表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/25

幕間 王子のそんな理由。 (3)




 留守番中のフローは、独り昼食をとる。

 ご飯は食卓に用意されていた。

 席につき、皿にかけられた薄布をとる。

 現れた料理――野菜を挟んだパン――を手にとると、口いっぱいに頬張った。

 ――王宮で作法に慣れている彼は、頬張る、という食べ方をするのははじめてだ。

 だが、食べ方は知っている。

 かつて、王宮の片隅にある使用人用裏庭で、椿がそうしてこの料理を食べる姿をずっと見ていたから。

「おいしい」

 口ずさみ、口元を和ませる。

 独りでたべるご飯がこんなにおいしく感じたのは、生まれて初めてだった。




***   ***   ***




 フローが初めて椿と逢ったのは、彼の魔力が王らに知られる少し前。

 彼が王子であるがゆえに決して表には出さず、けれど瞳はいつだって見下していることを物語っていた官吏たち。

 ぺこぺこしながら、時には根も葉もない噂と陰口を零す貴族。

 ――辟易としていた。

 しかし、フローは己の魔力の力量を隠し続けた。

 国のことを考えたから、だけではない。そんな割合は、心を占める内の、ほんの爪の垢程度。

 ――逃れたかった。この、汚い世界から。

 国民の税で生きていることは知っていた。それでも。

 己を隠し続け、嘲られて生きるのは、呼吸も侭ならないほど息苦しかった。

 当時の王宮は、フローにとっての娯楽はなにもない。

 仕事はほどほどだけこなせばいい。

 否、ほどほどだけでなければならない。

 いつだって皆の前では馬鹿かつ怠惰で。

 ……こんな彼に付きまとうのは、容姿のみに群がる高慢な娘。

 それすらも、鬱陶しくてたまらない。遊ぶことすらも、なにもかも。




 そうして、人の目から逃れるように足を向けた先は、なんの気まぐれか使用人用裏庭だった。

 普段、そこに人はあまりいない。

 騎士見習いたちが訓練に使う以外用途がない、廃れた場所ゆえに。

 それでも、人目につかない場所を探していたフローは安堵した。



 それは、腰ほどの高さしかない木の前を陣取り、腰を下ろ――そうとした時。


 鼻歌がきこえた。

 きいたことのない、曲調だった。

 歌詞をきこうと耳を澄ませば――きいてはいけない歌なのだと気づく。

 フローは肩を小刻みに揺らし、笑う口を拳で隠す。

 そっと身を隠し、木陰から歌の主を探した。

(彼女、ですかね?)

 視線が捉えたのは、肩ほどの長さの黒髪を持つ、娘。

 大きな金網に書物を干していることからして、写字生だろう、と察する。



あ~たま~に まぁ~るいお月様~

ち~がうの それは月じゃないの~

残念~ 無念なハゲ頭~

立派な~口ひげ~頭につけろ~

もじゃもじゃ顎ひげ頭につけろ~

細かい~性格ハゲのもと~

残念無念なハゲおやじ~

嗤う魔術師のハゲ上司

でっぷりお腹の我が上司



 曲調から、おそらく童歌のようだ。ゆえに、きっとこれは替え歌だろう。こんな歌詞の童歌は存在するはずがない。

 もくもくと書物を並べながら、人目がないと信じて歌う娘に笑いがこみあげた。

 歌が下手ならば失笑ものだが、これがまたなかなか上手だ。

「魔術師のでっぷりお腹のハゲ上司……ですか」

 小さく呟き、図書館所属の魔術師を思い浮かべる。

 しばし瞑目して思考に耽ると、思いあたったのは一人の中年。

 そういえば、彼は頻繁に写字生に対し憂さ晴らしをすると、風の噂で度々耳にした。

 つい、噴出しそうになり、口を手で覆う。

 慌てて腰を曲げ、木陰に身を隠し、地面にうずくまって笑い転げた。

(た、確かに、的を射ていますね……っ)

 こんなに笑ったのは久しぶりだ。

 腹筋が痛くなり、地面に仰向けに寝転がる。

 そして――今さら気づいた。

(ああ、今日は晴れてたんですねぇ)と。




 以降、フローは使用人用裏庭にこっそり通うようになる。

 いつだって探すのは、替え歌の娘。

 彼女はいつも昼食をそこでとっていた。

 よく食べているのは、野菜を挟んだパン。

 ……彼女はいつだって、フローの期待を裏切らなかった。

 たまに日干ししている本を手にとり笑って、時に眉を顰め、時に涙をこらえて。

 表面上の付き合いばかりで、フロー自身喜怒哀楽が乏しいために、彼女のころころ変わる表情はとても新鮮だった。

 娘を見ていると、生きていることを実感できた。


 そうして転機が訪れたのは、娘が落ち込んだ表情で大きな封筒を抱えていた時のこと。

 彼女は、封筒を開けることなく、悔しそうに唇を噛みしめていた。

 ――こんな表情は、初めてみた。

 潤む目は俯く拍子に流れた、黒い髪に隠れる。

「――私は、絶対に」

 思い通りになんてなってやらない。

 続く言葉は、涙と共にこぼれた。

 その娘の姿は、それまで傍観を決め込んでいたフローの心を切なく締めつける。

(苦しい――)

 そう、感じた。


 それから、フローは娘が立ち去った後も彼女がいた場所をただ見つめ続けた。

 知りたいと。

 守りたいと。

 傍にいたいと。

 あんな顔は、させたくないと。

 思った。


 そんなフローの気持ちは、思わぬ形で成就することとなる。




***   ***   ***




 フローは食事を終えると、食器を流し台へと運ぶ。

 ――食器を洗う。

 その作業さえ、王子として育った彼は初めてのことだ。

 それでも、椿を見ていたから、できる。

 そして、ふと、思う。

(夕食を用意しておいたら、椿は喜びますかね?)

 思いつくと、胸が躍った。


 フローは椿の笑みを思い浮かべ、拍子に満面の笑みを浮かべる。

 浮かれる心で尻尾をふり、作業へと取り掛かることを決めた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ