6.写字生、また犬(仮)を拾う? (2)
見上げれば、首が痛くなるような高さの城壁が街一つ分ほどの域を取り囲む。
その城壁に造られた門もまた、壮大だった。
城壁の中の要部を守るために配備された門番は、厳しい顔で数人が立っている。
門番から少し離れたところで、青年は城壁の向こうを見上げていた。
「……やっぱり大きいなぁ。お城も天辺しか見えないし」
城壁に遮られているだけでなく、城壁から城までの距離は遠い。それもあって、城の上部しか確認することはできなかった。
けれど、その認められる部分を一目見るだけで、城の絢爛さがわかる。
青年は灰茶の髪を掻きあげて口角をあげた。笑んだ顔は、無垢なもの。
着ている漆黒の長衣を翻しながら、彼は門の中央に立つ門番へと近づいた。
彼を認めた門番は、眉間に皺を寄せながら目を眇める。
「身分証明書を提示しろ」
単刀直入に言葉を紡いだ門番を前に、青年は懐をまさぐり、”それ”を取り出す。ついで差し出せば、確認した門番は目を瞠った。
「――っ、こ、これは失礼致しましたっ!」
しばし呆然としながら青年を見つめていた門番が慌てたように敬礼する。
「どうぞお通りください!」
「ありがとう」
青年は灰茶の髪を揺らして礼を述べると、証明書を仕舞い、城へと続く道を歩き始めた。
そんな青年の後ろ姿を見送る門番に、門の左右両端に控えていた門番仲間が駆け寄った。
「おい、誰だったんだ?」
いまだ驚愕を隠せない同僚に問う。
問われた門番は一度喉を鳴らすと、同僚に視線を走らせ答えた。
「……二百年ぶりのお越しだ」
「は?」
「お前らも一度くらい耳にしたことがあるだろ。ここ二百年、要請を何度しても拒否されていたからすっかり存在も忘れてたけどよ」
「――まさか」
顔色をかえ、中央担当の門番と同じように目を丸くする同僚に、取り残された一人は首を傾げる。
「だから、誰なんだよ?」
問えば、わかっている二人が目配せし、静かに言った。
「王宮魔術師 防衛局長、だ」
忘れられかけた存在ゆえに、知られることもあまりない。
だが、国を守り、戦う者ならば知っている。
――王宮魔術師。
そこには多くの部署があるが、その内の図書館所属は魔術師間の格差でも底辺に等しい。
そして、魔術師の中でも上層部にあたるのが、軍部局および防衛局である。
その国は、攻撃力に優れた魔術師が多かった。しかし、防衛力は平均程度あるものの、優れているとは言いがたい。
その、防衛力に優れた集落があった。
攻撃系は苦手としながら、突出した防衛の力を持つ集落。
ゆえに、常に王宮は集落に対し、王宮魔術師の輩出を要請していた。
それを、二百年間断り続けていたという。昔、長期にわたる戦から疲れた保守的な彼らは、一つの村として静かに暮らすことを望んだのだ。
諦めることのできない王宮側は、いつでも彼らが戻ってこられるよう防衛局長の座を空席にし続けた。それは、今、この時まで。
ついに、防衛局長の座につく者が、現れたのだろうか?
三人の門番は動揺と驚愕に見開かれた目を、小さくなっていく青年の背中に送った。
*** *** ***
青空の下、(……違う。なんか色々全部違う。――流されてる。私、流されてるぅぅぅ!!)と心の中で絶叫しながらパンにかぶりついているのは椿である。
現在、昼休憩中。
いつもと同じように使用人用裏庭にて食事をしている。
「しょっぱい……」
鼻をすすりながらの食事は涙の味がした。
それでも、平和なのは王宮だけ。ひいていえば仕事中だけ。今の椿はこの平和を満喫しようと拳を握った。
パンも残り半分、といった時。
なにかモフモフとしたものが擦り寄ってきた。
芝に腰をおろしているため、モフモフしたものが擦り寄るのは腰部分。
(痴漢か!?)と思いながら、ぶるりと身を震わせ、すぐさま視線をモフモフへと落とす。
”それ”と目があった。
「わんっ」
「…………。」
犬がいた。優しそうな顔立ちの大型犬が。茶色と白の毛並みは抱き心地がよさそうだ。
だがしかし。
椿はもうお腹いっぱいだった。満腹中枢の問題ではなく、心の問題の方で。
三角の耳と尻尾は垂れ、「くぅーん……」と唸っているが、気にしてはいけない。
(ここは無視だ、無視。無関心は罪悪じゃないし? ほら、あれだってば。弱者最大の防御たるものは、無視無関心なわけで)
罪悪感から免れるための自己弁護を胸中で繰り広げる。
にも関わらず、大型犬は椿の周囲をぐるぐると徘徊しはじめた。
(…………徘徊とか、こわいんだけど)
ちなみに、大型犬には徘徊のつもりはなく、周囲への警戒だったりするが、椿が気づくはずもない。
しばし大型犬を眺めていた椿であったが、犬にはもうこりごりであるために、残りのパンを口に押し込む。
さっさと胃に流し込み、この場を立ち去る作戦である。
すると、穴場であるそこでまた通行人らの声が聞こえた。
よく言えば人気の少ない場所は噂話をするのにもってこいであり、逆に情報収集としても最適な場所といえる。
けれど、今日の椿はその噂を耳にしない方がいい気がした。
さっさとこの場を立ち去ることを決めた椿が立ちあがろうとすると――大型犬が椿に背後からのしかかり、動きをとめさせる。
「…………ちょっと。重たいんだけど」
犬に人の言葉が通じるか否か知らないが、意思だけは伝えようと睨めつける。
視線を向けられた大型犬は首をぶるぶると振り、ついで左前足で通行人のいる方角を指した。
椿は身動きがとれるのは首だけであるため、仕方なく通行人へと関心を向けた。
裏庭に接する回廊を歩くのは、例によって例のごとく、二人の青年官吏だった。
そういえば、以前噂していたのも彼らだったな、とおぼろげな記憶を引っ張り出して椿は思う。それも所属する部署の場所の理由で、彼らがよくこの回廊を利用するのだろう。
『おい、今回も例の公爵令嬢、やらかしてるらしいぜ』
『またか! またなのかっ! で、今回は何を?』
『今回の標的はフロー殿下のご側近だ』
『おー。またこれは。……なんていうかさ、愛もそこまでいったら怖いね』
『……同意。で、そのご側近にフロー殿下の居場所を問いつめてんだってさ』
『……お、おー。がんばるね、彼女も』
『……ああ、がんばるな、本当に。で、答えないご側近をどんどん犬に変えていったらしい。それだけじゃなく、流れ弾魔法にあたったやつも犬になっていったんだと』
『……なんで彼女はそんなに犬にこだわるんだろうね』
『いや、そこじゃないだろ』
『ご令嬢は今どうしてるの?』
『さすがに今回ばかりは王も父宰相も見逃せない事態だから、令嬢を反省室に軟禁中らしい。犬になったご側近方も……こう、人間としての大切なところも残ってはいるらしいが……犬の本能がほとばしるらしくてさ。今、王宮の中で犬見かけたら捕獲しろってお触れを出す準備中だってよ』
『……なんだろうね、もう、犬だらけな王宮とか。やっとこさ国家公務員になって、両親も涙目で喜んでたのに……こんな現状知ったら違う意味で泣くだろうなぁ』
『……同意』
『捕まえた犬はどうしてるの?』
『令嬢のいる反省室行きだ。王と父宰相の命令じゃ、彼女も言うこときくしかないんだと。届いた犬から魔法を解いてるって聞いた』
『ふーん。……まぁ、なんていうかさ……フロー殿下がもし流され体質だったら、今頃令嬢に結婚までこぎつけられてたんだろうなぁ、と思うよ』
『……同意。あの愛と執着と執念と猛進っぷりだしな……流され体質じゃなくても、普通の男だったら今頃は……。オレじゃなくてよかった、本当によかった!!』
『彼女、超ど級の面食いだしね。どの道火の粉かぶることすらないと思うよ』
『…………。』
その話を聞いた椿は、背中にのしかかる大型犬へと振り向いた。
「…………。……まさか」
「くぅ~ん」
項垂れるようにして、ゆっくりと頷いた大型犬。
(間違いない。この犬、フロー様の側近か!!)
気づいた椿はふと思う。
背中にのしかかる大型犬、つまり、背中にのしかかっているのはどこぞの官吏だ。この犬の外見から察するに、決して若い犬ではない。しかも、オス……いや、男だ。
――まるで痴漢。
そう思い至った椿は、即座に立ち上がることを決意した。これぞ火事場の馬鹿力。変態を前にすれば、乙女は普段の数十倍の力が出るのだ。
「わぉんっ」という鳴き声を無視し、椿は図書館へと続く道を走り始める。
(なんでついてくんのよ、この大型犬んんん!! さっさと令嬢んとこ行って魔法解いてもらいなさいよぉぉぉ!!)
必死に走っているのに、隣を走るのは先ほどの大型犬である。
走っている最中にも、何匹かの犬とすれ違った気もするが、それも気のせいだろう。気のせいに決まっている。
(王宮に犬がそのへん闊歩してるなんて認めないんだからぁぁぁ)
無我夢中で走った結果、裏庭から図書館までの片道時間は、王宮勤めしてからの数年の内で最短記録を打ち出した。
図書館の扉の前で、椿は腰を曲げ、膝に両手をおきながら肩で呼吸をした。
(一生分走った気がする……っ。こういう時、犬ってずるい――――)
ゼェゼェと呼吸を繰り返しながら、隣にいる大型犬へと視線をやり、前言撤回をする。
「…………。……ちょ、ちょっと、大型犬さん。なんか死にそうですよ……。大丈夫ですか?」
フローの側近の可能性が高いため、一応敬語をつかってみた。
普段の椿が見せない優しさ。しかし。
隣にいる大型犬は、ぜぇっはぁっひぃっ、という不可解な呼吸音を繰り返し、人間ならば目が血走っていそうな形相で胴全体を動かしながら、口を開けっ放しにして空気を求めているのだ。
「あ、あの……」
続けて声をかけていると、目の前の扉が開いた。