第4話 急なプロポーズに戸惑っています 1
レオンハルトのプロポーズから、三日が経った。
私は相変わらず、研究室の床でクッキーを食べながら魔法書を読んでいた。
何も変わっていない。いつもの日常。いつもの私。
でも、心の中は全然違う。
結婚。
絆。
愛。
その言葉が、頭の中をぐるぐる回っている。
私は魔法書のページを捲る。でも、文字が全然頭に入ってこない。
はぁ……。
ため息をついて、私は床に大の字に転がった。
天井を見上げる。白い天井には、何の模様もない。
レオンハルトは、本当に私を愛してくれているんだろうか。
それとも、「聖女」という存在を愛しているだけなんだろうか。
カイルの言葉が、何度も頭をよぎる。
『彼は、「聖女」という存在に恋をしているのであって、「セリア」という女性を知らない』
本当の私を見せたら、どうなるんだろう。
床でゴロゴロしている私。
魔法実験で失敗して煤だらけになる私。
クッキーばかり食べている私。
そんな私を見ても、彼は愛してくれるのかな。
無理じゃない?
絶対、幻滅されるよね。
クッキーを一枚口に放り込む。
サクサク。
美味しい。
でも、いつもより味がしない。
考え事してると、食べ物の味がわかんなくなる。
もったいない。
コンコン、とノックの音。
こんな時間に来る人はアレックスかルークくらいなもの。
寝転がったまま返事をする。
「どうぞ」
扉が開き、入ってきたのはアレックスだった。
「また床に転がってるのか」
彼が呆れた顔で言う。
「だって、考え事してたんだもん」
「レオンハルトのこと?」
その言葉に、顔が熱くなる。
「べ、別に……」
「嘘つくな。顔に書いてある」
アレックスが苦笑しながら、私の隣に座る。
「で、どうするんだ?」
「わかんない……」
私は正直に答える。
「わかんないんだよ。私、レオンハルトのことが好きなのかどうかも、よくわかんない」
「好きじゃないのか?」
「好き、だと思う。彼の笑顔を見ると、胸がドキドキするし。一緒にいると、嬉しいし」
「じゃあ、好きなんだろ」
「でも――」
私は起き上がり、膝を抱える。
「でも、彼は本当の私を知らない。『聖女様』としての私しか知らない」
「それなら、見せればいいじゃないか」
アレックスが言う。
「本当のお前を」
「怖いんだよ……」
私は俯く。
「もし、本当の私を見て、嫌いになったら。幻滅されたら。そう考えると、怖くて」
アレックスはしばらく黙っていた。
窓の外から、鳥の鳴き声が聞こえてくる。秋の午後の、穏やかな時間。
「なあ、セリア」
「何?」
「お前、リディアの襲撃の時、怖かっただろ」
その言葉に、身体が固まる。
あの時の恐怖が、蘇ってくる。
目の前で魔物が暴れていた。人々が逃げ惑っていた。混乱の中で、何をすればいいかわからなかった。
「……うん。すごく怖かった」
「でも、お前は戦った」
「……」
「レオンハルトを守るために。みんなを守るために。恐怖よりも、守りたいという想いが勝った」
アレックスが私の肩に手を置く。
「それと同じだ。お前が本当の自分を見せることも、怖いだろう。でも、もしお前が本当にレオンハルトを愛しているなら――」
彼が私の目を見つめる。
「恐怖よりも、愛が勝つはずだ」
その言葉が、胸に響いた。
恐怖よりも、愛が勝つ。
私は、レオンハルトを愛しているのかな。
本当に?
「……考えてみる」
私は小さく頷いた。
「ありがとう、アレックス」
「どういたしまして」
アレックスが立ち上がる。
「そうだ、お前に見せたいものがある」
「何?」
「ついてこい」
彼が私の手を引っ張る。
「ちょっと、アレックス!」
私は慌てて立ち上がり、彼について行く。
――――――――
アレックスが私を連れてきたのは、王城の図書室だった。
広々とした部屋で、壁一面に本棚が並んでいる。古い本から新しい本まで、様々な本が収められている。窓から差し込む午後の光が、本の背表紙を照らしている。
子供の頃、ここへの立ち入りが許可されてからは毎日のように通って、魔法を学んだ。
「懐かしいな」
私が呟く。
「ああ。お前がここで、禁書庫に忍び込もうとしてたのを見つけたんだっけ」
アレックスが笑う。
「あの時、お前は必死だったな。『絶対にこの本を読むんだ』って」
「だって、禁書庫には珍しい魔法書がたくさんあるって聞いたんだもん」
「で、俺が一緒に忍び込んで、見張りをしてやった」
「そうだね……」
あの頃は、楽しかった。
魔法のことだけ考えていればよくて、恋愛とか、立場とか、そんな複雑なことは何も考えなくてよくて。
「こっちだ」
アレックスが奥の方へ進む。
禁書庫の前で、彼は立ち止まった。重厚な扉に、複雑な魔法陣が刻まれている。普通の人は入れない、魔法で守られた部屋だ。
「まさか、また禁書庫に?」
「ああ。お前に見せたい本がある」
アレックスが魔法陣に手を当てる。紫色の光が広がり、扉が開く。
中に入ると、埃っぽい匂いがした。古い本の匂い。懐かしい匂い。
アレックスは奥の棚から、一冊の本を取り出した。
黒い革装丁の本。表紙には古代文字が刻まれている。
『聖女の祝福と、失われし真実について』
「その本は……?」
「これは『聖女の祝福』について書かれた本だ。普段はこうして禁書庫に収蔵されている」
「なっ、そんな本、知らなかった……」
私、聖女なのにこの本のことは知らなかった。知らされてなかった……。
何が書いてあるんだろう。とても気になる。早く読みたい。
でも今はアレックスの話が最優先。
アレックスが本を開く。
そこには、古代文字で様々なことが書かれていた。『聖女の祝福』の歴史、性質、そして――。
「これを見ろ」
アレックスがあるページを指差す。
そこには、絆に関する記述があった。
『聖女は、真の絆によって守られる』
『聖女が深い愛を知ったとき、聖女の祝福はより完全なものになるだろう』
『互いを深く理解し、信頼し、愛し合う――真の絆が、聖女を守る』
私はその文章を、何度も読み返した。
「リディアの禁術への対抗策はこの記述を参考にした。真の絆ならば、聖女の祝福を……お前を守れるだろう」
真の絆。
互いを深く理解し、信頼し、愛し合う。
それって――。
「本当の自分を見せなきゃ、真の絆は結べないってことか」
私が呟く。
「ああ」
アレックスが頷く。
「お前が『聖女様』の仮面を被ったままレオンハルトと結婚しても、それは形だけの絆だ。お前を守ることはできない」
「……」
「本当の自分を見せて、それでも愛してもらえるか。それが、真の絆ってことだ」
その言葉が、重く胸に響いた。
やっぱり、本当の自分を見せなきゃいけないんだ。
怖いけど。
でも――。
「アレックス」
「何だ?」
「もし、レオンハルトが本当の私を見て、嫌いになったら……その時は、どうすればいいの?」
アレックスはしばらく黙っていた。
そして、静かに言った。
「その時は……別の人と絆を結ぶしかない」
「別の人……?」
「ああ。レオンハルトだけが選択肢じゃない」
アレックスが私の方を向く。その紫の瞳が、何かを訴えかけているように見える。
「お前を愛してくれる人は、他にもいる」
その言葉に、ドキッとする。
アレックスは、何を言おうとしているんだろう。
その時、図書室の扉が開いた。
「セリア、いるか?」
ルークの声だ。
私たちは慌てて禁書庫から出た。
「ルーク?どうしたの?」
「お前を探してたんだ。研究室にいなかったから」
ルークが私たちを見て、少し眉を上げる。
「二人で何してたんだ?」
「魔法の本を調べてたんだよ」
私は慌てて答える。
「ふーん」
ルークがニヤニヤする。
「まあいいや。セリア、今日の午後、時間ある?」
「え?何で?」
「ちょっと、俺と出かけないか?」
その言葉に、アレックスが少し表情を変える。
「出かけるって、どこに?」
「王都の町を案内したいんだ。セリア、最近ずっと研究室に引きこもってただろ? たまには外の空気を吸った方がいい」
外か。
正直、面倒くさい。
研究室でゴロゴロしてたい。
「でも……」
「レオンハルトのことで悩んでるんだろ? だったら、気分転換が必要だ」
ルークが私の手を取る。
「な、行こうぜ」
その緑色の瞳が、優しく微笑んでいる。
外に出るのは面倒くさい。
でも、確かに気分転換は必要かも。
ずっと部屋にいると、考えが堂々巡りになる。
「……うん、わかった」
私は頷いた。
よし、外の空気、吸ってこよう。




