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霧と雨と白い影

作者: 苑宮 和葉

 わたしと徹は、鹿児島で親戚の法事があるために車で丸一日高速を走っていた。

東京を出てからかれこれ19時間くらいはたったでしょうか。

やっと福岡を抜けて、そろそろ九州自動車が途切れる地点まで来たのです。


「ふぅ。ここまで来れば後は5、6時間かな」


徹が力無く笑った。


「九州自動車道が福岡から鹿児島まで一本になるって。昔から言われているけど。もぉ、さっさとつないでほしいわ。いつもここで渋滞するんだから」

「そうだな。でも来年はやっと開通するみたいだよ。この辺りでいつも睡魔に襲われるんだよな」

「わたしも起きていてあげるから、気をつけてね」


そう言って徹は甘ったるい缶コーヒーを一気にガブ飲みしだ。そして運転席側の窓を開けて料金所でチケットを渡し、高速料金を清算した。

係の人がお釣りを渡しながら「もうすぐ大雨が来るそうですよ。安全運転でお願いします。ありがとうございました」と軽く会釈した。

わたしはラジオと徹の声以外は7時間ぶりで、料金所の係の声が新鮮になった。

もう午前2時をすでに回っていた。

高速から田舎道の一般道へ出ると都会ではお目にかかれない本当の暗闇が辺り一面に広がっていた。

少し霧も出て5メートル前方がやっと見えるほどの視界の悪さ。

単調な景色を見ていて、わたしは急に睡魔に襲われて微睡み始めたのです。

車の心地よい揺れがいっそう拍車をかけました。


 そんなわたしを車の激しい揺れとブレーキの金属音で殴られるように現実に引き戻された。


「ちょっと。気をつけてよ。今、居眠りしていたでしょ」


わたしは心地よい眠りを妨げられてすこし機嫌が悪くなり自然と語尾が刺々しくなった。


「悪い。でも違うよ。さっきの白いワンピースを来た女性とすれ違ったような気がしてそっちを見てたら・・・・・・ごめん」


徹の額は汗でびっしょりしていた。まだ腹立たしいのは確かでしたが、徹も顔面蒼白でだいぶ後悔しているようだったのでそれ以上は追及しないことに。


「わき見運転なんて、余計に酷いわよ」


そう言いった後にふっと『白いワンピースの女性』の話が頭に過ぎりました。

後ろを振り返って見たのでした。

しかしそこには青々と生い茂った木々敷かなかったのです。


「もうなにもないじゃない。木の幹の見まちがいじゃない。脅かさないでよ」

「いや、すまん。だいぶ疲れが溜まっているみたいだな。ホテルがあったら今日は止まらないか」


徐々に車の車を下げて、路肩から離れた。

段差で少し揺れた後に道路とやっと平行に戻った。

そしてまたスピードをあげて走りだした。走りだしてすぐに違和感を覚えた。

視界が少し助手席側に傾き、なにやらゴリゴリと重苦しい音まで。


「あちゃ。パンクしている」


徹はうなだれてハンドルに顎を乗せた。


「あそこに、看板。外灯があるわ。タイヤ交換してね。責任取ってね。ト・オ・ル」


「はいはい、責任取りますよ」とスピードを落とし外灯のしたに車を寄せると、一人暗がりに出て行った。

ジャッキの音がリズムよく鳴り響く。

静寂した空気の中で強烈な光が闇夜を繰り裂いた。

追いかけるように雷鳴が轟く。

しかしそれは思ったほどの轟音ではなかった。

わたしは窓をコツコツと叩き徹を呼び、「急がないと雨がくるわよ」と声をかけた。

「そりゃ大変だ」とあまり気にしてないような返事だった。わたしも本人が気にしていないならいいかと軽く聞き流すことにした。


そして雨が降ればすこしは暑さも和らぐかなとふっとその思いが聞こえてしまったのか。

フロントガラスに水滴がピチピチと音を立ててぶつかり始めたのです。

わたしも気軽に眺めていたその雨は、やがて雨音がピチピチからやがてバチバチに変わり、車が海にダイビングした錯覚を起こしたほどです。

そのまま水族館を見ているような気分で視界の悪い外を眺めていた。

そして前方の街灯の下に白い靄が見えた気がしたのです。


その時、徹が乱暴に運転席に飛び込んで来たことで、わたしは現実に引き戻された。


「うひゃ。ひでぇ雨だ」


全身から雨水を滴らせて、後部座席から取り出しバスタオルで乱暴に頭を拭いた。

わたしの所にも水しぶきが飛んで来たのです。

その後でもう一度先ほどの靄を確認しようと思ったのですが、どこも異常は見られなかったのでした。

そして再度飛んできた水しぶきでブラウスが濡れたため、そのことはすっかり頭から飛んでいました。

それよりも。


「ちょっと。こっちにとばさないで。もぉ」

「悪い。でも今日はこれで限界だぁ。奈緒、もうホテルで一泊していいよな」


タオルの透き間からわたしを見ながら懇願する目で訴えている。

わたしもこの大雨では事故をお越しかねないので承諾することにしたのです。それに長時間のドライブで正直腰が悲鳴を上げていてわたしも休みたい気分でした。


「いいわ。でもこんなところにホテルある」


ああと左手の奥の看板を指さしていた。

徹はすぐにエンジンをかけてその道を進んで行きました。

暗闇と豪雨で地面は混沌と混ざり合ったようでなんとも言えない不安な気持ちが込みあがって来ました。


「気をつけて、左側って田んぼあるわよ」

「わかっているさ。ちゃんと見えているよ」


唯一の道標であるホテルの明かりだけでしたが、何とか脱輪もせず無事進むことができました。

やっと明るい場所へ来るとホテルの看板がはっきりと見えきました。

そのころには少し豪雨も大雨程度には落ち着き雨音は少し弱まったのです。


「白い・・・恋人たちって、どこかのお菓子みたいね」


いわゆる、ラブホっていうやつだったのです。

そこはかわいい名前とは裏腹に結構年代ものに見える建物でした。

昔は真っ白な壁も茶色く変色して、植物に覆われている。

門をくぐった先には小さなペンション風の建物が7棟あり、一階が駐車場で二階が部屋のようだった。

暗闇の中、各棟がスポットライトで照らされて、浮世だって見えこの世のものとは逸脱したようにも見えるのでした。


「あーあ、どうせ出費するならもっと、リッチなホテルにしたかったな。露天風呂に入りたかったわ」

「まぁまぁ、そう言わないで背に腹はかえられぬ。俺もこれで限界」


そしてゲートくぐってすぐ横の受付前に車を止めました。車を突き抜ける勢いの雨音が静かになりました。

受付から伸びる長いトタン屋根が代わりに雨を受け止めてくれたのでした。

そして車を降りた徹が受付の呼び鈴を押して係を呼びました。

しかしすぐに係が現れず徹が何度か押し続けたのです。

そしてもう一度呼び鈴を押そうとした時、奥から老婆がゆっくりと姿を現したのです。

その時の印象はしなびたキュウリと一言で説明できそうな老婆が受付の窓を開けて徹と話はじめました。

短いやり取りの後にすぐに鍵を渡され徹が小走りで戻ってきました。

その時には先程より大雨はさらに小降りになりました。


 徹は戻るなりわたしに鍵のタグを見せて、ニヤと笑うのです。


「このホテルの部屋の名前。笑っちまうぞ。『百恵と友和の部屋』だってよ」

「そこの部屋が『明菜と真彦の部屋』って書いてあるから、覚悟はしていたわ」

「本当だ。昭和のアイドルが勢揃いだな」


徹が旅のネタ話を見つけて喜んでいたが、わたしは逆に今すぐにでも帰りたい気分だった。

センスの悪さにテンションが一気に下がったからです。

それでも今すぐに出なかったのは疲れのピークが陰鬱な気分を上まったからだった。

すぐにでも部屋に入ったら入浴して寝ようと心に誓った。


車は敷地内の薄暗い照明に誘導されながら10メートルほど進んで目的の部屋に辿り着きました。

ペンションの一階にある駐車スペースに車を止めて、着替えだけ持っていくことにしました。

数時間ぶりに立つと足がパンパンに張っていて、部屋へつながる螺旋階段で二階へ上るのが結構辛かったです。それは徹も同じらしく息を切らせながら上がっている。運転の疲れだけじゃなく、あなたは「普段の運動不足もたたっていると思うよ」と心の中で思うのでした。


部屋はワンルームで入り口そばにバスルームがあり、奥にダブルベッドが備わっている。内部はちょっとしたビジネスホテル風で質素な作りだった。想像していた様子よりまともでちょっと安心。


「よかった。外装ほど古くなさそうだ」


徹も同じことを考えていたようでした。


「入浴してすぐに寝ましょうよ」

「あっ、俺パス。着替えだけして寝る」

「ええ。ちょっと汚いわよ。せめて湯船に軽く浸かったら」


悪いもう限界と言って着替えはじめ、そのままベッドへ潜り込む態勢を取った。

諦めたわたしはバスユニットに湯を張ろうとドアに触れたのです。

ところが急に寒気がして部屋の気温急激に下がったように思えたのです。

寒気で全身が身震いしました。

わたしは気を取り直して軋んで堅くなったドアを開けたのです。

浴室は電灯が切れたいたわけでもないのに薄暗く重苦しい雰囲気でした。

そして次に目に飛び込んだのは一面ワインレッド色のタイルだったです。

センスがないというより悪趣味と言ったほうがしっくりとするほど。

浴槽内部は明かりが乏しく、元々は鮮やかであろうと思われたワインレッドは劣化して乾いた血のように見えてしまうのです。

浴槽に至ってはさらに赤黒く、浴槽内が底無しに思えるほど深く陰を帯びているのです。

それでも仕方なく汗だけでも落とそうと思い、湯を注ごうとした時です。


わたしは誰かに見られているような感じがしたのです。

浴槽の入り口をみても徹の姿があるわけではありませんでした。

ゆっくり風呂場を見渡すと先ほどは全く気が付かなかったパイプ椅子がひっそりと置かれていました。

それは海水浴場で普通に見かけるものです。

細いアルミパイプにストライプ状に紐を編んだ簡単な椅子です。

何故かわたしはそれが気になるのです。

不安から呼吸が乱れて胸が張り裂ける思いです。


そして意を決するとそのパイプを畳んで隅に片付けようと思ったのです。

恐る恐る近づいてパイプに触れました。

組んだ紐に手を延ばしたのです。

「さっさとしまおう」と思ったのです。

ひじ掛け部分に腕を延ばして、つかんだパイプをギュッと握り締めたのです。

しかしアルミ製の軽いはずのパイプ椅子がビクともしないのです。

押そうが、ゆすろうがダメでした。

それどころか汗ばんだ手が滑って、誰かに押されたように横転してしまいした。

たぶん持ち逃げされないように固定しているのだと思い込むために、必死に他の結末を考えまいと意識を集中したのです。

きっと背もたれ部分は動かせるはずと自分に言い聞かせて、背もたれを折りたたもうと手前に引いたのです。

しかし全く曲がらないのです。

椅子の足はどう見てもネジなどで固定されてないです。

それでも暗がりで留め金がよく見えないのだと必死に自分に言い聞かせました。自分はつかれているのだと。


 胸に手をあて、大丈夫!大丈夫!と呪文のように呟き落ち着こうとした時。わたしは得体の知れない恐怖で嘔気に襲われ、自分の心臓の鼓動に押し潰されそうだったのです。

「うひゃあああ」と突然の大きな音にわたしは心臓が飛びだすほど驚き、思わず奇声を上げてしまいました。

それは背後の蛇口から湯が勝手に注がれたのでした。

浴槽に滝のように湯が注がれ、轟々と浴槽の底へ吸い込まれて行っていました。

恐怖心から風呂などどうでもよくなり、浴槽から飛び出してドアを閉めたのです。


そして閉める瞬間にわたしは上着の端を誰かにつかまれた感じがしたのです。

上着の端はドアの透き間に挟まれてわたしは身動きが出来なくなりました。

曇りガラスのドアの中で浴槽から湯気が濛々と上がっていました。

わたしが上着の端を何に引っ掻けたのか確認しようとすると、乱暴にドアを閉めたことに腹を立てたように破裂するようにシャワーが噴出したのです。

シャワーの勢いが強まりフックから外れ、シャワーは生きた蛇のように暴れまわっていました。


そのシャワーが何度も何度も浴室のドアにぶつかり地獄から得体の知れないものがはい出そうとしているように思えて必死にドアを押さえました。

ゴンゴンとシャワーが壁に浴槽にドアにぶつかる音が部屋に反響するのです。

その音は私に絡み付いてほどけなくなり、吐き気が押さえられなくなりました。


 その時、ドアを抑える力がゆるむと上着の端が5cmほど一気に引き込まれたのです。

その瞬間、わたしの理性が吹き飛びました。

自然現象だと思い込もうとしているわたしの真っ向から否定されたのですから。

そのときの現状を知らない他人が見れば、私を気が触れた狂人と勘違いしたのではないでしょうか。

助かる術がないわたしはただ曇りゆく浴槽を見つめて嗚咽するだけ。

現実と悪夢の混沌とした浴槽では、湯気が霧のように広がっていき、やがてそれは人の姿を形取り。

顔を辺りには3つの黒い穴があるように見えました。

口に見える部分は一刻と形が変化していてわたしを呼んでいる声が聞こえて来そうでした。


ここで声を出したら、連れて行かれる。

根拠のない考えに捕らわれ声が出せなかったのです。

「徹!徹!徹・・・・・・誰でもいい、神様!仏様!私を助けて」

私は手を合わせて祈るようにその場に座り込んでしまいました。

押さえのなくなったドアが開き、出来た透き間からは赤い光が2つ除いています。

それは紛れもなく瞳に違いありません。

力無くわたしは呆然と眺めることしか出来ませんでした。

絶望が訪れました。


ピンポーン


その音でわたしは我に返り、急に意識のモヤが晴れたようでした。

そしてドアのチャイムが突然なると同時に、いままでの反響がウソのように途絶えていました。

浴室からお湯の流れる音だけが小川のせせらぎのように聞こえます。


「何だぁ。誰か来たのか」

いままで爆睡していた徹が寝ぼけ眼で起き出して来たのです。

「はーい。どなたですか」

スタスタと大股で徹はドアまで行き、わたしを通り越してノブに手をかけていました。

「いや、開けないで」とわたしは徹を押さえたかったのですが、全身の力が入らず声すら出なかったのです。


開いたドアの隙間にわたしは見たのです。

少女のような白い影が。

その影の口元にはなぜかやさしい微笑。

そして唇が何か語っていたような。

しかし徹がドアを完全に開けたときには消えていました。


「あれ、誰もいないな。寝ぼけたかな・・・お」


徹は謎の影など初めからいなかったように、かがみこんで何かを拾い上げていました。


「奈緒。お母さんからいただいた大事なお守り落としているぞ。引っ掻けて破いているし・・・」


徹は振り返りわたしを見ると言葉に詰まったようでした。

その姿を見て尋常でないことが、言わずともわかってくれたようです。

あわてて賭けよって傷心しきったわたしを抱き寄せてくれましたが、何が起こったのか理由がわからずどうすればいいか困っていました。


 不思議だったのは、ドアに挟まれた上着はちぎれて切れ端は見つからなかったのです。

事情を話すと徹は半信半疑で、浴槽の湯、シャワー、イスを調べくれました。

しかしそれは蛇口の故障が判明しただけで他には何も異常はありませんでした。

もちろんあのイスも徹簡単に動かして端へ寄せてしまったのです。

徹は疲れて夢と現実が区別出来なくなっただけだから、もう次には何もないと言ってわたしを慰めたのです。


 それでも不安を拭い切れなかったわたしは部屋を退出して鹿児島の実家に向かうことにしたのです。

たぶん、昼頃には到着するだろうと徹が教えてくれました。

その道中に安心したわたしは幸せな実家の夢を見ながら帰途つこうと思います。


わたしの不思議な体験は心の奥に封印しようと思います。

不思議体験の謎とともに。

結局、あの出来事は

悪霊からお守りが守ってくれたのでしょうか。

それとも

粗末な扱いをしたお守りがわたしに戒めをほどこしたのでしょうか。

今となってはどちらなのか知りようがありません。


運転中ずっと徹の暖かい手がわたしのほほをなぜていました。

やがてそんな思いも薄れ、深い安堵がひろがったのです。

そして甘い暖かな日差しの香りにつつまれながら安らかな寝息をたてていました。


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