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8.写字生、犬(仮)をまた拾う。※決定。 (1)


 本棚に囲まれた閲覧専用区域は、来客時によく応接室代わりにされていた。

 もともと、図書館所属の写字生に込み入った話をする重鎮など滅多に存在せず、重要な案件は写字長にまわされるから、応接室などはじめから造られていないのである。

 だから、王宮魔術師の中でも上層部にあたる防衛局長に就任した梓のために部屋を用意することができなかった。しないのではなく、できない、ここが重要だ。

 したがって、図書館では貴重な書物を半永久的に保存するため、飲食が禁止されているから、いくら身分はあれど梓に茶も菓子も用意されてはいないのは当然のことといえよう。

 椿は梓の正面席につくと、そっと深呼吸する。

 そんな彼女の一挙一動すら見逃さぬように向けられた視線に居心地悪さを感じながら、見据えるように俯けていた顔をあげた。

(……本当に、変わってない)

 椿の目の前にある、二つの青みがかった紫の瞳は、濁ることなく、宝石のような美しさを有している。穢れなき、と評しても差し支えのない笑みも――なにからなにまで昔のままだ。

 彼を見ていると、思考まで昔のままなのではないかと、椿は思ってしまう。時間の流れは必然的に変化を促し、不変など人間には不可能だと知っているというのに。

 まるで虎の威を借る狐のようになってしまった両親を思い出し、ため息を呑み込んで低く問う。

「梓、どうしてここにいるの?」

 色々言葉は省いたが、彼にはこれで通じるだろう。

 鋭い視線をなげれば、案の定、梓は椿の真意を汲み取り、柔らかそうな灰茶の髪を揺らした。一緒に垂れた犬耳も揺れる。

「その理由わけは、椿自身、よく知ってると思うけど」

(わからん。わからんから問うている!)というもどかしさを眉間の皺にこめ、椿は目を細めた。

 すると、梓はにんまり笑った。

「ほら、夫婦は一緒にいるものだろう?」

「は? 夫婦? 誰と誰が?」

 即座に反駁すれば、梓も答える。

「俺と椿」

「梓と、っていうのはまぁいいとして――どこの椿さんでしょう? もちろん私ではないのは確かだよね? ああ、うん、答えなくていいから、大丈夫、わかってるわかってる。祝福してほしいってことだよね、了解した。おめでとう、梓!」

 ぱちぱちぱち、と祝福の拍手をおくれば、梓が何かを言おうと口を開く。けれど、それを遮るように、椿は拍手をやめ、言葉をついだ。

「……私、梓との縁談に了承したおぼえはないよ。そもそも、無理だってわかってるよね?」

 思いのほか、声は平坦で冷ややかなものが発せられた。

 ――椿だけではなく、梓だって村の掟は熟知している筈なのだ。椿は村を十五で出たが、彼はつい先日までずっとそこで暮らしていたのだから。

 かの村で、魔力が弱い椿は、魔力の強い梓の正妻になることはない。たとえ梓が権力を持ち、どんなに望んだとしても、それは叶わない。一権力者の望みを例外的に認めれば、掟は効力をなくす。掟を破れば罰せられる――そうでなければ、秩序は保たれない。

 掟を破るという行為は、安易なものではなく、本来はどんな理由があっても許されないし、もし破るというのなら命をかけた行為でなければならないのである。

 椿は、自分の未来をかけて村を出た。村の掟の中でも、外界に出る、という選択は厳罰にまではあたらない。それよりも、内界での違反こそが秩序を守る上で、最も許されざる対象とされているのだ。だからこそ、椿は容易ではなかったにしろ、村を出ることができた。

 そして、出ようと思ったのは、自分の未来が梓の妾になることの一択しかないと、察したから。

 では、梓は?

 村の在り方そのものを否定するかのような行為を、彼はするというのだろうか。内界の理に反してまで。

 椿が(信じられない)とでもいうように、怪訝な眼差しを向ける。それでも、梓の纏う空気はどこか揶揄が感じられた。

「縁談、了承してくれたと思ってたんだけどなぁ。こっそり俺の署名入りの婚姻届も封筒に同封して送ったのに、今回はそのまま返送されなかったし」

「……婚姻届?」

 そんなもの、受け取ったおぼえはない。

 椿が目を瞬きながら、「そんなの、届いてない」と正直に言えば、梓は目を丸くした。

 けれどそれも、「……え?」とわずかに声を漏らした後、すぐに目を眇められる。

 今、梓の脳裏をよぎるのは、犬耳と犬尻尾を持った、傾国の美貌を持つ青年。黄金の髪と灰青の瞳を持つ彼は、椿の家を訪ねた梓に、隣の家へ行くことを勧めた。――あれは、椿と梓を接触させたくなかったからだろう。

 椿がなぜ彼と同居しているのかは気になるが、おそらく先日送った婚姻届は彼が受けとり、対処した、と考えて間違いはない。

「……梓?」

 真実を捉えようとする椿の視線をかわすように、梓は肩を竦めた。

「なーんだ。てっきり椿も署名して、提出してくれたのかと思った」

 あざれがましく言うと、椿は白い目を梓に向けた。

 その正直さに梓はお腹を抱えながら蹲るようにひとしきり笑うと、一度だけ、大きく息を吐きながら呟く。

「なーんて、ね」

 再び顔をあげた梓の顔に浮かぶのは、椿が知りえない愁いを含んだ、自嘲だった。座っているために見えない犬尻尾は、垂れていることだろう。

「――わかってるよ。本当は、わかってる」

「……梓?」

 自分の抱いていた梓の印象とは異なる彼に、椿はどう反応していいか戸惑う。かつての彼は村にいた頃の椿のように、あまりに世界が狭く、だからこそいい逃れられる術があるのではないかと、椿は考えることができた。

 戦うには、まずは敵を知らなくてはならないのだ。

 ――けれど。今の梓を、椿は知らない。

 動揺で黒い瞳を揺らすと、梓の形のいい唇が言葉をつむぐ。

「一つ、訊きかせてほしい。椿が逃れたかったのは、村から? それとも、俺から?」

 椿は答えに詰まった。

「梓から」と答えれば、彼は帰ってくれるかもしれない。自分の今の生活を守るのなら、梓からだと答えるべきだ。

 だが、まっすぐに見つめてくる梓の瞳は、あまりにも真摯で――自分も相応のものを返さなくてはいけないと、思う。

 苦虫を噛み潰す気分で、躊躇いながら答えを口にした。

「――両方」

 それが、椿の本音だった。

「私は、妾になるのも、村のしきたりのままに生きるのも嫌だった。だから、村を出た。梓のことは――……恋愛対象として見た事がなかった、っていうのが正しい」

 椿の両親は、二人共に魔力が弱かった。相思相愛で、誰に邪魔されることもなく、一夫一妻のまま結婚することができた。権力を持つことはなかったが、確かに両親の間には信頼と愛情があったと、椿は今でも思う。

 ゆえに、幼い頃からそうありたいと思っていたのだ。両親のように、いつか誰かを愛するのなら、一対一がいい。それが、権力を持たず、父に妾がいなかった環境で育った椿の理想。

 もし、椿が梓を好きになっていても、椿は梓の正妻にはなれなかった。梓と共にいることが許されたとしても、妾にしかなれない。正妻は、魔力の強い、他の娘。

 わかっていたから、椿は初めから梓に対して恋愛感情を抱かなかった。無意識下でなのか、意識下でなのか、今となっては思い出せない。ただ、そういった感情は排除していた、それだけは確かだ。

 話を終わらせるように、椿は席を立った。

 目を伏せて、結論を語る。

「だから、今の生活を手放してまで、私は梓の妾になるつもりはないし、村にも帰らない」

 そうして、梓をまっすぐに見下ろした。

「――梓、一人で村に帰……」

「だから俺がここに来たんだ」

 椿の言葉を遮る梓の声は、決意を秘めた強さを持っていた。

 梓も椅子から腰をあげる。そうすれば、今度は梓が椿を見下ろす形になった。

「俺は、椿を村に連れ戻したくてここに来たわけじゃないよ。こっちで椿と生きるために来たんだ。――ここでなら、椿だけを娶ることができるから」

 梓の言葉に、椿は瞠目する。

 ”こっちで生きる”ということは――梓も村を出た、ということだ。

 王宮魔術師になったことは今日知った。でも、期間的に引き受けたのだと……椿を村へ連れ戻す準備が整うまでの間、その任に就いたのだと思っていた。

 梓はゆっくりと椿へと歩み寄る。その足音が止まると同時に顔をあげれば、繊細な大きな手が椿の頬を包み込み、青年へと顔を向けさせられた。

「婚姻届は、その意思が本気だって示したかったから送った。返送されるってわかってたけどね」

 少しだけ苦さを滲ませながら、彼は優しく微笑んだ。無邪気さばかりが際立っていたかつての彼の笑みを思えば、大人になった印象を抱かせる。

「はじめから、長期戦のつもりだったから、俺は諦めないよ」

 フローライトには及ばないが、梓も端整な顔立ちをしているのだ。どこか挑戦的でありながら、人好きのするこの笑みを向けられれば、多くの女性は心絆され、頬を染めるだろう。椿の村でも十分効果を発揮していたのは彼女自身記憶にある。

 だが、椿は絆されることを拒絶し、口を引き結んで応戦するかのごとく気を引き締めた。


 そして、思った。

(……うん、とりあえず、悩みの種が増えたことだけはわかった)

 これからきっと、村から『梓をつれて戻って来い』という旨の文が頻繁に届くだろう。また、犬(仮)となったフローライト殿下を交えたわけのわからない、わかりたくもない日々が待っていることだろう。

(ていうか、いっそフロー様と梓がくっつけばよくない? ――そうだ、これだ!)

 椿は心の片隅でこっそり恋の妙薬を薬師に依頼できないものかと思案した。




***   ***   ***




 かつんかつん、と窓の硝子がつつかれる音がした。

 フローが音の方へと視線をやると、そこには鳩がいた。フローが犬になる魔法をかけられ、令嬢から身を隠すようになってから、彼と側近は内密の案件をこうして伝書鳩に手紙を託して連絡を取り合うようになったのである。意思をとばす方法も魔法を使えばできなくはないが、特定の人物への伝達は難易度を極めること、また第三者の介入を容易にさせる可能性があるため、物理的な方法にした次第だ。

 窓を開け、鳩を招きいれる。ついで、足にくくりつけられた筒から小さく丸められた手紙を取り出した。

(なにか、あったということですかね)

 柳眉を顰めながら、手紙をひらく。その手紙には、こうあった。

『任務断念。令嬢に犬にされていました。椿殿は新任の王宮魔術師防衛局長と接触した模様。ちなみに、防衛局長も令嬢の魔法の流れ弾により、犬耳犬尻尾が生えたとの噂です』

 ちなみに、手紙のいたるところにある肉球の跡を見るに、手紙を寄越した側近は犬に邪魔されながら文をしたためたらしい。

 フローは舌打ちし、顔を歪める。

「……どうしてこう平穏からかけ離れていくんでしょうね」

 そうぼやく本人の頭とお尻にも犬耳と犬尻尾があり、椿の平穏を脅かしている張本人であったりする。

 開けられたままの窓から鳩を放つ。

 吹き込む微風に金の髪を靡かせ、白皙の美貌に哀愁を纏って彼は呟く。

「僕は、穏やかで愛おしい人との日々を、望んでいるだけなのに――」

 繰り返すが、椿と同じものを望む彼であるが、彼女の穏やかなる日々を崩壊へと導いているのは彼である。

 長いため息をつき、フローは窓を閉めた。




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