第3話 騎士様にときめいています 2
「魔物だ!」
「逃げろ!」
大広間がパニックに陥る。
貴族たちが我先にと出口へ向かう。悲鳴が響き渡り、女性たちがドレスの裾を翻して逃げ惑う。テーブルが倒れ、花瓶が割れる音が聞こえる。人々がぶつかり合い、押し合い、混乱が広がっていく。
どこを見ても人、人、人。
魔物がどこにいるのかわからない。
やばい。
すごくやばい。
頭が真っ白になる。
いつもなら、遠くから魔法を放つだけ。
落ち着いて、狙いを定めて、一撃で終わらせる。
でも今は、混乱の中にいる。
人々が逃げ惑っていて、魔法を使えば巻き込んでしまうかもしれない。
すごく怖い――。
レオンハルトが即座に剣を抜いた。
儀礼用の剣ではない。彼は常に、実戦用の剣を持っているのだ。その剣――『聖剣グラディウス』は、刀身は銀色に輝き、柄には古代文字が刻まれている。
「セリア様、ここは危険です! すぐに避難を!」
「でも――」
「早く!」
彼が私を庇うように、魔物の前に立ちはだかる。その背中は頼もしく、まるで城壁のように堅固だ。
その瞬間、騎士たちも次々と駆けつけてきた。
フェリックスもいる。彼も剣を抜いて、魔物に向かっていく。
「団長!」
「フェリックス、貴族たちを避難させろ! 俺は魔物を食い止める!」
「了解です!」
騎士たちが動き出す。フェリックスは避難誘導に、他の騎士たちは魔物と戦い始める。剣と鋭い爪がぶつかる音、魔物の咆哮、騎士たちの叫び声が交錯する。
でも、魔物の数が多すぎる。騎士たちは勇敢に戦っているけれど、次々と襲いかかる魔物に押されている。
それに――騎士たちは、国王陛下や王族、貴族たちの護衛にも人員を割かなければならない。アレックスの言った通りだ。護衛対象が多すぎて、戦力が分散している。
そして――大広間の奥、割れた窓の向こうに人の姿が見えた。
黒いローブを纏った人物。
フードで顔は隠されているけれど、その手には複雑な魔法陣が浮かんでいる。紫色に光る魔法陣からは、禍々しい気配が漂っている。
あの人が、魔物を操っているのか。
「セリア様、早く!」
マリアが私の腕を掴む。
でも、私は動けなかった。
恐怖で、身体が固まる。
目の前で、人々が逃げ惑っている。
魔物が暴れている。
騎士たちが傷つくかもしれない。
どうすればいい?
私、何をすればいい?
魔法を使えば人を巻き込んでしまうかもしれない。
その恐怖が、私を縛り付ける。
その時、一体の魔物がレオンハルトの死角から襲いかかった。レオンハルトは別の魔物と戦っていて、気づいていない。魔物の鋭い爪が、彼の背中に向けられる。
「危ない!」
身体が勝手に動いた。
恐怖よりも、彼を守りたいという想いが勝った。
私は無意識に、手を伸ばしていた。
光の盾が出現し、魔物の攻撃を防ぐ。金色に輝く盾が、魔物の爪を弾き返す。魔物が怯み、後ずさる。
レオンハルトが驚いて振り返る。
「セリア様……!」
「レオンハルト様、お怪我はありませんか?」
「ええ、ありがとうございます。しかし――」
「私も戦います」
その言葉に、彼の目が見開かれた。
「しかし、貴女様は聖女……!」
「だからこそ、です」
私は前に進み出た。
心臓が激しく鼓動している。怖い。すごく怖い。
でも――。
この人を守りたい。
みんなを守りたい。
それが、私の本当の気持ちだから。
深呼吸をする。落ち着け、セリア。
いつもの、窓から魔法を放つ時のように。
一体ずつ、慎重に狙わなければ。
ドレスの裾を翻し、私は大広間の中央に立つ。周囲の魔物たちが、一斉に私を見る。その赤い目が、獲物を見つけた獣のように光る。
怖い。でも、やるしかない。
「聖なる光よ、我に力を」
私が両手を掲げると、眩い光が溢れ出した。
その光は、シャンデリアの光よりも明るく、太陽のように輝いている。光は私の身体から放射状に広がり、大広間全体を照らす。
魔物たちが悲鳴を上げる。「ギャアアア!」という耳をつんざくような叫び声。彼らは光に触れた瞬間、その身体が溶けるように消えていく。
三体、四体――近くの魔物は消滅した。
でも、まだ半分以上残っている。
そして、彼らは学習した。私から距離を取り、物陰に隠れるように動く。
「くっ……!」
もう一度魔法を放とうとするけれど、騎士たちが魔物の近くにいる。
間違えれば、彼らを傷つけてしまうかもしれない。
迷っているとそこへ黒いローブの人物が降りてくる。
私はその人物を睨みつけた。
というか、睨みつけようとした。
でも、足が震えてる。
「貴方が、魔物を操っていたんですね」
ローブの人物は答えない。
ただ、ゆっくりとフードを下ろした。
その顔を見て、私は息を呑んだ。
若い女性だった。
長い黒髪が、風になびいている。赤い瞳は、まるで炎のように燃えている。顔立ちは整っていて美しいけれど、どこか悲しげな表情をしている。唇は薄く、固く結ばれている。
「貴女は……」
「初めまして、聖女様」
女性が静かに言う。その声は冷たく、でもどこか寂しげだ。
「私の名は、リディア。かつて、この国に仕えていた魔術師です」
「かつて……?」
「ええ。十年前、私は『禁術』を研究したという理由で、国から追放されました」
禁術。
禁じられた魔法のこと。強力だけど、使用者や周囲に甚大な被害をもたらす危険な魔法だ。死者を蘇らせる魔法、魂を操る魔法、時を歪める魔法――どれも、使えば世界のバランスを崩す恐ろしい魔法ばかりだ。
魔法オタクとしてはちょっと興味あるけど、今そんなこと考えてる場合じゃない。
「貴女、なぜこんなことを……」
リディアが私を見つめる。
その瞳には、強い憎しみが宿っていた。まるで、長年の恨みを抱え続けてきたような、深い憎しみ。
「私の目的は、貴女です。聖女よ」
「私……?」
「ええ。貴女が持つ『聖女の祝福』――それは、本来私が持つべきものだったのです」
その言葉に、周囲がざわついた。
避難していた貴族たちも、その言葉を聞いて顔色を変える。
「何を言って――」
レオンハルトが剣を構える。彼は私の前に立ち、盾となるように身体を張る。
でも、リディアは笑った。冷たく、悲しく。
「信じられないでしょうね。でも、事実です」
彼女が手を掲げると、魔法陣が浮かび上がった。
さっきよりも遥かに複雑で、禍々しい魔法陣。紫色の光が渦を巻き、その中心には古代文字が無数に浮かんでいる。空気が歪み、重苦しい圧力が広間全体を包む。
「『聖女の祝福』は……それは――奪えるのです」
その瞬間、魔法陣が輝き出した。
私の胸が、急に熱くなる。
痛い。
まるで心臓を掴まれているような感覚。何か、身体の奥から引っ張られるような感覚。
「セリア様!」
レオンハルトが私を支える。その腕は力強く、温かい。
でも、痛みは増すばかりだった。
「くっ……!」
「やめろ!」
その声は――アレックスだった。
彼が広間に駆け込んできて、リディアに向けて魔法を放つ。彼の手から、三本の炎の矢が放たれる。炎は赤く燃え上がり、空気を焦がしながらリディアに向かっていく。
でも、リディアは余裕で避けた。身体を軽くひねり、炎の矢をかわす。炎は彼女の後ろの壁に当たり、小さな爆発を起こす。
「宮廷魔術師の筆頭、アレックス・ブラック」
リディアが冷たく微笑む。
「相変わらず、直情的な魔法を使うのね」
「リディア・ヴォルテール。お前の研究は知っている。『聖女の祝福』を奪う禁術――それを完成させたのか」
「ええ。十年かけてね」
リディアが笑う。その笑いは、勝利を確信した者の笑いだ。
魔法陣が更に強く輝く。
私の身体から、光が溢れ出す。金色の光が、まるで糸のようにリディアの魔法陣へと吸い込まれていく。
これは――私の魔力?
いや、違う。
これは、「聖女の祝福」そのものだ。私の核となる力が、奪われていく。
「やめて……!」
私は必死に抵抗する。魔力を押さえ込もうとする。でも、力がどんどん吸い取られていく。
身体が、動かない。膝が震える。視界がぼやけてくる。
「セリア!」
アレックスが私に駆け寄る。
でも、魔法陣のバリアに阻まれる。紫色の壁が、彼を弾き返す。アレックスが吹き飛ばされ、床に倒れる。
「無駄よ。この魔法陣は、私以外の魔法を遮断する。物理攻撃も、魔法攻撃も、全て弾き返すわ」
リディアが勝ち誇ったように笑う。
その時――。
「させるか!」
レオンハルトが剣を振るった。
聖剣グラディウスが、銀色の軌跡を描きながら魔法陣を切り裂く。剣が魔法陣に触れた瞬間、紫色のバリアが砕け散る。まるでガラスが割れるように、バリアが破片となって消えていく。
「何……!?」
リディアが驚愕の表情を浮かべる。その顔には、初めて焦りの色が浮かんでいる。
「バカな……物理攻撃で……!そんなことが……!」
「俺の剣『聖剣グラディウス』は、魔法を断つ力を持つ剣だ」
レオンハルトが私を庇うように立つ。
「セリア様を傷つけることは、俺が許さない」
その背中が、とても大きく見えた。
頼もしくて。
温かくて。
そして、何より――私を守ろうとしてくれている。
魔法陣が消える。
私の身体から力が戻ってくる。胸の痛みが和らぎ、呼吸が楽になる。
「くっ……!まだ準備が足りなかったか」
リディアが悔しそうに呟く。その顔には、明らかな焦りと怒りが浮かんでいる。
「いいわ。今日のところは引いてあげる。でも――」
彼女が私を睨みつける。その赤い瞳には、消えない憎しみが燃えている。
「次は、確実に奪ってみせる。覚悟しておくことね、聖女」
そう言い残すと、リディアは煙のように消えた。黒い霧が彼女を包み込み、風に溶けるように姿を消す。
残された魔物たちも、次々と消滅していく。
大広間に、再び静寂が訪れる。
私は膝をつく。
力を使いすぎた。魔物を倒し、リディアの禁術に抵抗し――身体中の力が抜けていく。
それに、恐怖で身体が震える。
怖かった。本当に怖かった。
視界が、ぼやける。
「セリア様!」
レオンハルトが私を抱きとめてくれた。その腕は温かく、力強い。
「大丈夫ですか!?」
「ええ……ちょっと、疲れただけです……」
私は彼の胸に顔を埋める。
温かい。
彼の心臓の音が聞こえる。規則正しく、力強く鼓動している。
安心する。
「すみません、皆様を危険な目に遭わせてしまって……」
「何を言っているんです」
レオンハルトが私の頭を優しく撫でてくれる。
「セリア様は、私たちを守ってくださいました。ありがとうございます」
その優しさに、涙が溢れそうになった。




