幼馴染のそんな理由。 (2)-3
――娘を拾ったと?
父の元に報告へ行かずしても、既に彼は情報を得ていた。
個人情報すら筒抜けであることを知っていたつもりだが、今実感する。
梓は頷き、少女の目が覚めるまで彼女を看ることを願い出る。
父の返事は、一言。
「その娘を気に入ったのか?」
その言葉に、なぜか心を見透かされた気がした。思わず動揺して体が震えると、父は喉の奥で笑う。
「お前が誰かに執着するのは初めてだな。――魔力が強い娘ならば正妻に迎えればよい。弱い娘なら妾にすればよい。お前の魔力ならば妾を囲うこともできるだろう」
それが、この村の理だ。
続く言葉に、当時の梓は疑問をおぼえることもなかった。
梓の一族では、それが当然だったのだ。
ゆえに、梓は静かに頷いた。
――少女の魔力が強いことを願いながら。
*** *** ***
報告を終え、部屋に戻ると、少女は既に寝台の上で目覚めていた。
浴室で拭われただけでなく、水を浴びたのか、漆黒の濡れた髪はほどかれ艶を帯びている。
血も土も落とされ、すっかりきれいになった少女に梓は歩み寄った。
一途に見つめてくる黒い瞳に緊張しながら、尋ねる。
「体は大丈夫?」
少女は目を丸くすると、躊躇いながら口を開く。
「だい……じょうぶ。……あの……ここ……」
困惑するように首を傾げる彼女に、梓は苦笑した。
「ここは俺の家だよ。……木から飛び降りたのは覚えてる?」
問えば、少女はこくりと頷く。それに、梓はほっと息をついた。
「記憶の障害はないみたいだ。よかった。……驚いたんだよ。散歩していたら、急に木から女の子が降ってきたから」
本当は、散歩ではなく、友達が欲しくて学び舎へ向かう途中だった。けれど、なにも知らない少女にはそんな事情はいらない情報だろうと端折る。
責めたつもりはなかった。なかった、が――少女の表情は陰る。
「……あの、ごめんなさい」
彼女が謝る理由が梓にはわからない。
受けるのならば、「ありがとう」がよかった。しかし、彼女は「ごめんなさい」と言ったのだ。ふいに、少女が血にまみれながら呟いていた謝罪の言葉を思いだす。
そして思ったのは、彼女は守られることに慣れていないのかもしれない、ということだった。
梓は少女の気持ちが軽くなることを祈り、言葉を紡ぐ。
「謝らなくていいよ。それより、もうちょっとゆっくりしてて。まだ体調は万全じゃないだろうから」
すると、少女は思いたったかのように自身の体を触り始めた。
その慌しい行動に、あるはずの傷を探しているのだろうと気づく。
「大怪我してたんだよ、命も危ういくらいの」
目を見開く少女が混乱するように梓をまっすぐ視線で射貫いた。
「その場で応急処置はしたけど、完全じゃなかったから、ここでしっかり完治させた。緊急だったから魔法で癒したけど……細胞に無理やり働きかけたわけだから、しばらくめまいだけはすると思う」
途端に、少女は混乱から焦燥を見せる。まっすぐに梓の瞳を見つめていた視線が彼女の手元に落ち、顔が俯けられた。
「あのっ、ありがとうございましたっ。このお礼は必ずします! 何年かかっても必ず――っ」
少女の言葉に、梓こそが驚く。
確かに、梓がいなければ少女の命はなかったかもしれない。命の恩人といえばそうなのだろう。けれど――彼女の言葉は、お礼と謝罪が色濃く、自分が生きていることへの喜びを感じ取ることができなかったのだ。
彼女は、自分を蔑ろにしている気がした。
だからこそ、彼女は大木から身を乗り出したのではないかと思った。
「自分を大切にして」と伝えたくて、梓は少女の頭を撫でる。
「あの……」と疑問符を浮かべてそうな彼女に、微笑みかける。
「気にしないで――って言っても、君は気にするだろうなぁ。……そうだ、まだ名前訊いてなかったよね?」
少女が頷くのを見ると、「君の名前を教えて」と続ける。
「椿、です」と少女は小さく答えた。
(――椿)
梓は脳裏で反芻させる。
ついで、言葉にした。
「椿……」
少女にぴったりだと思った。たった一輪しかなくとも、美しく咲き誇る姿が少女と重なる。思い浮かべれば、顔は緩んでいた。
「椿、か。俺は梓、よろしくね」
そうして、弾む心のまま少女に一つの頼みごとをする。
「――もし叶うなら、一緒に遊びたいな」
「遊ぶ?」
「そう。俺、学び舎には行ってないから。……椿は通ってるよね?」
少女は恐らく、梓とそう年齢も変わらない。もしかしたら、異母兄弟の同級生かもしれない。
頷いた少女に、(やっぱり)と思う。……学び舎に通うことが許されるなら、梓も皆にまじって授業を受けたかった。そこで笑って、喧嘩して、仲直りして……。そんな日々を、梓は夕食会で異母兄弟たちが報告するたびに羨んだ。
それでも、学び舎へ通うことは多分ない。だから――。
懇願するような心持で梓は言った。
「じゃあ、その帰りに、一緒に遊ぼう? それが、お礼」
この言い方は卑怯だと思う。”お礼”と言われれば、きっと少女は断れない。案の定、彼女は”お礼”という単語に反応を見せた。
しかし、頷くことはない。
断られることを恐れる心。内心怯えるそれを隠しながら、梓は促す。
「どうしたの? ……嫌、かな?」と灰茶の髪を揺らせば、彼女は首を横に振り、「……そうじゃなくて……」と続けた。
「魔法の練習、しなくちゃいけなくて……」
その言葉に、どれだけ梓の心は安堵しただろうか。
緊張を緩めるように、息を吐く。そして、次の提案をした。
「じゃあ、一緒に練習しよう。それだったら、いい?」
どうしても、断られたくなかった。
そこにある感情は、友達がほしい、という欲求と、少女を守りたい、という庇護欲。どうしてこんなに彼女に固執するのか、当時の梓は気づかなかった。守りたい、という感情がどこから起因するのかも。
ただ、笑って頷いた椿の反応が嬉しかった。
嬉しくて嬉しくて――小指を絡ませて約束を取り付けたその感触も、心を温かくする要因になった。
*** *** ***
その後、椿を彼女の家の前まで送ると、自宅へ帰ってから彼女について調べた。
結果――彼女の魔力が弱いことを知る。
そしてそれゆえに、学び舎でも虐められているらしい。
彼女の両親も魔力が弱く、野良仕事で生計をたてているようだ。
――「ごめんなさい」と大怪我をしながらも謝り続けていた椿。
それは、誰に対しての謝罪だったのだろうか。
調べれば調べるほど、彼女への庇護欲が掻き立てられた。
そうして、椿と魔法の練習をしている時、梓は訊くことにした。
どうしてそんなに必死に魔法の練習をするのか、と。
そして得た答えに、梓はわずかに目を瞠る。
「私の魔力が弱いから、お父さんとお母さんは悲しんでるの。二人が悲しいと、私も悲しいから……」
睫毛を伏せて笑んでいる椿。
風に黒髪が靡く。
そんな彼女が、ひどく儚く見えた。
心が冷える感覚に、梓は言葉を呑みこむ。
―― 一種の自己犠牲だと思った。
大木から落ちたのも、飛行魔法の練習をしていて、と言った彼女の迷いのなさに――いつか彼女は死んでしまうのではないかと思った。
そんな彼女を、どうして誰も守ろうとしないのだろう。
ならば、と思う。
(――俺が椿を守る)
そう、誓った。




