幕間 王子のそんな理由。 (1)
玄関扉が叩かれた。
拍子に、古いそれはギシギシと音をたてる。
現在、家の主である椿は王宮にて勤務中のため、いない。ゆえに、家にいるのはフローただ一人だった。
彼は逡巡したあと、魔力で気配を確認する。もし見知っている者だったならば、居留守を使おうと思ったのだ。
だが、知らぬ気配だった。
椿から「外へ出ちゃだめですからね」と忠告を受けているため、出ようか出まいか迷いながらも――とりあえず犬耳を隠すための帽子をかぶり、ついで絶世の美貌を隠すための瓶底眼鏡をかけた。ちなみにこれらは、出かけ際、椿に渡された代物だ。……なぜに持っている、とフローは思ったが、どうやら昔、彼女が使っていたものらしい。
視力が瓶底眼鏡についていかず、揺れる視界。ふらふらとしながらもなんとか歩き、扉をあけた。外には出ていないから、いいのだ。
「はい? なんのご用でしょうか?」
「あ、椿さん……じゃないし!?」
玄関外にいたのは、そばかすのある青年。
柳眉を顰めながらも舐めるようにフローが視線を滑らせると、彼は一笑する。
「ああ、彼氏さん? こんちはー」
「……こんにちは」
訝るフローに、青年は続ける。
「郵便屋っす」
そう言って、彼は黒い斜めがけ鞄から大きな封筒を取り出した。
「これ、お届けものっす」
「ありがとうございます」
封筒を受け取ると、郵便屋はぷくく…と笑った。いったいなんだというのか。
封筒を見つめていた視線を郵便屋へと向ける。
「いやぁ、また例のやつっすよねー、その中身。彼氏さんも大変っすねぇ。油断してると、椿さんもってかれちゃいますよー。ご実家も必死みたいですから」
まるで中身を知っているかのような言葉。
フローが目を眇めると、青年は慌てて弁護した。
「や、椿さんがいっつもぼやいてんすよ! 『私は実家に戻らない! だから見合いもしないっていってるのにっ! てことで、そのまま返送よろしく。いつものやつで』って。あ、ちなみに”いつものやつ”は着払いってことっす。……あ、あれ? か、彼氏さーん」
「…………」
「も、もしかして、ご存知なかった?」
「…………」
「じゃあこれにて失礼しまっす!」
爆弾を投下し、風のように郵便屋は去っていった。
大きな封筒を手に、フローは長椅子に座りこむ。
まずは帽子と瓶底眼鏡を外して卓に置いた。
――次に、迷うことなく、封筒をあけようと試みる。
(……へぇ。なかなか強力な魔法がかかってますねぇ。椿以外は見られないようになっている)
冷ややかな灰青の瞳で睨み、小さく嘲笑った。
「――小賢しい」
呟かれる言葉は、凍てつくほどに冷たい。
フローの指が、封筒の上を滑る。
すると、破れることなく、封筒は口を開けた。
――魔力をかける者よりも強力な魔力を持っていれば、解呪などわけない。
それが、この世の理。
封筒の中身を取り出し、卓に並べる。
「見合いの釣り書きと……婚姻届?」
よく見て見れば、婚姻届の夫欄には釣り書きにある名前が書かれていた。
フローは釣り書きを手に取る。
「名前は……梓。椿の村の権力者……ですか」
ついで、添えられている似姿に視線をやった。
そこには、淡い灰茶の髪の青年がいた。柔らかそうなクセ毛に穏やかな微笑。顔立ちは穢れなく無邪気、それでいて美しく整った柔和さを備えている。
表情もなく眺めていたフローは、空いている手を宙に浮かせる。親指と中指をすり合わせ――パチン、と指を鳴らした。
刹那、釣り書きと婚姻届、封筒は一人でに青い炎をあげて燃え、ついには灰と化す。
魔女の村の魔法がかけられた、封筒一式。
それらは、本来、強力な魔力にも耐えうる頑丈さを備えている。
けれど、フローの、小さな魔法で燃えた。
――王位継承権第二位を持つ、この国の第二王子 フローライト。
彼は、国一の魔力を秘めていた。
その真実を知るのは――彼と、王、そして彼らの忠臣のみ。




