幼馴染のそんな理由。 (4)
「――きの家に?」
「……ああ。あの娘を妾にしようとしているらしいな」
「兄さんは……」
「あの娘の魔力は弱い。梓サマがなんと言おうが、正妻には無理だ。一族も村も許さない。――妾にしたいのなら、グズグズせずにさっさと手中に収めればいいだけの話。……あの一族の家格は低くないからな。揉めれば、後々面倒だ」
吐き棄てるようで、どこか鼻で嗤うような声に、「……そうだね」と異母弟は小さく答えた。
――誰よりも父によく似た異母兄。
彼の答えは間違っていない。少なくとも、その村では。
突きつけられた現実に、偶然彼らの会話を耳にした梓は立ち竦んだ。
その話を聞いてしまったのは、夕食会の開かれる部屋へ向かう廊下でのこと。
異母兄弟たちは、梓の存在に気づくことなく目的地へと歩を進める。
ただ梓だけが、地面に足が縫いとめられたままだった。
(……妾……?)
彼らの話だけで、それは椿のことだとわかる。梓が求めているのは、椿だけなのだから。そして、家格の話からは、椿を妾に望んでいるのが村でも程ほどの権力を持つ者だということが容易に察せられる。
(妾……? 正妻じゃなく?)
一夫一妻を望む椿。椿の傍に在ることを望む梓。
叶いそうで叶わない梓の願いは、椿の魔力が弱いために叶わない。あるいは、梓の魔力が弱ければ、叶ったのかもしれない。
心の中では、いつだって椿の望みと自分の願いの天秤が揺れていた。
梓が諦めれば、椿の望みは叶うかもしれないと、心のどこかで知っていた。ただし――椿を、どこかの権力者が望まなければ、の話であることも。
(このままじゃ……駄目だ)
このままでは、自分の願いはおろか、椿の願いさえも叶わない。
動揺で揺れる紫の瞳。無意識下で唾をごくり、と嚥下する。
――もう、とやかく言っている場合ではなかった。
かつてないほどの焦りの中、必死に思考をめぐらす。
(どうしたらいい? どうしたら――っ)
梓は緩やかに波打つ灰茶の前髪をくしゃりと握る。
俯けられた顔は悔やむように、嘲笑するように歪んだ。
「猶予が残されていないことに、いまさら気づくなんて――……」
しばしの思考の後――。
そうして、心の天秤は、梓の願いへと傾いた。
嫁げるのは、十五から。一人前だとされる、その歳から。
――ならば、縁談が本格化する、その前に。
「囲えば……いい」
そうすれば、椿を奪われることはない。誰の目にも触れないようにすれば、いい。
不思議と、椿が奪われるのは、自分のもとからだと思いこんでいた。彼女は彼女のものであり……もし例えることができたとしても、一人前になっていない椿を奪われるのは、梓のもとからではなく、両親のもとからであるというのに。
梓は、そのことに気づかなかった。
ゆっくりと顔を上げたそこに浮かぶのは、柔和な微笑。
前髪を握っていた手の力を抜き、するりと目線まで落とす。
――この掌にあるものは、まだ、零れ落ちてはいない。
梓は、ぐっとなにかを掴みとるように、拳を握った。
――その日の夕食会で、梓は父に椿を妾にすることを伝える。
父は、村の在り方に折れた梓に満足そうに頷いた。
椿を妾にする旨を記した正式な書類は、彼女の家に翌朝の内に送付された。
*** *** ***
父に宣言した言葉は、なにも嘘ではなかった。
『椿を妾にする』
考えて、考えて考えた末の結論だ。
――椿を妾にし、正妻は迎えない。
椿の望みと、自分の願いを叶える方法として、選んだ答え。
嘘など、言ってはいない。父にも、一族にも、村にも。
ただ、梓は考えるすべてを口にしていないだけなのだ。
そもそも梓には、椿が自分以外の権力者の妾になる話を聞くまで、ずっと考えていることがあった。
ずっとずっと考えていたけれど、心の中に秘めていた、選択肢の一つ。
それは――椿と共に、村を出る、という選択。
椿を正妻とすることは、村の内界の掟を破る行為であるため、死を覚悟せねばならない。椿をも命の危険にさらすことは避けねばならなかった。
ならば、外界へ行けばいいのでは、と、傷つく椿を見て気づいた。
椿は魔力が弱いから、外の世界を知る機会はない。だが、梓は権力をいずれ持つであろうことから、外界を知る機会があった。
本来ならば、権力を持つ者はその矜持から村を出て行くことはしない。しかし、権力者なる者は外界のことを知らねば国においていつか利用されかねない。
ゆえに梓は、外界についての教育を受けた。
そして、思う。
きっとそこならば、椿は差別を受けることなく生きられるだろうと。
もしかしたら、椿は村での限られた幸せではなく――もっと多くの選択肢が得られるのではないかとも。
けれど――現実として考えた時、椿は外界へ出ることを選ばないだろう。
彼女は、両親を愛している。そんな椿が、村を捨て、家族を捨ててまで外界を望むだろうか?
梓は、ずっと両親の笑みを見るために傷だらけになって魔法の練習をする椿を見てきた。
ともすれば、外界へ出る、という選択が拒絶されることは、本人に訊かずとも予想できる。
――それでも、守りたかった。
椿を見ていると、自分を犠牲にして――自分が枯れることも厭わず、他人に水を差し出し、誰の目にも触れない場所で儚く散ってしまうような、そんな気がしたのだ。
散る、という表現はおかしいのかもしれない。
でも、花が落ちる瞬間も見せず、気がついた時には木そのものが枯れている姿を想わせてならないのだ。
村を出ず、梓の望みと椿の望みの妥協点となり、さらに梓が椿を守るには、どうしたらいいのか。
そう考えた結果――梓は椿を妾にすることを決めた。
*** *** ***
それからしばらくして、椿は初潮を迎えた。
梓はそれを機に、権力を使って椿を家から出られないよう指示する。
彼女の両親には、生活に困らないだけのお金を渡し、梓自身は椿を奪われないよう、誰よりも強くなるための修練に励んだ。
次第に、椿の両親は農地を耕すことをやめ、梓の家から渡されるお金だけで生活するようになった。私腹を肥やしている様が、両親のふくよかになっていく体型からありありとわかる。
そんな様を目にすると――時々、梓は自分の選択が間違いだったのではないかと思うことがある。
彼女の両親が梓と接する態度に、椿の話の中の彼らが欠片も見られなかったのだ。過ぎた財が、椿の愛する両親を変えてしまったのかもしれない。
だがもし――椿が誰かの妾になっていたとするなら、梓が動かずとも結果は同じだったと、自分に言い聞かせる。
そうして、梓は会えないかわりに本を贈った。
外界の本を。
そこにある価値観や倫理観は、村のものとは異なる。
――椿に知ってほしかった。
自分が一番でいいのだと。自分を犠牲にすることなく、自分の幸せのためだけに生きてもよいのだと。魔力の強弱など関係なく――椿は椿の幸せを求めてもいいのだと。
矛盾していることなどわかっていた。
椿を求め、彼女の環境を壊したのは梓だ。それでも――……。
(俺が守るからね)
椿にどんなに責められても、「ごめん」とは言うことはできない。――もし、時間が戻るとしても、梓は何度だって同じ選択をするだろうから。
椿の両親に申し訳なさを感じながら、けれど変わってしまった彼らに、もう椿を委ねておくことはできないと思う。
結局、椿の両親は椿を連れて村を出る、という選択をしなかったのだ。彼女が妾になる、という話が出た時、椿の幸せを願うのならば、村を出て行くべきだっただろう。
(――椿)
今、梓の中にある感情。
自分のものになるという喜びと。守ることができるという安堵と。
――初恋が、いつしか狂愛に変わっていた。
その異変に、梓は気づくこともなく。
もうすぐ椿は自分だけのものになるのだと、狂喜すら感じるようになっていた。
そして――。
椿が十五になる前夜。
彼女は村から姿を消した。




