7月4日 南小の少年と小さな悩み その2
7月4日(木) 夕方
図書館でユウキと別れたタツキは、河川敷をとぼとぼと自転車を押して歩いていた。家に帰る気にもなれず、ユウキに謝らなければいけないと思ってもどう謝ればいいのか分からない。オクダ屋でお菓子を買おうかとも思ったが、ユウキがいるかも知れないと思うと何となく顔を合わせ辛いなと思い、こうして河川敷を歩いている。
小さくため息をつくタツキ。そこに、「タツキ君じゃない」と声がかけられた。後ろを振り返ると、ケイドロ大会で見かけた女性が「やっほー」と手を振っていた。
「あ、ケイドロ大会でテントにいたお姉さん」
「そうよー、元気ないみたいだけどどうしたの?」
タツキは、どこか百里の面影があるこの女性を見て少し緊張したが、会ったばかりの女性にも見抜かれてしまうほど態度に出ているのだろうかと自分の態度を反省もした。
「友達を怒らせちゃって、謝りたいと思ってるんです」
「お友達って、ユウキ君かしら?彼が怒るって、あんまり想像できないけれど」
タツキが驚いた顔をしていると、女性はそれを見てクスリと笑い、
「おねーさんは何でもお見通しなのよ」といつの間にか持っていた缶ジュースを差し出した。
○ ○ ○
「なるほどねえ」
河川敷に座って、話を聞いていた女性はタツキから話を聞いてそう呟いた。
「つまり、その百里ちゃんに一目ぼれしちゃった訳だ。タツキ君は」
「そ、そんな事…は…」見る間に顔を赤くするタツキ。
「照れなくてもいいじゃない。ここに本人がいる訳でもないんだし」
「それでも、やっぱり恥ずかしいです」
「そっかそっか」タツキの頭をぽんぽんと叩いて、楽しそうに微笑む女性。
鉄橋の上を、電車が走っていく。それを川沿いで眺めながらタツキは考えた。ほとんど話したことの無いこの人に悩みを話せたのは何故だろうか。ユウキ君に話せなかったのはどうしてなのだろうか。
眉間に指をトントンと当てて考えていると、隣の女性が
「まだ何か悩んでるの?」と言った。
また見抜かれた。何となく、この女お姉さんなら僕にマルをくれるかも知れない。明確な理由はないが、タツキはそう感じて、今思っていることをすべて話した。
「タツキ君は、ユウキ君の事を大切な友達だと思ってるみたいね」
「うん。もちろん」
女性は、頷いてからさらに話を続けた。タツキが、ユウキを友人として認めているからこそ、自分の弱い部分や恥ずかしい部分は見せたくないと感じるのだ、と。
「でも、心配しなくていいわ。人を好きになることは悪いことでも
恥ずかしいことでもないの。堂々としてなさい」
「ありがとう、お姉さん。明日、ユウキ君に謝るよ」
「あら、明日まで待たなくたっていいじゃない」
「え?」
「明日できる事が今日にできないはずがない。そうでしょ?」
タツキは目をぱちくりと見開いて女性を見た。女性は変わらず面白そうに笑っている。
じっと女性を見つめて、声をあげて笑った。
「お姉さん、天狗仮面の知り合いだったんだね」
「あら、バレちゃった?」
「だって、天狗仮面と同じこと言うんだもん。僕たちの事も
天狗仮面に聞いて知ってたんだね?」
「正解よ。今日のことは天狗にはだまっといてあげる。
あいつが知ったら『大丈夫か!?この天狗仮面に訳を話すのだ!』って
うるさいでしょうから」
パチッとウインクする女性に、タツキも「そうだね!ありがとう」と返事をする。
立ち上がり、歩き出そうとする女性をタツキが呼びとめた。
「お姉さん。天狗にもだけど、モモちゃんにもナイショだよ」
今度は女性が驚いた顔をする。
「僕が思うに、お姉さんはモモちゃんの言ってた『親戚の人』なんじゃないかな。
話し方や仕草がちょっと似てるんだ」
「あらあら。そこまでバレちゃったか。なかなかやるわねー。
そうよ、おねーさんは猫塚千里。百里の姉みたいなものよ」
「モモちゃん、土曜日の夏祭りに来るかな?」
「天狗仮面が連れて行ってくれるんじゃないかしら。
それまでに、ちゃんとユウキ君と仲直りしておくのよ」
「うん!今からいってくる!
ありがとう!お姉さん!」
そう言ってタツキは自転車を走らせてユウキの家へと向かった。
タツキの後ろ姿を見守りながら、猫塚千里はくすくすと笑っていた。楽しくて仕方がない、といった様子の猫塚は、上機嫌な様子を隠そうともせずに町へ向けて歩き出した。
土曜日にあの子達に会う楽しみが増えたことに、猫塚はご満悦であった。
○ ○ ○
その頃、ユウキはと言えば、宿題をやりに家に帰る訳でもなく商店街を歩いていた。なんだか胸がもやもやする。どうしてあんな態度をとってしまったのだろうか。
タツキが悪い訳ではないことはよく分かっている。寂しかったのか、悔しかったのか、よく分からない気持ちがユウキの胸にぐるぐると渦を巻いていた。
オクダ屋の前に来たユウキは、好物のどんぐり飴をいくつか籠に入れて店主の元へと持っていく。
「なんか嫌なことでもあったかえ?全然笑うとらんね」優しい声で老婆が声をかけた。
「友達がさ、何か俺に隠し事してるみたいなんだ。俺、力になってやりたいだけなのにさ」
優しい顔を崩さずに、老婆はユウキに話しかける。
「そん友達は、1人じゃなんにも出来ん子かえ?」
「んー、そんなことないけど……」
「んなぁ、その子を信じるのもまた友達じゃあし。
いつも一緒におるあん子じゃろう?大丈夫やあ、あん子なら」
「ばあちゃんがそう言うんなら、大丈夫なんだろうけどさー。
俺、どうしたらいいのかな。ばあちゃん、タッキーの事ほっとけって言うのか?」
不満そうな声で老婆を見上げるユウキ。それでも、老婆の優しい顔は変わることはなかった。よっこいせと店の中へ歩いて、駄菓子の並ぶ棚から菓子を一つ持ってきた。
「まけとくよ。持っていきなぁし。一緒に食べるとええ」
「ありがとう。明日、一緒に食べるよ」
「あいよ。ちゃあんとあん子と話して、
明日は二人しておいでなあ。待っとるよ」
「分かった。ありがとう!ばあちゃん!」
ユウキは家に向かって自転車で走りだす。急に帰ったこと、謝らないとな。そう思いながら家路を急いだ。
湿度の高いじめじめした空気も、自転車で走れば気にならなかった。自転車のカゴに入れた駄菓子が揺れに合わせてカタカタと鳴るのがなんだか楽しかった。
○ ○ ○
ユウキの家の前まで来た所で、タツキは深呼吸していた。いざインターホンのボタンを押そうとしても、やはりすこし緊張する。もう一度大きく息を吸い込んで「押すぞ!」と指を出した瞬間、
「タッキー?」と後ろから声がかけられた。
タツキが振り返ると、そこにはオクダ屋の袋を自転車のカゴに入れて帰ってきたユウキが立っていた。
「ユウキ君!」タツキは驚いたが、すぐにユウキの方に向き直り彼に謝らなければいけないと言葉を続けようとする。
しかし、ユウキの方が先にオクダ屋の袋の中から一つの菓子を取り出してタツキに差し出した。
「タッキー、これやる。さっきは…何も言わずに帰っちまって、ゴメン」
タツキの手に渡されたのは、サイコロの形をした箱に入っているキャラメルの菓子だった。それはタツキが好んで買うもので、食べ終わった後は転がしてよく遊んでいる。
「ユウキ君……。ううん、こっちこそゴメン」
ユウキは二つ入りのサイコロキャラメルの箱をあけ、一つをユウキに差し出す。
「はい、一つはユウキ君が食べてよ。僕ね、ちょっと悩んでたんだ」
「聞いてもいいのか?」
「うん、実はちょっと恥ずかしくて話したくなかったんだ。
でも、もう大丈夫。心配かけてごめんね」
そうタツキが言う。その顔に、もう図書館で見せたような悩みの表情は見えなかった。ユウキは歯を見せて笑い、それに応える。
「気にすんなよ!でも、本当に困ってる時は言ってくれよな!」
「うん!あ、じゃあ早速だけど心配な事が一つあるんだ」
「俺とタッキーの仲だ!何でも言ってくれよ!」
タツキはユウキの背中にあるカバンを指差して言った。
「僕の大切な友達が、算数のプリントが出来なくて困ってるんだ。
僕も手伝いたいんだけど、どうしたらいいかな?」
ユウキの笑顔が陰り、対してタツキの顔には笑顔が浮かぶ。
「図書館からオクダ屋に行ったんなら、家には帰ってなかったって事だよね。
ほら、間違えてたところいっぱいあったでしょ」
「うげ。見逃してくれたりとかはしない…よな?」
「ダーメ!ちゃんと分かるまで教えてあげるから!」
「ちぇー…。あ、そういや結局、タッキーの悩み事ってなんだったんだ?」
「んー、モモちゃんのことなんだけど、算数が終わったら聞いてくれる?
まだ解決はしていないんだ」
ユウキは一言「算数はやっぱりやるのか」と嘆いて自転車を車庫にしまいこみ、タツキと共に家に入る。苦手な算数だけあって時間はかかったが、なんとかタツキの力を借りて、というよりは、ほとんどタツキに教えてもらってようやく『速さと道のり』の単元をやっつけることができた。
土曜日には夏祭りである。二人は一緒に夏祭りに行く約束をしているので、待ち合わせやその日のことなどを話しながら、タツキが悩んでいた内容についても話をした。
「タッキーがモモちゃんのことをねー。何か意外だなー」
「僕もびっくりしてるよ」
「夏祭りで会えたらいいな!何か七夕の短冊もあるんだろ?
そこにお願いすればいいんじゃねーの?」
「それは流石に恥ずかしいよ。ユウキ君だからしゃべったんだからね。
ダイサク君やシンヤ君に言わないでよ?」
「大丈夫だって。泥舟に乗ったつもりで安心してろよ!」
「ユウキ君、ダイサク君みたいな間違いしてるよ?
泥舟は沈んじゃうよ。大船に乗ってよね」
「ダ、ダイサク菌がうつったんだよ!とにかく大丈夫!
あ、そういやオクダの婆ちゃんが二人でまた来いってさ」
「明日行こうか。今日はもう夕方だし。僕も帰るよ」
明るく別れの挨拶をして、タツキは帰路に着いた。夕焼け空の向こう側、西の空には明るく輝く星が一つ、きらきらと瞬いていた。
周りの家からは、おいしそうな匂いがあちこちから漂っている。宵の明星を背にして、タツキは自分の家目指して軽やかにペダルを踏み込むのだった。
よし、次は夏祭りだ!
 




