8月20日 4人の少年と夏の山 その3
8月20日 夕方
辺りがだんだんと薄暗くなってくる。シンヤは「うう…」と呻きながら泥だらけの体を起こした。どのくらい転がり落ちたのだろうか。そして一体何が起こったのだろうか。
何も分からぬシンヤであったが、辺りを見回すと同じように泥にまみれて倒れているタツキの姿が目に入った。転がり落ちようとする自分を助けてくれようとした事をシンヤは思い出した。
「タツキ!ねえ、タツキ!大丈夫!?」
ゆさゆさとタツキを揺すって起こす。転がり落ちてきた方からは、かすかにダイサクの声も聞こえてくる。自分達の事を心配しているようだ。
タツキも目を覚まし、少し頭を押さえた後、ふらふらと立ち上がった。
「大丈夫?タツキ」「うん、なんとか」
斜面の上は木々に阻まれて、自分達がもといた登山道は見えない。もちろん、ユウキとダイサクの姿もである。
「僕達は大丈夫ー!」ありったけの声で上に向かってシンヤが叫ぶが、上の二人にはどうやら聞こえていないようで、返事は返ってこなかった。
「どうしよう、タツキ…。この斜面じゃ登れないよ…」
泣きそうな顔をするシンヤに向かって、タツキは落ち着いて「大丈夫」と声をかけた。指をトントンとこめかみに当てながら、自分達の置かれている状況を考える。
ずいぶんと転がり落ちてきた気がする。どれくらい落ちたか分からないので、現在の位置はもちろん分からない。シンヤに「痛いところとか無い?」と聞くも、特に怪我をした様子などは無いようで、タツキはホッとした。
逆に自分の足に痛みを感じるが、ここでそれを告げてもシンヤが心配するだけだ。タツキは足を挫いた事は告げず、今後の対策を指を額にあてて考えていく。
「ねえ、どうするんだよタツキ…。このままじゃ帰れないよぉ」
シンヤの声が段々と細くなる。山でのこういった場合には動かないことが一番であるが、シンヤは動かない恐怖に耐えられそうに無かった。それを分かってか、タツキは一つ頷いて
「山頂を目指そう。登山道のある山で迷ったら、山頂を目指せって本に書いてあったよ」
「下に降りるんじゃないの?」
「うん。頂上は一つだけだから、そこを目指そう」
「…分かった。でも、どっちに行けばいいんだろう…」
「高い方へ行こう。でも、ここの斜面は登れないから迂回しながら
上に上っていけそうな所を探さないと…」
そこまで言った所で、タツキは自分の荷物が無いことに気が付いた。斜面を落ちている時にリュックが外れてしまったようである。
転がってきた斜面を見上げてみるが、視界に入る範囲にリュックは落ちていなかった。
「シンヤ君、ゴメン。僕のリュックなくしたみたいなんだ。もうすぐ暗くなるし、
懐中電灯出してもらっていい?」
その台詞に、シンヤの顔が強張る。
「…ダイサクに渡したままだ…」
二人の顔に焦りが浮かぶ。このまま暗くなってしまったら、灯り一つ無い山中を彷徨う事になってしまう。
タツキは本格的に進むか留まるかの選択で悩んでいたが、少し考えた末に「出来るだけ急ごう」とシンヤに告げた。
○ ○ ○
タツキとシンヤが落ちた場所では、ダイサクとユウキが言い争いをしていた。
「やめとけって、ユウキ!」
「早く助けに行かねえとヤバイかも知れないだろダイサク!」
「この急な坂を降りられるとでも思ってんのかよ!」
「お前はタッキーとシンヤが心配じゃねえのかよ!」
「心配だけどよ、落ち着けよユウキ。もし二人が怪我でもしてたら
どうするんだよ。抱えて登ってくるつもりか?」
「それは…」
ユウキが黙り込む。
「シンヤだけなら心配だけどよ…。タツキもいるなら大丈夫だぜ」
「ダイサクって、意外とひでえんだな」
「うっせ。ほら、お前の方が足速いんだから、高原駅まで戻って大人呼んで来いよ」
ユウキは無言で一つ頷いて大きく息を吸い込んだ。駆け出す直前に、ユウキは振り向かずにぽつりと「ありがとよ、ダイサク」とこぼす。自分一人だけだったなら、無理を承知で斜面を降りていたことだろう。
そしてダイサクの言う通り、もしもの事があった場合に自分は何も出来はしない事に気付いたのである。素直に礼を言うのも癪だが、礼を言わないのも何か嫌だと感じたユウキの精一杯の礼の形だった。
走り去った背中を見て、気恥ずかしそうに頭を掻きながらダイサクが言う。
「聞こえてんだよ、バーカ」
荷物を道の脇に置き、シンヤとタツキが滑り落ちていった斜面に向かって立った。
「何かあった時に、どっしり構えとくのがボスの役割なんだっての。
うっし、俺も自分に出来る事をやるぜ」
そう呟いてから、ダイサクは斜面の下に向かって大声で二人の名を呼び続けた。二人が気絶しているかも知れない。斜面を頑張って登ってくるかも知れない。ダイサクもまた、気丈に振舞ってはいたが、何が起こっているか分からない現状に不安を募らせていくのだった。
夕日のかかる西の山は徐々にその暗さを増していく。
○ ○ ○
タツキとシンヤは視界の悪くなる山道で黙々と歩いていた。薄闇の中で何度も木の根に蹴躓きながら、息を切らせてハイペースで進んでいく。シンヤの後ろにタツキが歩いている形になるが、タツキの歩みが徐々に遅くなっていることにシンヤが気が付いた。
「休憩しようか?タツキ」
「僕なら大丈夫。シンヤ君こそ大丈夫?」
「う、うん。大丈夫」
そう言ってシンヤが再び前を向いて歩き出そうとした時、後ろからタツキが倒れる音が聞こえた。驚いて再び振り向くシンヤに、タツキは笑顔を作って「木の根に躓いちゃった」と言った。
何やってるんだよと起き上がるのに手を貸そうとしたシンヤが視界の隅に金属光沢を放つ何かを捉えた。それは、このような場所に落ちているには不自然な、そしてあまり見たことのないようなデザインの懐中電灯だった。
あっ、と鋭く声をあげてそれを拾い上げるシンヤ。祈るような思いでスイッチを入れると、一筋の光が懐中電灯から伸び、彼らの進む道を照らした。
「やった!落し物だけど、使ってもいいよね!?」
「うん、ありがたく使わせてもらおうよ」
暗く染まった不安を払い落とすかのように伸びる光に、二人はにわかに元気を取り戻す。さらに幸運な事に懐中電灯を照らしながら進んだ先の景色に、タツキは見覚えがあった。
以前、天狗仮面に連れられて山に来たときにツチノコを探しに歩いた場所である。横を流れる川と大きな石に見覚えがあった。
ここからであれば、栃の木の広場まで出ることが出来る。タツキは安堵した。冷静に振舞っていても、彼はシンヤに不安を与えまいと気を張っていただけだったのだ。
安堵からくる気の緩みが、タツキに忘れていた痛みを思い出させる。斜面から落ちた時、タツキは足を挫いてしまっていた。シンヤに心配をかけまいとそれを隠していたのだが山道を歩く内にどんどん状況は悪化していたらしい。
うずくまったタツキを見てシンヤが慌てて駆け寄り足を照らす。タツキの足首は見事に腫れあがっていた。
「タツキのバカッ!どうして何も言わないんだよ!」
「…ごめん、心配かけちゃうと思って」
「少し休もう。長老の広場までどれくらい?」
「5分くらいだと思う。そこまでは歩くよ」
「肩貸すよ、ほら」
シンヤから差し伸べられた手をとり、なんとか立ち上がろうとするタツキ。
しかし、自分で思っていたよりも怪我の具合が悪かったらしく、うまく立ち上がれずにタツキはバランスを崩した。倒れる先、1メートルほど下には山を流れる川。
するりとシンヤの手を抜けて、タツキの体は流れる川へと吸い込まれていった。
シンヤの叫び声が辺りにこだまする。
水面を叩く音が徐々に川下へと移っていく。流されている事がシンヤにも分かった。
「タツキーッ!」
ある程度まで進んだ所で、水音が止む。どこかに捕まることが出来たのだろうか。川面を懐中電灯で照らすと、岩に捕まっているタツキの姿があった。水を飲んでむせている。
「どうしよう…どうしよう…」
その場に立ち尽くしてしまうシンヤに、タツキは咳き込みながら声をかけた。
「だ、大丈夫…。落ち着いて、シンヤ」
「でも…」
「ここからなら、長老の広場まですぐだし、ユウキ君とダイサク君を
呼んできて。僕なら大丈夫だから」
「…わかった!待ってて!」
シンヤは浮かんできた涙をぐいと腕で拭い、走り出した。
○ ○ ○
走り出したシンヤは暗い森の中をひた走った。
枝に服を引っ掻け、木の根に躓きながらも、ただ前を向いて駆けていく。涙が滲み、喉が詰まる。
栃の木の広場から広い登山道に出たときには、日は完全に暮れていた。
「シンヤッ!?」
そこで急にかけられる、聞き覚えのある声。
勢い込んで振り向くと、そこには同じように息を切らせたユウキの姿があった。
「ユウキぃ…」
シンヤは泣き声でタツキが川に落ちてしまた事を伝えた。ユウキの目が見る見るうちに大きく見開かれ、最後まで話し終わらないうちに栃の木の広場に向けて駆け出していた。
「シンヤ!お前達が落ちた場所にダイサクがいるはずだから、
呼んできてくれッ!」
「わ、わかった!」
ユウキとシンヤの二人はそれぞれの場所へ向かって走り出す。
明かりのない山道に、二人の持つ懐中電灯の光が揺れていた。
補足ネタバレ
シンヤ君とタツキ君が拾った懐中電灯は院部君の持ち物です。
【うろ夏の陣】で彼が使っていた時限式脱毛光線銃。
院部君が風で飛ばされた際に山に落っことした事にしてらります。
ご都合主義イェ―。




