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7.写字生のそんな理由。 (2)



 ある日のこと。

 学び舎が終わった後、虐めからなんとか逃れて魔法の練習をすることが日課となっている椿は、いまだ成功しない飛行魔法の練習に挑んでいた。

 箒に跨り、集中する。

 何度試みても、体が宙に浮くことはなかった。

 そうした失敗を幾度と繰り返した椿は、強硬手段を決行する。


 箒を長い紐に括りつけ、紐の端を自分の腰に巻きつける。

 ついで、あたりを見回し、一番高い木を探した。

「あれが一番だ」

 呟くと、意を決してこくりと頷いた。

 見つけた高い木の根元まで駆け寄ると、それは想像以上に高かった。

 木の頂点は、まっすぐに空へと伸びている。

 迷うように躊躇う心が決意を鈍らせるが、椿は箒の柄をぐっと握ると、一番低い位置にある枝を見上げた。

(……あれなら)

 そう思うが、それでも建物二階ほどの高さがある。

 椿は箒を抛ると、服で手の汗を拭い、幹に抱きつく格好をとった。

 幼い頃、よくした遊び。

 記憶の片隅にある、まだ楽しかった頃の思い出に寂しく笑みを滲ませ、深呼吸する。

 そうして心を落ち着けると、木によじ登りはじめた。

(昔はあんなに簡単だったのに)

 久々の木登りは骨が折れる。

 しばらく格闘し、なんとか枝に辿り着くと、腰に括っていた紐を手繰り寄せた。箒を手元まで引っ張ると、手にした箒を枝の上で跨ぎ、息を呑んだ。

「……大丈夫、できる」

 地面を見下ろせば、足が震える。もしも失敗したら――という仮定話が脳裏によぎると、心が躊躇いはじめた。

 箒を握る手は、木登りの時に刺さった木屑で鋭く痛む。

 動悸が大きく鳴る中、目をつぶって両親の顔を思い浮かべた。

 ――いつだって包み込む優しさを与えてくれた父と母。二人の魔力は弱かったけれど、不幸だと思ったことは一度たりてなかった。

 そんな二人が今悲しんでいるのは、椿の魔力が弱いから。

 ――知っている。

 優しい二人は、椿が情けなくて嘆いているのではない。

 自分たちのせいで、椿が子どもたちから傷つけられていると思っているからだ。

(虐められないためには、私が強くなればいい)

 そう思った。

 棘が刺さる手で、箒の柄を強く握る。

 迷いを捨てて、椿は空を仰いだ。

 視界に広がる青い空。あそこを目指して。

 ――椿は、枝から飛び出した。




 直後の記憶はない。

 世界が回る感覚、刹那の暗転。


 再び目を開けると、体は地面に横たわっていた。

 意識を取り戻すと共に感じたのは、呼吸もできないほどの激痛。

(ああ、失敗したんだ)

 気づけば、視界が歪んでいた。

 落ちた拍子にメガネはどこかへ飛んでいったのだろう。

 痛みと情けなさ。自分に対する憤りと失望。

 涙があふれた。

 どこが痛いのかもわからない激痛で、起き上がることもままならず、だらりと顔の横にある手の指に怒りをこめる。土が爪に入り、地面を抉るようにして拳を握った。

(――また……また失敗した)

 悔しくて歯を食いしばりながら涙を幾筋も流した。

(お父さん、お母さん、ごめんなさい。魔法が使えなくて、ごめんなさい)

「ごめ……な、さい」

 呟くと、口の中は血の味がした。

 どこからの血かもわからない。落ちた時に口内が切れたのか、木から落ちた衝撃で内腑に傷つくなにかがあったのか。

 次第に遠くなる意識の中、ただただ謝り続けた。


 ふと、椿の視界が陰る。

 ぼんやりとした視界に、靴が入りこんできた。

 でも、顔を上げることもかなわなかった。

 土で汚れた椿のものとは違う、きれいに磨かれた靴だけが、見えた。

 なんとか視線だけを上げると、そこにいたのはクセのついた柔らかな灰茶髪を持つ少年。

 彼は地面に両手をつき、屈んで椿を覗きこんだ。

「大丈夫? ねぇ、君っ、意識を保って!」

 必死に呼びかけているのがわかる。

 しかし、意識が朦朧としている椿には言葉の意味まで判じることができなかった。

 そうして、椿の意識は少年の声の中、静かに落ちていった。




 ――それが、梓との出逢いだった。




***   ***   ***




 目が覚めた時、椿は見知らぬ天井を見上げていた。

 視力が悪いためにはっきりとは見えないが、天井にはなにか装飾が施されていた。

 どう考えても、我が家ではない。椿の家はもっと至る所が傷んでいるのだ。


 頭が覚醒すると、慌てて身を起こすと、自分が寝転がっていたのは、ふかふかとした清潔な寝台であることに気づく。

 次に、なぜか自分の服ではなく、真新しくも高価そうな服を着ていることに気づいた。

 現状についていけず、あわあわと首をめぐらすと、ガチャリ、と音がした。

 音の方へと目を向ける。

 何かが近づいてくることから、おそらくそれが人であることを察する。背丈からして、まだ子どものようだ。

「体は大丈夫?」

 澄んだ少年の声に、椿は目を丸くする。

「だい……じょうぶ。……あの……ここ……」

 眉尻を下げて首を傾げる。

 少年は苦笑した。

「ここは俺の家だよ。……木から飛び降りたのは覚えてる?」

 少年の言葉に、記憶が次から次へとよみがえってきた。椿は一度頷くと、少年は安堵の息を漏らす。

「記憶の障害はないみたいだ。よかった。……驚いたんだよ。散歩してたら、急に木から女の子が降ってきたから」

「……あの、ごめんなさい」

「謝らなくていいよ。それより、もうちょっとゆっくりしてて。まだ体調は万全じゃないだろうから」

 その言葉で、椿は自分が木から落ち、起き上がることもできないほどの怪我をしていたことを思い出した。

 しかし、なぜか体のどこも痛んではいない。感じるのは、少しのめまいだけ。

 不思議そうに体中を触る椿に、少年が教える。

「大怪我してたんだよ、命も危ういくらいの」

「え、でも」

「その場で応急処置はしたけど、完全じゃなかったから、ここでしっかり完治させた。緊急だったから、魔法で癒したけど……細胞に無理やり働きかけたわけだから、しばらくめまいだけはすると思う」

 椿は驚く。

 治癒魔法は、高度である。そんな魔法を使える彼と、椿を癒した者は村の権力者であるとしか考えられない。

 どうお礼をすればいいのかわからなかった。

 自分はそんな彼の家にいていい人間ではないことが焦りを生む。

 動揺しながら俯き、かけられている布団を両手で握る。手に刺さっていたはずの棘も完全に抜かれているのか、痛みはなかった。

 ありがたさと申し訳なさで涙がこみ上げ、必死に言葉を紡ぐ。

「あのっ、ありがとうございましたっ。このお礼は必ずします! 何年かかっても必ず――っ」

 そこまで言うと、少年は椿の頭を撫でる。

 驚き、言葉を切って椿が顔をあげれば、ぼんやりとした視界の中で少年は微笑んでいるように見える。

「あの……」

「気にしないで――って言っても、君は気にするだろうなぁ。……そうだ、まだ名前訊いてなかったよね?」

 問われ、椿が正直に頷けば、少年は「君の名前を教えて」と続けた。

「椿、です」

 椿の返答に、少年が破顔する。

「椿……椿、か。俺は梓、よろしくね」

 そうして、彼は目を細める。

「――もし叶うなら、一緒に遊びたいな」

「遊ぶ?」

「そう。俺、学び舎には行ってないから。……椿は通ってるよね?」

 見た目からの判断で椿の年齢を読んだ彼が問えば、少女は頷く。それに、梓は寂しそうに微笑んだ。

「じゃあ、その帰りに、一緒に遊ぼう? それが、お礼」

 ”お礼”という言葉に椿は反応したが、すぐに困惑した顔を見せる。

「どうしたの? ……嫌、かな?」と梓が問えば、椿は首を横にふった。そして、「……そうじゃなくて……。魔法の練習、しなくちゃいけなくて……」と呟いた。

 椿の言葉に、梓はホッと息を吐く。


「じゃあ、一緒に練習しよう。それだったら、いい?」

 上目遣いで懇願するような梓に、椿は目を丸くし、ついで笑って頷いた。

 梓は「約束」と言うと、小指を差し出す。

 椿の小指は、了承するように梓のものと絡んだ。




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