6.写字生、また犬(仮)を拾う? (1)
「はい、椿。お弁当です」
爽やかな朝にふさわしい笑みを湛えたフローが、椿に小包を渡す。
中身は、朝食の準備と共に作ったお昼ご飯こと、野菜をパンで挟んだ料理。ちなみに今日は魚介類も挟んである。
「あ、ありがとうございます」
引き攣る笑みでこたえながら、椿は玄関扉を開けた。
「今日もがんばってください。でも、無理はしないように」
腰に手をあて、彼の方が背が高いにも関わらず、わざわざ腰を屈めて上目遣いしながらフローは忠告した。
「はい……。いってきます」
「いってらっしゃい」
椿が玄関扉に背を向ければ、青年はにこやかに手を振っていた。
外に置かれた箒に跨りながら、椿は思う。
(なに、これ)
ちなみに、彼女がいう”これ”とは、フローに起こされ目覚めた後、一緒に料理を作り、ご飯をたべ、見送りをしてもらって出勤する、という一連のことである。
(まてまてまて、色々間違ってる気がする)
いったいどこが間違っているのか。
魔法で宙に浮き、低速低空飛行で王宮へと向かいながら思案する。
(……これじゃ本当に新婚夫婦じゃん。だから――まてまてまて、と! なぜに私が夫でフロー様が妻的役割なの! いやいや、男女差別的思考だわ、これは。や、それでも! フロー様、まるで主夫だし!)
ツッコむ相手はどこにもいないのに、椿は「なんでやねんっ」と呟いた。
(ああ、私の基準すらおかしくなってきたっ。どこが間違ってるか、じゃなくて……すべてが間違ってるのに!!)
じわじわと椿の生活を侵食していくフローライト殿下。
傍からみれば、王子が家にいることも家事をすることも、なにからなにまでおかしいのだ。そんなことすら気づけなくなっていっているとは。
「あぁぁぁ――――、もぉぉぉ――――、しっかりしろ、私ぃぃぃ」
叫びながら空飛ぶ彼女は、道行く人の視線を独り占めしたのは言うまでもない。
*** *** ***
椿を見送ったフローは、掃除を始めようと掃除用の箒を手に取る。
帰ってきたら、埃のない部屋と花瓶に活けられた花!
そんな我が家に椿はきっと喜ぶ、と期待する。
(家事に仕事に、とすべて任せるわけにもいきませんしね)
思いながら箒で床を掃く。もうすっかり主夫だった。
掃除を始めてから時間が経ち、仕上げに花を用意しようとした時。
扉がコンコン、と叩かれた。
(また郵便屋さんですかね?)
尻尾と共に首を傾げ、瓶底メガネと帽子を身につける。
――探った気配は、今まで会った誰の者でもなかった。
迷い、瞑目したが、やはり今回も来訪者を確認することに決める。
フローは玄関扉へと歩み寄ると、小さく扉を開いた。
「はい、どなたですか?」
来訪者を確認できる程度にまで扉を開き――目を丸くする。
来訪者は――灰茶の柔らかそうなクセ毛の青年だった。
瓶底メガネゆえに視界はぼやけるが、間近であるため判別できた。
(……見たことが、ある)
記憶に引っかかりを憶えた。
同時に、脳裏で鳴る警鐘に危機感を持ち、目の前に立つ青年を見定め観察する。
――驚くように瞠目したその瞳は、青に近い紫色をしていた。整った顔立ちは柔和で、人畜無害、という言葉がふさわしい穏やかさを持っている。
時間と共に、驚愕を彩っていた目は優しく細められた。
ふわり、と困ったように微笑み、形の良い唇を動かす。
「……? ここは椿さんのお宅だと思っていたのですが……」
暖かい声音だった。
フローは一瞬で目の前の青年が自分にとって有害であると悟る。
ゆえに、目を瞬き、肩を竦める素振りを見せた。
「ここは僕の家ですが?」
答えると、来訪者は両眉をあげる。
「あなたの、ですか? ……間違えたのかな?」
不思議そうに首を捻る青年に、フローは苦笑を向けた。
「ご近所さんの家とたまに勘違いされるんです」
そうして、手を扉の外へと出し、左を指さす。
「ほら、あっちに民家がありますし」
フローが指差す方向へと顔を向けた青年は、遠いために豆粒ほどの大きさにしか見えない家を認める。
ついで、頷くと、フローへと顔を戻して一礼した。
「すみませんでした。間違えたみたいです」
フローが「そうですか」と返答すれば、年上の女性に受けがよさそうな困った笑みを浮かべ、青年は踵を返した。
小さくなっていく青年を見届けると、フローは扉を閉める。
「素直というか、浅はかというか……」
青年を思い浮かべ、嘲笑した。
……別にフローは、彼の言葉に対して嘘はついていない。
”椿の家か”との問いには”自分の家”だと答えたが、フローの予定では近々二人の家になるはずだし、今現在、二人で住んでいるのだから、彼にとっては自分の家でもあった。もちろん、椿は拒むだろうけれども。
次に、”間違えたのかな?”という独り言に”近所とたまに勘違いされる”と答えたが、それも、別に「間違えてますよ」と嘘情報を渡したわけではない。ちゃんと”たまに”とつけた。……まぁ、フロー自身は間違えて訪れた人に会ったことはないが、百人に一人――いや、千人に一人は間違えることもあるだろうから、嘘ではない、ということにする。
そして、フローは瓶底メガネと帽子を外すと、紙とペンを探した。
「……厄介な来訪者ですね」
低く呟き、灰青の瞳を細める。
――その頃には、フローは思い出していた。
今の来訪者は……。
(先日届いた椿の見合い相手、ですか)
そういえば、実家も必死だと、椿のぼやきを耳にしているらしい郵便屋は言っていた。
釣り書きには、彼は椿の村の権力者である旨も。
嫌な予感しかしなかった。
これから、椿と穏やかで幸せな二人きりの生活が送れると思っていた矢先の暗雲。
抽斗から紙とペンを見つけると、手紙をしたため、細く折りたたむ。
『椿の様子を見張ってください』
短い内容だが、これだけで側近なれば意味は通じるだろう。
窓を開け、魔力をこめて口笛を吹けば、催眠状態の鳥が一羽とんでくる。
その鳥の足に文を縛り付けると、側近へと届けるよう命じ、空へと放った。
*** *** ***
ちょうどその頃。
フローの言葉のあやにすっかり騙された青年は、指さされた民家の扉を叩いていた。
その扉はすぐに開かれ、青年はおっとりと笑みを浮かべる。
「椿……。…………。」
青年は口を噤み、眉根を寄せた。
――目の前に立っていたのがよぼよぼの、百歳間近ではなかろうか、という白髭を蓄えたご老人なのだから当たり前だろう。
どう見ても、椿ではない。性別からして違うのだから間違いない。
無言のまま立っているわけにもいかず、青年は口を開いた。
「あの、椿……」
「あ? ああ、今日も好い天気ですのぉ」
老人は耳が遠かった。
「はぁ、いえ、あの……」
「雨の日に痛む関節も無事ですじゃ、ふぉっふぉっふぉ」
「……は」
「わかっておるわかっておる、この爺に長生きの秘訣を聴きに来たのであろう」
「…………や」
「よく来られるのじゃよ、ふぉっふぉっふぉ」
その後、太陽が天辺に昇るまで青年は老人の長命の秘訣話に付き合うこととなった。




