さくらさくら
雨しか降らなければいいと、願うその醜さは認めているけれど気付かない振りをしている、だって全部あなたのせいよ、そう言ってしまえばますます歪になる心、それでも仕方がないじゃない。
桜の頃に殺したでしょう、桜の頃に埋めたでしょう、わたしの心、あなた汚れたティッシュみたいにくるくるまるめて捨てたでしょう、桜の頃にあなたわたしを、忘れたなんて言わせない、桜の頃にあなたわたしを捨ててしまったでしょう。だからもう今は大嫌いなの、桜が好きだったあなたのせいよ、桜さえも嫌いになってしまった可哀想なわたし、それでも心も失くしてしまったから仕方がないのかもしれないね、そうよもう何も考えなくて良いのよ、きっと。
「五百円玉が、好き」
「うん?」
「カメラのフィルムケースにね、入れて貯めているの、いっぱいになったら一万円だから、ホールのケーキを買うの、そして切らないでフォークを振りかざして食べるのよ」
「ホールケーキ、いくつ買うんだよ」
「ううん、オーダーメイドでね、一万円分のケーキ作ってくださいって言うの」
「贅沢なケーキだな」
「うん」
「それぐらい、俺が買ってやろうか」
「ううん、それは駄目」
「どうして?」
「だって、復讐に傷付いたわたしに対するせめてもの御褒美なんだもん」
さくらさくら、唄う薄桃色の唇はわたしのもので、ああ、いつから本物の笑い方を忘れてしまったのかしら、雨ばかりが降ればいい、今年の桜など咲かないように、今年の桜など蕾のまま腐るように。わたしの笑い方はどこに捜しにいけばいいのかしら、忘れてしまったの、失くしてしまったの、あなたに捨てられた桜の頃に、多分一緒に殺されてしまったわたしが持っていった、大事な大事なわたしの笑顔、誰に返せと責め寄ればいいというのだろう、雨ばかりが降ればいい、わたしの笑顔だけ失くしたまま、桜だけが咲くなどと、そんな事を誰が許せようか。
桜など咲かなければいい、桜など、あなたが愛した花など。
あなたが愛した、花、など。
「復讐? 誰かの恨みでも買ってるのか、怖い女だな」
「まさか、わたしが復讐しているの、だけど元々復讐とか怖い事を考えるのは向いていない人間なのよ、だから復讐すると疲れ果てるの、そんな自分を慰める為の御褒美」
「女は甘いもの食べると恋愛に近いなんかが脳内で発生するんだろ?」
「ああ、そうなの?」
「違ったっけ、だけど何か聞いた事があるぞ」
「ふうん。じゃあわたしは一万円のホールケーキ食べて復讐の御褒美として疑似恋愛を自分の頭の中だけで完結させるのね」
「寂しい女」
「知ってる、だけど良いの、寂しい女が不幸な訳ではないでしょう、寂しくなくなるようにもがく元気すら今はただ無いだけよ」
「復讐って、男と寝る事?」
「……え、」
「いや、辛そうな顔でここに有らずって目をして俺の下になっていたからさ」
「いやだ、そんな、バカな事、……あんたがヘタクソなだけじゃなくて?」
「あはははは、そうかもしれない、そりゃそうだ、悪かった」
月の綺麗な晩に桜を見に行ったでしょう、ふたり、まさかあんな場所でさよなら言われるとは思ってもいなかった、あなたの好きな桜の綺麗な、月も星も綺麗な場所で、そんなのはずるい、だって夢だったと思ってしまうじゃないの、あの日の傷がわたしをまだ生き返らせない、どれだけわたしがあなたを愛していたと、知っていなかったから簡単に言えたのでしょう、そんなさよならなど。
ああもうあれから幾つの年月、いい加減に忘れれば良いものを、そう思わない訳でもないのにまだここに、あなたを想い過ぎて、未だに想い過ぎて壊れている女ひとりよ、笑えば良いでしょう、笑えば良い、それよりなにより、もうわたしの事など忘れたでしょう、今でも桜すら咲かなければ良いと呪い続けるわたしと違って、あなたは、あなたはもう、わたしを、わたしを忘れて、しまったでしょう。
あの日、誓ったの。
あなたの想い出なんて消えてしまうように、たくさんの男とたくさん寝て、古い記憶から消去してしまおうと。あなたの事なんて覚えていられないぐらい、新しい記憶でわたしをいっぱいにしてしまおうと。
知ってる、分かってる、間違えた、ものすごくひどい間違え方をした方法なのは。だけれど、それだけ、ああ、認めたくもないけれどそれだけあなたばかりでわたしは出来上がっていたのよ、寝ても覚めてもあなたの事ばかり。夢にまで見たわ、わたしはあなたへの愛で出来ていた、口にすると笑ってしまうぐらい陳腐で困るのだけれど。愛していたのよ、それは本当、一分の狂いも隙もなく、認めたくないぐらい悔しいけれど。
雨ばかりが降ればいい、春など永遠に凍り付いていれば良い、雨ばかりが降って、あなたが愛した桜など蕾のまま腐れば良い。
「じゃあ復讐相手の男、その顔型ケーキでも作ってもらうんだな」
「どうして、思い出したくもないのに?」
「ああ、やっぱり男なんだ」
「……何をそんなに得意そうな顔をするのよ、別に否定しないし動揺もしないわよ」
「昔の恋人?」
「答える義務はないと思うけど」
「ひどいな、義務とかそういう言葉を持ち出すのはさ」
「一度寝たからって、わたしのどこまでもを知ろうなんて傲慢じゃなくて?」
「一度だけでも寝たんだったら、それは結構すごい確率だと思うけどな」
「……可愛い事言うのね、バカみたいに」
「いや、目の前に可哀想な女がいるからさ」
「おあいにく様、不幸じゃなくてよ」
「知ってる、だけどそういう女を放っておけない質でね」
さくらさくら、咲かずに散れよ。
さくらさくら、あなたが愛した花など。
さくらさくら、その花を愛するように、他の誰かを愛するの?
さくらさくら、わたしとは違う、別の人を、わたしにはくれなかった愛で包むの?
さくら、さくら。
あんな花など咲かずに散れば良い、立ち尽くしたまま腐れば良い、やまない雨に打たれ続けて、あなたが絶望する顔が見たい、わたしを捨てたあなたの。
さくら、さくら。
春など来なければ良い、このまま凍り付いていたいのはわたしだ、あなたを失くした季節など、もう二度と来なければ良い。
もう二度と。
さくらさくら、咲かなければ良い。
「可哀想な女」
「……連呼しないで」
「いつまで誰かを恨み続けるんだよ」
「世界が終わるまで」
「世界なんて終わりっこない」
「じゃあ春が二度と来なくなる日まで」
「北極か南極にでも行け」
「……そうね、そしたら桜が咲くのを二度と見なくて済むものね」
「嘘だよ、バカだな、あそこら辺行くのってすごく金がかかんだぜ」
「……お金の問題?」
「そだよ、そう言っておかないと金が出来たらホントに行っちゃいそうじゃん」
「……あんた、変な男」
「うわ、それをお前が言うかな」
ひとりの男を恨み続けて、わたしはどこまで行けるのだろう。
春が来ない事を祈りながら、雨が降り続けるのを願いながら、さくらが咲かずにいればいいと泣きながら、どこまで行ってしまうのだろう。
解放されたくないのは、このバカバカしい想いに縛られていたいのは、未だあなたを愛しているからだろうか。疑問文にする必要もないのだ、本当は。今でもただ、愛し続けているだけなのだ、意味もなく。無駄に想いを燃やし続けているのだ、もう届きもしないというのに。届きもしないというのに。どこにも。どこにも届かない、あなたへの想い。桜が咲かなければ良いと思った、本当のところの理由は、散りゆく桜に自分を重ねそうだからだ、想いが届かないまま散ってしまうくせに、次の年も前の年の事をすっかり忘れ果ててまた咲く、悲しい桜に。
「飯でも食いに行くか」
「……は?」
「飯、ごはん。食いたいものは? 特にないなら、食えないものを言ってくれれば良いさ、これで結構店とか詳しいんだ」
「ごはん?」
「おい、なんでそこで変な顔するんだよ、あっ、笑いやがった、なんだお前は」
「ううん……ううん、変だな、と思って。ね、わたし達ちょっと寝ただけだよ、別に恋人でも友達でもないよ」
「恋人でも友達でもなくったって、知り合いではあるだろう。飯食いに行って、帰ってきたら関係変わってっかもよ」
「なにそれ」
「珍しく情報誌の星占いなんか見ちゃったらさ、蠍座、ものすごく今月運が良いらしい」
「……それはおめでとう」
「共通の話題で盛り上がれる異性が未来の恋人かもって」
「占いなんか信じるの?」
「おう、可愛いだろう? そういう男も」
「人によりけり」
「北極の話でもしようぜ、本当に春が来ないのかさ」
「来ないに決まってるじゃないの」
「溶けない氷はないかもしれない」
「だから、なにそれ」
「いや、俺ひとりで先に頭春になっちゃうかも」
「……宅急便で北極に送ってあげるから、頭冷やす?」
「それ、安上がりっぽくていいね」
「本気ならわたしも本気でやるわよ」
「どうせなら、そんなことに本気にならないで、俺に本気になれば良いのに」
「……え、」
「……なんてね、でも少し、本気」
さくら、さくら。
散りゆく哀しい薄紅の花。
あの樹の下には死体が埋まっているのでしょう、それならわたしの想いも誰か、あの樹の下に埋めてくれれば良い。
わたしの想いを吸い上げた桜は、綺麗な紅色で咲くかしら。
さくら、さくら。
誰かわたしを掘り起こして抱き締めてくれるかしら、あなたではない人だとしても。あなた以外を愛せるわたしもいるのかしら。
すぐは無理でも、今すぐはまだ無理でも。
さくら、さくら。
いつか空の青さも覆い隠すように枝を伸ばして花を咲かせる、桜にわたしもなれるかしら。
さくら、さくら。
さくら、さくら。






