと遺伝させたしかめっ面を僅かに緩め、ニヤリと笑ってひどくあくどい人相になってしまうほど、機嫌がいい。

 それというのも嫁に顔立ちは似ているくせに、中身が自分そっくりなせいで可愛げのない玄一が、えらくかわいい友人を家に連れるようになったからだ。

 どうにもこうにも社交性や協調性、仲間意識などを嫁の腹に忘れてきたとしか思えない玄一が、それはもう大事にしている友人、彼方は、徹の目から見てもかわいい。

 どうかわいいかと言われれば、徹を知る人間が見れば卒倒してしまいそうな勢いで「うちの子になれよお!」と説得したくなるほどにかわいい。彼方をつれてきた時点で玄一は親孝行を完遂した。あとはどこにでも行け、そういう話だ。

 玄一はよそ様の家の子を猫かわいがりする徹に呆れているようだが、御家事情が複雑らしい彼方に「父親」と「母親」が我が子のように接すること自体には不満はなく、むしろ推奨しているふしがある。


「あの馬鹿息子がなあ」


 彼方に関してはいっそ盲目といってもいい玄一の姿を思い返し、徹は顎を撫でる。

 徹も見たが、彼方の刺繍は原石だ。我流の部分もあるが、然るべき知識や技術を学べば、きっと名の知れる職人になるだろう。

 その彼方の使う糸を手がけたいがために、興味を示さなかった家業を振り返った玄一。

 徹も文江も、自分たちの代で終わってもかまわなかった。需要と供給が安定しない時代、同業者の何人が辞めていっただろう。だからこそ、必要とするひとは、必死になってやってくるのだが、そんな人々のために、という思いだけでは腹を満たせない。

 テレビの向こう、煌びやかな着物が賞賛される。しかし、それを作るまでに携わった人間が映されることはない。

 目が飛び出るような値がつく着物はしかし、決して製作者たちが手にする日はこない。

 昔、酒の席で知り合いのレース織りの職人が、形容するのも難しい顔で話していた。


「秋田さん、この前ね、会ったんです」

「誰に」

「私の織ったやつで仕立てた服を着ていたひと」


 遠目からでもすぐに分かった。

 あれは私が織ったもの、私が作ったもの。


「思わず駆け寄ってね、話しかけてしまいました」

「そうか」

「私は、ずっと気になっていた。あのレースを織っていたときも。

『これを買う人は、着る人は、いったいどんなひとなんだろう』って」


 それは、文江も言っていたことを、徹は思い出す。


「有名な神社だったから、観光できていたのかな。でも、特別気負ったところもなくて、当たり前に着ていて……ああいう人たちが着るんですねえ」


 遠くを見るような目をした職人は、徹が無言で猪口に注ぐのに礼をいい、舐めるよう酒を飲んだ。


「そのひとね、最初は面食らった顔してたけど、頭下げてね『ありがとうございます』って言ったんです。素敵なものを、ありがとうって……」


 職人の目尻に光ったものが、どこからこみ上げたものか、徹には分からない。職人自身にも、きっと分からなかった。

 うれしくないわけではなかった。それは間違いない。けれども、うれしいだけでも、ないのだ。

 例えば、検針を済ませた筈の着物や帯から針が見つかったとき、それを「やっかまれた」と表現するひとがいる。そういうひとは、知っているのだ。自分が着る着物たちは、決して作り手が着れないことを。針を刺しながら、羨まれていることを、妬まれていることを。

 機械では敵わない人間の手がある。機械にはない感情が人間にはある。経糸と横糸が交差して布が織り成されるように、作り手たちの思いと手が作品を作っていく。


「盲目に進めるような道じゃねえんだぞ、馬鹿息子」


 それでも、その背を押したくなるのは親の性か。

 玄一に、まして彼方に頼まれたわけではないが、徹は知り合いにそれとなく刺繍職人を訊ねていた。

 専門学校に行っただけでは、足りない部分もあるだろう。卒業してすぐ独り立ち、というわけにもいくまい。

 幸いにも現代にはインターネットが普及していて、個人営業でやるにはそれほど手間もない。しかし、彼方はそれで満足しない。玄一も満足しない。そのためには、専門のツテがいくらあってもいい。

 徹ががしがしと頭を掻きながら、まるで過保護な馬鹿親のようだと顔を顰める。


「あなた」

「あ?」


 自室で思いに耽っていた徹は、文江の声に戸口を振り返る。

 普段はまとめている髪を下ろした文江が、いくら似ていても玄一では絶対にできないような笑顔でスケッチブックを掲げてみせる。


「かなちゃんが置いていったの。見てもいいんですって」


 徹のそばに寄り、文江はページを捲る。その指先はお世辞にもきれいとは言いがたい。


「ああ、学祭だったかなんだったかでやるんだよな」

「そう。その刺繍の図案ですって」


 これ、と見せられたページは、すでに配色も済ませてある。

 徹は文江からスケッチブックを受け取り、しげしげと眺めた。


「相変わらず渋いな」

「あら、華やかよ?」

「いや、図案そのものはそうだが、配色が。かなはなんだって鼠系統だの暗色が好きなんだ」

「かなちゃんだってカラフルなのやるわ。この前、無地の麻バックにオレンジの刺繍やってたもの。ふふ、いいでしょう? それ、私にくれたのよ」

「なんでそっちも合せて見せないんだよ」

「出し惜しみしてるからよ」


 にっこり笑う文江に、徹は目を覆った。

 幼馴染だからこそ、文江のことはよく知っている。

 きつい顔立ちの割りにおっとりしていて、無駄なくさばさば動くかと思えば茶目っ気を見せる。


「そんなとこまで似なくてよかったわ」

「なんの話?」

「馬鹿息子の話だよ」


 にやり、と笑って徹はスケッチブックをノックするように叩いた。


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