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5.写字生、新妻(仮)ができる。




(疲れた……。とめどなく疲れた……)

 椿は不眠不休で土木作業をしたくらい、疲れを感じていた。それを示してか、王宮から家に向かう帰路、乗っている箒はふらふらとおぼつかない。

 けれど、いつも以上に疲れを感じているといっても、職務はいたっていつも通りだった。

 だがしかし。

 ――環境がいつもと異なっていたのだ。

 王宮で接触してきた王子の側近。

 中年優男属性のくせして、その魔術師はとんでもない男だった。

 ちゃっかり渡された大きな鞄は、今、箒にかけられている。



 目的地である家を目前にし、椿は箒をとめ、おりる。

 仕方がないので大きな鞄も抱えた。

(あー疲れた。疲れたのに帰りたくない)

 そうして、ふと気づく。

(ああ、これが仕事帰りに飲み歩く夫の心境か……)と。

 肩を落としながらも、一緒に飲み歩いてくれる友達もいないため、扉へと向かった。


 一応、扉を叩く。

(あー自分の家なのになにしてんだろ、私)

 やさぐれながら、「椿でーす。入りまーす」と告げた。


 すると、目の前の扉が開く。


「…………。」


 扉を開けた人物を認め、あんぐりと大口をあけて佇む椿。

 停止する思考ゆえに呆然と佇む。ようやく動き出した頭で考えたのは、(なんで前掛け(エプロン)してんのよ。しかも桃色)というツッコミだった。

 しばらくの間、心中は渦巻くツッコミの嵐。

 そんな彼女に、フローはにっこり微笑んだ。

「おかえり、椿。ご飯にしますか? お風呂にしますか? そ……」

「ご飯にしますいただきますお願いしますもうそれ以上言わないでくださいなんだか嫌な予感しかしないので!」

 一息に言うと、やはり椿の予想通りだったのか、フローはわずかに眉間に皺を寄せた。


 長い、長い溜息をつきながら、椿は迎え入れられるようにして家の中に入る。もちろん、公爵令嬢の姿はないかと、ちゃんと背後を確認することは忘れなかった。

 抱えていた大きな鞄を長椅子に置く。

 同時に、フローが前掛け姿で料理の乗った皿を持って現れた。

 それは、彼が椿の家に来た初日朝に作った卵料理。

 目を点にしながら、その皿が食卓に並べられるのを眺めた。

「椿、食べしょう? お腹すいたでしょう?」

「え、は、はぁ」

 曖昧に頷きながら、彼がひいてくれた椅子に腰を下ろした。


 フローが向かい席に腰を下ろすのを見届けてから、椿はさじに手をのばす。

「…………」

 痛いほどの視線を感じ、椿が顔をあげれば――やはり目の前の席についた青年が凝視していた。

 気まずい。あまりにも居心地が悪い。どんな微々たる動きさえも捉える瞳に心が萎え、引き攣る口を意識しながらも、問うことにした。

「あの、なんでしょう?」

「いえ、別に」

 平然と答える声とは裏腹に、彼は両手を膝の上においたまま、なにかを期待するように食卓に身を乗り出していた。ちなみに、犬耳と尻尾はビクビクと震えている。

(ななななに。なんなの)

 戸惑いながら、匙に卵料理をのせる。

 口に入れようとすると、向かい席からゴクリ、と唾を呑む音が聞こえた。

(だから、なんなのっ! こっちの方が緊張するわ!!)

 心内ツッコミながら、咀嚼した。

「あ、おいしい」

 思わず出た評価。

 それは、椿の正直な気持ちだった。

「これ、フロー様が作ったんですか? すっごくおいしいですよ」

 言うと、王子は破顔して頷いた。それまでビクついていた尻尾は、現在激しく振られている。

(…………大丈夫? とれない? 尻尾)

 椿はついそんなことを考えた。

 目の前でかつてないほど喜ぶ彼に、呆気にとられる。

(あ、あれ? 噂では、表情薄いとか聞いたことあったんだけど……気のせいか。そうに違いない)

 独り頷き、食事を再開することにした。

 そして、椿は気づいてはいけないことに気づいた。

 自分も食事をしよう、と匙を手にしたフローの手。

(……え。すっごい切り傷あるんだけど。ちょっと、ねぇ、これ、朝はなかったよね? え、まさか……)

 視線を卵料理におとす。

 確かめたくない心半分、不思議な義務感半分で、覚悟を決めた。

 青年を窺うように上目で見つめる。

 視線に気づいた王子は、黄金の髪を揺らして首を傾げた。

「なんですか? 椿」

「えっ、や、あの……」

「はい」

「その手の傷……まさか、これを作って……?」

 椿の言葉に、フローは苦笑した。ちなみに、犬尻尾は垂れ気味だ。

「庖廚用の刃物は使うのが難しいですね。失敗の連続でした。あ、でも血は多分入っていないので、安心してください」

 あはは、と笑うその笑みが痛々しい。

(――血は多分入ってない……? 多分!? ちょ……っ)

 椿は内心涙を流しながら動きを静止して卵料理を見下ろしたが、心の一部では激しく安堵した。

(でもとにかく――よ、よかった! おいしいって言ってよかった! こんな献身的な人にそんな鬼畜なことを言おうものなら……私は悪魔か魔女かとっっ)

「あ、あとで手当てしましょうか……」と口にしながら、こっそり冷や汗を滂沱と流し、ついでこう思った。

(お前は新妻か!!)と。




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