十六
五月初め、玄一と彼方の通う坂枝高校は文化発表会の準備が始まっていた。
文化発表会というのは、生徒が個別、あるいはグループをつくり、なんらかの作品を展示する催しで、協調性の乏しい生徒が多い坂枝高校においては文化祭のようなものである。クラス単位などにすると、必ず一定数がさぼったり、非協力で合ったりして支障をきたすので、作品制作における人員は生徒の自主性にまかされている。ちなみに、それでも面倒くさいという不良たちは、代々先輩から適度に文字数を埋められる読書感想文講座を受け、それを提出している。
玄一も、去年までは読書感想文を提出して、あとはだらだらと過ごしていたのだが、今年、最後の文化発表会は、どうやら二年分のやる気を出さなければならないようだ、と配られた文化発表会のプリントを握り締める彼方に肩を竦める。
「玄ちゃん!」
「なに刺すんだ。俺は糸染めりゃいいんだろ」
休み時間、SHRのときからうずうずしていた彼方が待ちかねたように振り向いた瞬間、玄一は全てを察していた。
彼方は自身の刺繍に玄一が全面的に協力することを分かっているので、先回りして用意された言葉に飴玉もらったこどものような顔になる。
「あのねー……」
「あの、秋田くん、飯田橋くん、ちょっといいかな」
突然声をかけられ、彼方は「ぴゃっ」と素っ頓狂な悲鳴を上げて椅子を揺らした。玄一は近づいてくる生徒がいたことに気付いていたが、まさか自分たちに声をかけるつもりとは思わず、少しばかりぽかん、とした顔でふたりに声をかけた生徒に目を向ける。
「ご、ごめん、急に」
少しぽっちゃりした体形で、ふくふくした頬が目元をひとが好さそうにやわらげている生徒は、ふたりの反応におろおろして無意味に手をぱたぱた振る。
「誰お前」
彼方の口に遠慮はない。クラスメイトの名前を知らないことになんの後ろめたさもなく、率直に誰何する。
「あ、えっと、ぼくは碓井宗司っていうんだけど」
「へー。で、なんの用」
「あの、あのね、は、発表会で、そのっ」
一生懸命話そうとしているのはわかるのだが、言葉はつっかえ、顔は赤くなり、段々と喉もつまりだしたのか、宗司はまるで窒息寸前の金魚状態だった。気の長いほうではない玄一が机をかつかつ指でたたき出したあたりで、とうとう気絶してしまいそうになる。
「あーもうお前面倒くせえ。いいたいことあるなら紙にでも書いてこいよ」
「そ、そうするっ」
彼方も玄一同様苛々してきただけだったのだが、宗司にとっては助け舟だったらしい。飛ぶように自分の机へ戻り、ノートに向かってペンを走らせている。
「……なにあれ」
「知るか」
ふたりが呆気にとられていると、碓井はどたどたと騒がしい足音をたてながら戻ってきた。その手には二つ折りにされた紙がある。
「読んでくださいっ」
赤い顔といいまるでラブレターを渡されているような状況だが、ノートの切れ端に走り書きという悲惨なラブレターがあるだろうか。しかも渡す先は同性だ。
渋い顔をしながら、とりあえずは玄一が受け取り、彼方にも見えるように机の上で広げた。
文化発表会でグループを組みませんか?
僕の実家は悉皆屋で、秋田くんのお家のことを知ってます。
飯田橋くんの刺繍にはずっと憧れていました。
一緒にやろうって話している友人がいるのですが、彼の実家は和裁工房で、友人自身も趣味でやっています。
秋田くんと飯田橋くんがよければ、ぼく達と作品をつくってください!
口頭で伝えようとして失敗した宗司だが、文面でなら概要をまとめられるようだ。
玄一が「ふうん」と頬杖をつき、彼方にどうするのか、と目配せすれば、彼方の眉はぎっちりと寄っていた。
「玄ちゃん」
「なんだ」
「これ、なんて読むの」
彼方が「悉皆屋」の部分を指でなぞる。
染めを営む実家に暮らしている玄一にとっては何度か目にする単語だが、ひとりで趣味として刺繍に没頭していた彼方にとっては違うらしい。玄一はすぐに察して「しっかいや」と読み方を教えた。
「しっかいや? なにそれ」
「えっと、着物のなんでも屋っていうのかな、今は仲介が結構多いけど」
「仲介? 自分家でやんねえの?」
「やるのもあるけど、物によっては誰々さんのところのほうが上手いからって……」
彼方が「そなの?」と玄一に視線をやれば、玄一はぶっきらぼうに頷いた。文化として需要と供給が安定していない時代、横のつながりはしっかりしている。事実、宗司の家のように、悉皆屋そのものが仕事を担うのではなく、専門家を手配するという形も珍しくない。
「へー。んで、碓井だっけ? 一緒にって、俺ら協調性ねーよ?」
存外自分のことを分かっている彼方に「俺ら」と一括りされた玄一は打っ叩きたくなる手を押さえた。協調性のなさを玄一も自覚している。
「それは大丈夫! 駿……友達も協調性なんてないから!」
朗らかな顔でちっとも大丈夫じゃない宣言をした宗司を、玄一は宇宙人でも見るような顔で見つめた。逆に彼方はツボにはまったようで、腹を抱えて笑いだす。
「もう、ほんっと全然ないよ! ほら、縫うのって集中作業じゃない。半分以上性格もあるけど基本話しかけんなで自分の世界に没頭しちゃうんだよ」
「ちょ、なんでそれでグループ組もうとか思ったんんだよ」
「え、だって作品作りにまったく影響ないじゃない」
なるほど、と玄一は頷く。
これが演劇だのなんだのになれば協調性のなさは致命的だろうが、玄一たちが集まって作品作りをするとなれば、最初になにを作るか、方向性や具体案を決めたあとは各自作業を開始、流れ作業となるだろう。
「だが、こいつ我侭だぞ」
玄一は彼方を親指で示す。
打ち合わせ段階であれやりたいこれやりたいと騒ぎかねない、と玄一が言えば、彼方は頬を膨らませ、宗司は苦笑いしながら「大丈夫じゃない?」と玄一にとっては根拠のないことを言う。
「飯田橋くん、一緒にやってくれるとしたら、なに作りたい?」
「着物! 総刺繍!」
「期限内に間に合わねえよ」
「……そっか」
「ほら、平気じゃない」
「は?」と声を揃えて宗司を見上げたふたりに、宗司は得意気な顔をする。
「今みたいに飯田橋くんが無茶ぶり言っても、秋田くんがなんで駄目なのかと一緒に却下すれば、飯田橋くん不満そうだけど理解するでしょう? 無理を無理って分かってるなら、大丈夫。問題ないよ」
朗らかな声でいい、ふくふくした頬をほころばせる宗司に、彼方はぽつりと訊ねる。
「なんで、俺らのことそんな分かってるみたいな……」
やりとりを見てからならば分かるが、宗司はその前に「大丈夫」と言っていた。何故か。
「だって、ぼくはふたりが刺繍や染めの話をしているのが楽しそうで、羨ましくて、いつの間にか目で追っていたんだよ」
仲良し、いいね。
頬肉のせいで細めた宗司の目は糸のようになって、中々に面白い顔だったのだが、ふたりはそれを笑うよりも気恥ずかしくなって俯くのに忙しかった。
「ね、ぼく達と一緒にグループを組んでくれませんか?」
繰り返される誘いに対する返事を、玄一は彼方に窺わずとも分かっていた。




