幼馴染のそんな理由。 (3)
父の書斎は常に空気が重い。
常に寄せられる眉間の皺、温かさを感じさせない目、そのどれもが不機嫌そうに見える。
カツン、と人差し指で執務机を叩く彼は、彼自身が呼出した梓に指で叩いたそれへと注意を向けたいらしい。
父の意図に従い、梓が執務机へと視線を向けると、姿絵が数点並べられていた。
どれも着飾った、梓と同世代であろう少女が描かれている。
訝るように梓が父へと視線をあげれば、彼は淡々と語る。
「どれもお前の妻にふさわしい娘ばかりだ」
それだけを発した父の言葉であったが、言いたいことはわかった。
「……見合いをしろと、いうことですか?」
問えば、父は目を細める。
苦虫を噛み潰したような顔をした梓を観察するように射貫く鋭い視線に、梓は唾を呑み込む。
そして、父は言った。
「――梓、あの娘は妾にしろ。正妻には魔力の強い娘しか認めん。これは私だけの意思ではない。村の意思だ」
梓本人でもはっきりと自覚していない感情を見抜いた父に、思わず後ずさりする。
動揺していることが、梓が椿を求めている証明だった。
心は揺れるのに、どうしても「是」という言葉を紡げなかった。
そうして脳裏に過ぎったのは、両親のことを話す椿の姿。
あまり笑まない彼女が笑う、数少ない機会。
その笑みを見ると、彼女が本当に両親から愛され、彼女自身も愛しているのだとわかる。
椿は、そんな両親のことを嬉しそうに話していた。
――お父さんとお母さんは、私の理想なの。
――私もいつか、二人みたいになりたいって思ってる。
恥ずかしそうに頬を染めた椿に梓の顔も緩んだが……心がスッと冷えた感覚もした。
椿は、梓と育った家庭環境が違う。
彼女の両親にはどちらにも愛人はおらず、ゆえに椿が理想としているのは一夫一妻ということだ。
……椿は、魔力が弱かった。少しずつ上達はしているが、梓の正妻になるには程遠い。
現実を直視すると、手が震えそうになる。それを堪えようと拳をつくれば、汗が滲んだ。
この時から、梓は焦燥感を抱くようになった――。
*** *** ***
梓は家庭教師の講義が終わると、椿と魔法の練習をするために箒を持って学び舎へと向かう。
既に日課となったそれは、実に穏やかな時間だった。
学び舎につくと、建物のすぐ傍で待つ。
ちらほらと授業が終わっているようで、ぼんやりと空を見上げていると、声をかけられた。
「梓様!」
よく知る声に振り返れば、異母弟がそこにいた。
駆け寄ってくる彼は、友達であろう数人の少年を供にしている。
それを皮切りに、他の生徒たちも梓を取り囲むように集りはじめた。
――彼らは、梓が将来権力を握ると思っているのだろう。
かつてあんなに求めていた友達の存在だったが、どうしてか、今は椿だけいればいいと思うようになっていた。
もしかしたら、彼女の瞳には幼いながらの野心や親の言いつけゆえに取り巻きとなりたいという心情がみられないからかもしれない。
「椿を待ってるんですか?」
ちょこん、と首を傾げる異母弟に、梓は笑みを返す。
「椿の学級は、もう授業終わってる?」
答えたのは、知らない少女の声だった。
「はい、もう終わってると思います」
頬を染めて目を伏せる少女は、答えながらもじもじと身を捩っている。
「そっか」と頷きながら、梓は少女が見覚えのある娘であることを思い出す。
(……確か、父上が用意した見合いの姿絵にあった……)
苦い気持ちが過ぎり、目を逸らそうとすると、少女は突如梓になにかを差し出す。
「あのっ、これ、作ったんです。……よかったら」
目を丸くして少女を見下ろす。
少女の手には、菓子袋が握られていた。
困惑して視線を彷徨わせると、鋭い視線に気づいた。
(……異母兄さん)
学び舎は、梓の存在しない異母兄の領域だったことを悟る。申し訳なさと溜息をつきたくなる感情を呑み込めば、周囲が少女の応援をはじめた。
「梓くん、柳ちゃん、可愛いだけじゃなくて、お菓子づくりがうまくて、魔力も強いんだよ」
その言葉に、少女の名前が柳だと知る。
「もう、やめてよ」と恥らう柳は、ふわふわとした緩やかな曲線を描く栗色の髪、碧の瞳は形よく、確かに客観的に見れば可愛らしい容姿をしていた。けれど、主観的に見れば、梓にはまっすぐの黒髪を結い、瓶底メガネの向こうにある黒い瞳で梓と正面から向きあう少女の方が好ましい。
ついで、少年が柳を推す。
「椿は魔力が弱いからなー。梓くんには柳ちゃんの方が似合うよな、みんな」
同意を求める彼に、周囲はにやにやと口角をあげた。
「あー、柊くん、好敵手減らすつもりだー」
「椿ちゃんのこと好きだったから虐めてたんじゃないのー?」
茶化す周囲に、少年は真っ赤な顔をして声を荒げた。
「――っっ、ちげーよっ!」
あわあわと必死に否定する彼の姿に、梓は驚かずにはいられない。
……虐めは、対象を好ましくないからする行為だと、思っていたのだ。
(――違うなら、なんで目の前にいる彼は、目を泳がせて赤面する?)
息を呑む彼の様子が気にかかり、柊少年の視線の先を追えば、椿が遠くからこちらを見ていた。
渦巻く独占欲。
他の男に椿の名を呼ばれるのも嫌だった。
傍にいるのは、椿だけでいいと、思った。
激情を隠しながら、取り繕うために笑みをつくる。
「ごめんね」と少女の菓子をやんわりと断り、早く椿をこの場から攫いたいという感情から彼女のもとに駆けた。
*** *** ***
飛行魔法の練習をする時は、いつも地面が柔らかく、障害物の少ない草原を選んだ。
学び舎からの移動に使った箒から降り、梓は練習を促す言葉を紡ぐ。
「じゃあ椿、はじめよう」
そう言って、箒を少女に手渡した。
椿は箒に跨ると、集中するために目を閉じる。
だが、しばし待っても椿の足が地面から浮くことはなかった。
梓の心に広がる焦り。
今、椿の魔法の上達を誰よりも望んでいるのは、他でもない梓かもしれない。
縋るような気持ちで目を瞑ったままの椿を見つめる。
(――椿、お願い)
いても立ってもいられない気持ちで、梓は一度深呼吸すると、箒の柄を握る彼女の手に手を置く。
目を開け、瞬きながら梓を見上げる椿に、落ち着いた声音を心がけて囁いた。
「椿、ちょっと姿勢を低くして」
言われたまま身を屈めた椿の後ろに、梓は跨った。「あの、梓……」と戸惑う反応を見せる椿に気づきながら、背後から彼女を包みこむような姿勢のまま、彼女の手に再度自分のものを重ねる。
顔を赤らめた椿に、自然と頬が緩む。彼女が意識してくれたことが嬉しかった。
その姿勢のまま、梓は椿の耳元で指導する。
「いい? 体でおぼえて」
梓の言葉に、羞恥で俯きながらも椿は頷いた。その様子に梓の心は満たされる気がした。
「いくよ」と合図を送り、箒に魔力を送る。
地面から二人の足が離れると、梓は椿との距離をさらに縮める。
「目を閉じて、感覚をつかんで」
そうして椿が指示の通り瞑目をはじめると――梓は自分の魔力を椿にも送り込んだ。
――椿の魔力が少しでも強くなったらと、願う。
椿が一夫一妻を望むのなら、梓の願いは彼女が正妻となるべき存在にならねば叶わない。
そして――椿自身、魔力が弱いままだとしたら、梓と恋をすることを拒むか……最悪の場合、眼中に入ることもないだろう。
焦りとやるせなさに息が詰まる。
そんな梓に違和感をおぼえたのか、椿が振り返り、「……梓?」と首を傾げた。
梓の気持ちを、椿はどこまで察しているのだろうか。
……もし梓の恋に椿が気づいていなかったとしても、椿はなんの罪もない。梓が恋の成就を願って椿の魔力が高まることをどれだけ祈っていたとして、そしてそれが叶わなかったとしても、椿が悪いわけではない。
それは、梓の願いであって、椿の願いではないのだ。
椿はただ、両親が悲しむことのないように、魔法の上達を願っているだけだ。
それでも。願ってしまうのだ。
(――椿、お願い。強くなって。――……俺の魔力を差し出せたらいいのに)と。
まっすぐに見つめてくる曇りのない漆黒の瞳を見つめ返せば、気持ちを抑えこむことが難しくなった。
「――椿……俺は……」
そこまで口にして我にかえり――ゆっくりと一度目を閉じて心を静めようと意識する。
再び目を開け、穏やかな笑みを浮かべるように努力した。
「梓……?」と問う声。
梓は、灰茶の髪を揺らして答える。
「ううん、何でもない」
願いは、心の底にそっと沈めた。




