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写字生と犬(仮)。  作者: えんとつ そーじ
本編完結後番外編
21/25

幼馴染のそんな理由。 (2)-2




 梓の家から学び舎への道のりには、並木道がある。

 人気のないそこは少しばかり寂しく、幼い日に異母兄弟たちとその場所で遊んだ記憶があるからこそ、より胸を締めつける。

 そんな気持ちを抱き、歩いていると。

 なにかが大木から落ちるのが見えた。

 遠目だったため、なにかはわからない。

 はじめは動物かと思った。だが、すぐに木に登る動物にしては大きいことに思い至る。

 怪訝に思いながら歩み寄ると、足元に割れたメガネが落ちていた。

 メガネ……つまり、大木から落ちたのは人だと、察する。

 目を丸くしさらに前方を見やれば、視界には地面にうつぶせた少女がいた。

 かすかに聞こえる声は、震えている。

 驚きに呆然としてしまい、少女の声に(痛いのかもしれない)とぼんやり思った。

 そして、その梓の耳に届いた言葉が「ごめんなさい」という謝罪の言葉であることに気づく。

 その言葉に、ひどく惹きつけられた。

 急いで少女の元へと走り、屈む。

 少女の傍にあるのは、壊れた箒。

 おさげの黒髪は乱れ、胸部は上下しているが、地面には血が流れていた。

 梓の背筋に冷たいものが走る。

 血に濡れた地面であることもかまわず、両手をついて彼女をのぞきこんだ。

 うっすらと開かれた双眸から、黒い瞳が少しだけ覗く。

 助けたいと、思った。なぜか悲しそうな目をしている少女を。謝罪を口にしていた彼女を。

「大丈夫? ねぇ、君っ、意識を保って!」

 助けたいのに、彼女の呼吸は不規則になっていく。

 必死に呼びかけても、彼女が答えることはない。

 そのまま、少女は意識を失った。

 地面に流れる血と雑音のまじる呼吸音は、梓に危機感を抱かせる。

(――家まで連れていってから、医師に処置してもらった方が……)

 梓は棘の刺さる少女の手を両手で包んで見下ろしながら思考する。

 少女の状態から、治癒魔法があれば、と思う。梓も治癒魔法は習ったが、いかんせんそれは高度な魔法であり、実践の初めが怪我のひどい彼女であることに不安がよぎる。

(もし、失敗したら……)

 動揺と躊躇に揺れながら、少女の顔を見た時――彼女の目尻から、涙が伝った。

 先ほどの彼女の謝罪を思い出す。

(俺が、守らなくちゃ――)

 それは、初めて抱く強い思いだった。

 梓は迷いを断ち切ると、自分に出来うる治癒魔法を施す。自分の魔力を多く消耗し、彼女の体に流すこの魔法は、限界を超えれば梓の身もただでは済まない。そもそも、梓はまだ子どもであり、魔力と才はあるが、高度な魔法を行うには体力が足りているとはいえないのだ。

 それでも、彼女の応急処置が終わるまで、梓は治癒し続けた。

 そうして梓が気だるさをおぼえる頃、ようやく少女の出血はとまり、呼吸音にも雑音は感じられなくなった。

 ついで、少女を背負い、道を戻って家を目指した。




***   ***   ***




 家につくと、梓は出迎えた使用人に治癒魔法のできる医師を呼ぶよう命じる。

 驚くように目を丸くする使用人だったが、いつになく険しい梓の表情を見れば慌てて踵を返した。

 医師が来るまでの間に椿を自室に運ぶ。

 残っていた使用人が「私が運びます」と手を伸ばしたが、それを制して前に進んだ。

 正直、大量の魔力を椿に差し出し大方の治癒をしたため、体はへとへとだった。それでも、なぜか自分以外の他人に椿を渡したくないと思った。


 ひとまず、椿は梓の部屋にある長椅子に寝かされた。彼女が血と土に汚れていたからだ。

 梓はそうだとしても、彼女を寝台に寝かせるつもりだったが、使用人たちはそれをやんわりと拒否した。汚れや害虫が寝台につくと、骨組みを除いた寝台丸々干したり洗ったりしなければならないためだろう。……梓の寝台を整えるのは使用人であるため、仕方なく了承する。

 仰向けに寝かされる少女の顔色は最初よりはマシになったものの、現在も良好とは言いがたい。

 応急処置はした。それでも、不安が拭えない。

 閉ざされた瞼の向こうに秘められた黒い瞳を見せてほしいと願う。

(目を覚まして)

 初めて接する、一族ではない少女。

 彼女の存在はまるで、天使や妖精のようだった。

 涙の跡を親指の腹で拭い、自分のものより小さな手をとる。

 そこに刺さる棘に気づくと、梓はまた治癒魔法を施す。

 本当ならば、魔法に頼らない方が少女の細胞に無理をさせないため、いいのだろう。けれど、梓が医療に関してできることは少ない。ゆえに、魔法を使用したのだ。

 きれいに完治した手を握り、祈るように待っていると、扉から老齢の医師が現れる。

「梓様、お久しぶりです」

 そう言って目元を和ませた彼の目尻には皺が刻まれた。

「先生、彼女を診てくださいっ」

 これで少女が助かる、という安堵から、泣きそうに顔を歪ませ、頭を下げる。きっと、父をはじめとした一族の者は、次期当主候補である梓が人に頭を下げる行為を望ましくないと思うだろう。それでも、梓は頭をあげることをしなかった。

 医師は僅かに目を瞠ったが、すぐに「かしこまりました」と答え、少女の眠る長椅子に歩む。

 少女の手首や首の脈を確認し、瞼を押し上げる。

「梓様が見つけた時、この娘の様子はどのようなものでしたかな?」

 柔らかく問う声に、「血がたくさん流れていて……呼吸がおかしかったです」と呟く。

 すると、彼は少女の腹部や肋骨へと手を伸ばし、次第に眉根を寄せた。

「…………梓様、治癒魔法をお使いになられましたか?」

 瞬間、梓の体はびくりと震え、気づいた医師は溜息をつく。

「緊急事態ゆえ、仕方のないことだったでしょう。ご安心ください。この娘は命に別状ありません。傷も小さなものばかりですし、大量に流れただろう場所の傷は完全に塞がっております。呼吸も問題ありません」

「――よかった」

 胸を撫で下ろす梓だったが、医師は困ったように笑むと、小さな少年の頭に老いた手をのせる。

「……ですが梓様。まだあなたは幼い。高度な治癒魔法をあなたが使えば、最悪死に至る。今回はご当主には秘密にしましょう。しかし、今後はお気をつけください」

 優しい忠告に、梓は頷く。

 この老齢の医師は、いつだって温かく梓に接してくれていたのだ。

「ありがとうございます、先生」と眉尻を下げて笑うと、医師は孫を見つめるように慈しむ微笑で返した。


 医師と入れ違いに、女性の使用人が部屋に入ってきた。

「梓様、ご当主に報告に行かれた方が……」

 気まずげに視線を逸らしながら言った彼女の真意を察する。

 梓がつれていたのは、一族外の少女。どこの馬の骨とも知れないと思っていることは、使用人の顔を見れば一目瞭然だった。しかも、次期当主有力候補である梓がつきっきりで看病しようとしているのだ。――それは、使用人たちにも将来なんらかの影響がある可能性が考えられる。

 少女の目が覚めるまで傍にいよう、と思っていたが、梓は嘆息して少女の手を離した。

「……父上のところに行ってくるよ。その間にこの娘の汚れを落として、終わったら寝台に寝かせておいて」

 不機嫌を隠すことなく、梓は告げた。




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