幕間 王子のそんな理由。 (2)
王妃が亡くなったのは、フローが生まれるよりも前のことだった。
王は、複数の妾妃を抱えている。だが、その誰も王妃にあがることはなかった。
だからこそ、事態は複雑になろうとしていた。
第一王子は第二妾妃から生まれた。彼は、王族の中でも上質の魔力と、気位の高さを備えていた。生粋の貴族、誰もがそう称す。
そんな彼が生まれた一年後に、第二王子が生まれる。彼は、黄金の髪と灰青の瞳を持つ、絶世の美貌を持っていた。
けれど、美しさなど王侯貴族には求められない。必要なのは、魔力の強さ。
当時、第一王子および第二王子の魔力は、誰もその強さを計ることができなかった。
そもそも、本来、魔力を秘めることは難しい。しかし、強力な魔力を有す胎児は母体を守るため、自然と魔力を隠すわざを身につける。
ゆえに、幼い内は彼らの本当の魔力を知ることは難しい。大人になる過程で、少しずつ、才能は開花されるのだ。
そうして、第二王子の本当の魔力は誰にも知られずに済んでいた。
*** *** ***
事態が動いたのは、第二王子が十二歳を迎える年の頃。
それまで、あまりにも順調に進んでいた魔法の才の伸びが、緩やかにではあるが、進歩がなくなったのである。それだけではない。執務は適当にこなすようになり、怠惰に過ごすことが多くなった。
それは、本当に少しずつ。
異変を感じることさえも、感じる者の才を問うような。
そんな王子を、いつしか誰もが諦めた。――父王でさえも。
その時、第一王子の魔力の才は既に開花し、王族の中では王についでもっとも秀でていると評されていた。したがって――魔力の強さを王位継承に重要視するその国の王太子位は、第一王子が獲得することが決まった。
ようやく王と側近たちが、進歩のない第二王子に対して違和感をおぼえるようになったのは、それからさらに数年が経つ。
ある日、王と側近は”美貌と惰気の塊”と噂される第二王子を王の私室に呼び出した。
「……フロー、お前はいったい、どこまで考えておるのだ」
悩むような素振りを見せる父王は、執務机に両手を組み、重い溜息をつく。
王の両側には側近たちが控えていた。
彼らが真摯に見据えるのは、執務机の前に立たされた第二王子その人だ。
「……おそらく、父上のお考えの通りです」
集まる視線に表情をかえることもなく、歳若い王子は答えた。
「殿下……。殿下の魔力は、いまだ我らに計れない。王宮魔術師の長である、この私でも」
年老いた魔術師長が苦い顔で、フローを見つめる目を細めた。
当時、王子の年齢は十代後半。成人を目前としたその歳は、もう魔力を秘めることなど難しい年頃を指していた。
魔術師長の視線だけで、言葉の意味を察した王子は肩をすくめる。
「それもあなたの予想通りでしょうね。僕は、魔術師長、あなたの魔力を判ずることができる」
つまり、フローの魔力は魔術師長のそれをも凌いでいるということ。当時、国で一番の魔術師と言われている彼よりも。
フローの魔力に触れる機会があったのは、魔術の指導者をしていた魔術師長のみだった。
触れねば魔力の強弱など、わかろう筈もない。
だからこそ、王子への違和感を訝りながらも心のどこかで(まさか)と思っていた臣下たち。
――王子の言葉に、容易ならぬ事態であることを察した面々は息を呑んだ。
「――では、次期王はフローライト殿下、ということになるのでは?」
魔力の強さが第一である、その国ゆえに。
そう魔術師長は躊躇いながら呟く。
「しかしっ! 今さらすぎますぞ! もう既に、第一王子は王太子にお成りなされた……っ」
反駁したのは、この国の頭脳である宰相だ。
王太子任命は……フロー自身も己の魔力を認識しはじめた頃にされたことだった。決して、彼自身、確信できてはいなかった。ただ――諍いの可能性が自分にあるならば、摘み取っておくに越したことはない、そう判じて怠惰であることを望んだ。
――けれど、王も、忠臣たちも気づいてしまった。
――もう、すべてが今さらすぎるのに。
このままでは、政権は――国は、二つに裂ける。
身の毛のよだつ現実を、その場の誰もが悟った時だった。
穏やかな、その場に不釣合いな声が部屋に響く。
「――今のままでいいじゃないですか」
目を瞠り、声の主へと皆が視線を送った。
声の主――フローライトは伏せた目で、どこか遠くを見つめながら、小さく微笑んだ。
「僕は王に向きません。怠惰な僕の姿は、別に偽りではない。――面倒なんです、すべてが。王位争いも政略結婚も、王族に取り入ろうとする伺い立ても」
「フローライト、殿下?」
戸惑う宰相が声を漏らす。
「今のままで、いいじゃないですか」
もう一度呟く彼に、皆はようやく思い知った。
王宮で当たり前のことになっている、第二王子の姿。
職務に対し適当で、貴族に対してのらりくらりと曖昧。ゆえに、後見につこうとする貴族はいない。
彼の母である、第一妾妃の実家は、高位貴族である。その実家が何度かフローに近づこうとしたようだが――結局、彼らはフローを馬鹿王子だと決めつけ、やがて侮るようになった。
第一王子よりも、はるかに劣る第二王子。
勝るのは、容姿だけ。
王位に必要な魔力も、高潔さも気位さえも、すべてがないに等しい。
第二王子の魔力の強弱を誰も知らないは、本当は魔力をほとんど持っていないから。だから、王子は誰にも己の魔力に触れさせない。魔術師であるのに、魔法を使わない。
それが、王宮に流れる第二王子にまつわる噂話。
――したがって、誰も、王太子に反旗を翻そうなどと考えてはいなかった。かわりの王子がいないから。
王はフローを見つめ、立ち上がる。ふらりと彼へと歩み寄ると――膝を折った。
手のひらで目を覆う。そこからは涙が零れている。
「フローライト……お前は……」
しかし、そんな父を見ても、フローはなにも感じなかった。自分という存在は、疾の昔に、父に切捨てられたのだ。
無感動に父を見下ろすと、そっと囁くようにフローは言った。
「僕が望むのはただひとつ。兄の王位継承と同時に、東の地方の公爵位をください」
宰相は片眉を上げた。
怪訝そうに見つめる視線に、フローは柔らかく微笑む。
「ほしいものがあるんです。それには、権力があるにこしたことはない」
「ほしい、もの?」
問う声に、答えることなく続ける。
「過ぎた権力はいりません。ゆえに、僕は父上にも兄上にも謀反を企てることはない。――僕が望むのは、穏やかで愛おしい日々」
困惑する面々。
「――だから、僕になにも求めないでください。僕も、それ以外なにも求めません」
それは、冷厳な絶対零度の声音。
呼吸をするのも苦しい様で顔を歪める父王。
返す言葉も見つからず、呆然と佇む臣下たち。
ただ、フローだけが笑った。子どもが悪戯に成功したような、年相応の微笑みで。
*** *** ***
その後、当時の王宮魔術師長が高齢および魔力の衰えで引退した。
現在の王宮でフローの真実を知る者は、王と宰相を含めた側近の数名のみになったのである。
そんな王宮で、フローは呪いをかけられた。
忠犬に変えるという、魔法。
現在の王宮魔術師の中でも随一の魔力を持つというその娘。
魔法を解く方法は”呪いをかけた娘に解いてもらう”もしくは”恋する娘の愛”が条件にされていた。後者を付加したあたり、相当の自負と傲慢さがあったのだろう。
――けれど、その娘よりもフローの方が魔力は上。
その真実を知るのは、ごくわずかな者たちだけ。
本当は、呪いなど簡単に解けた。
だが、そうしなかったのは――。
一つ。その令嬢よりも強い魔力を持っていると悟られてはならないため。
一つ。この呪いの解呪は、自分の恋の成就に利用できると気づいたため。
王族の結婚は、本来貴族が相手でなければならないと、暗黙の了解で定められている。
しかし、フローが恋に落ちたのは、貴族の娘ではなかった。
実るはずのない恋だった。
諦めねばならないのに、どうしても諦められない恋だった。
だからこれは。
フローにとって、とても都合のよい呪い。
犬の呪いにかかった王子を、誰が婿に望むというのだろう。ただでも好ましい噂など一つもないというのに。
この呪いをかけられた刹那の、フローの側近である魔術師の慌てた様子。
必死に解呪を試み、中途半端に残ってしまった呪いの残骸。
犬耳と犬尻尾を見て、絶望した彼ら。
高らかに笑う令嬢。
――誰が、気づいただろう。
絶望するように俯く王子が、会心の笑みを浮かべていたのだと。