第2話 舞踏会の準備は面倒です 1
「セリア様、ドレスの仮縫いの時間ですよ」
侍女のマリアの声で、私は魔法書から顔を上げた。あれ、もうそんな時間?
舞踏会まであと三日。
レオンハルトとの約束から一週間近くが経とうとしている。その間、私はできるだけ「舞踏会のこと」を考えないようにしていた。考えると、あの時の胸の高鳴りを思い出してしまうから。
でも、現実は容赦ない。
「はーい、今行きまーす」
私はため息をつきながら立ち上がる。床には相変わらず、開きっぱなしの魔法書と実験道具が散乱している。
昨日は「自動掃除魔法」の開発に成功した。床に魔法陣を描いておくと、一定時間ごとに自動で埃を集めてくれる便利な魔法だ。
でも、散らかった本や道具までは片付けてくれない。それは自分でやるしかない。
面倒くさい。
「セリア様、お急ぎください。仕立て屋のマダム・ロザリーがお待ちです」
マリアが少し焦った声を出す。
ああ、そうだった。マダム・ロザリーは王都で一番有名な仕立て屋で、王族や貴族御用達の超一流デザイナー。時間にとても厳しい人だ。
「わかった、わかった。すぐ行くから」
私は適当に髪を整えて、白いローブを羽織る。
研究室を出ると、廊下には既にマリアが待っていた。彼女は三十代半ばの落ち着いた女性で、私が十歳の時から侍女として仕えてくれている。
私の本性も、もちろん知っている。
「セリア様、髪にクッキーの欠片がついてますよ」
「あ、ほんと?」
マリアが苦笑しながら、私の髪から欠片を取り除いてくれる。
「まったく、聖女様ともあろうお方が……」
「ごめんごめん」
私は照れくさそうに笑う。
「それに、この寝癖。いつまで床で寝てらしたんですか」
「寝てないよ。魔法書読んでただけ」
「……セリア様」
マリアが深いため息をつく。
「わわ、ごめんってば」
「以後気を付けてくださいね」
そう言いながら、髪を整えてくれた。
そうして、私たちは研究棟から王城の本館へと向かう。
石造りの廊下を歩きながら、窓の外を眺める。秋の空は高く、雲が白く輝いている。中庭の木々は少しずつ色づき始めていて、赤や黄色の葉が風に揺れている。
王城本館の三階にある、仕立て室に到着する。
広々とした部屋で、大きな窓から明るい日差しが差し込んでいる。
部屋の中には、布地のサンプルが並んでいて、トルソーが何体も立っている。
壁には、過去に作られたドレスのスケッチが飾られている。
部屋の中央には、マダム・ロザリーが立っていた。
五十代くらいの女性で、銀色の髪を綺麗にまとめている。厳しそうな顔立ちだけど、目は優しい。
「お待ちしておりました、聖女様」
マダム・ロザリーが優雅に一礼する。
「お待たせしてすみません、マダム」
私も丁寧に頭を下げる。
遅刻してないよね?
セーフ?
「いえいえ。さあ、こちらへどうぞ」
彼女が手を差し伸べ、私を部屋の奥へと案内する。
その手は、長年針仕事をしてきた職人の手だ。
でも、動きは優雅で美しい。
そこには、トルソーにかけられたドレスがあった。
淡い水色のドレス。シンプルだけど、上品で優雅なデザイン。胸元には細かいレースがあしらわれていて、スカート部分は軽やかに広がっている。
「わぁ……」
思わず、声が出た。
綺麗だ。本当に綺麗。
「お気に召しましたか?」
マダム・ロザリーが嬉しそうに微笑む。
「はい、とても。こんなに素敵なドレス、初めてです」
「ありがとうございます。聖女様のお肌の色を考えて、水色を選びました。金色のお髪にもよく映えると思います」
私はドレスに近づき、そっと生地に触れる。
柔らかくて、滑らかで、まるで雲みたい。
最高級の絹で作られているのがわかる。
触れるだけで、その品質の高さが伝わってくる。
「それでは、着てみていただけますか?」
「はい」
マリアと助手の女性たちが、私の服を脱がせ、ドレスを着せてくれる。
彼女たちの手つきは慣れていて、スムーズだ。
「では、失礼します」
助手の女性が、コルセットの紐を引く。
コルセットを締められて、少し息苦しい。
でも、鏡に映った自分を見て、思わず息を呑んだ。
綺麗だ。
いつもの私じゃない。聖女の白いローブを着ている時とも違う。
まるで、本物のお姫様みたい。
「お似合いです、聖女様」
マダム・ロザリーが満足そうに頷く。
「ただ、ウエストをもう少し絞りましょうか。それから、スカートの丈も……」
彼女は私の周りをぐるぐる回りながら、細かく調整していく。
ピンを打ち、メモを取り、時々うなずく。
その間、私はじっと立っていなければならない。
面倒くさい。
でも、不思議と嫌じゃなかった。
このドレスを着て、舞踏会に行く。
レオンハルトと踊る。
そう考えると、胸の奥が少しざわざわする。
ああ、だめだ。また考えちゃった。
「セリア様?」
マリアの声で我に返る。
「はい?」
「お顔が赤いですよ。どこか具合が悪いんですか?」
「え、あ、いや、大丈夫。ちょっと暑いだけ」
嘘だ。全然暑くない。
マリアは不思議そうな顔をしたけど、それ以上は何も聞かなかった。
彼女は私のことをよく知っているから、きっと察したんだろう。
ドレスの調整が終わり、私は元の服に着替える。
コルセットから解放されて、ほっとする。
やっぱり楽な服が一番。
「では、舞踏会の前日に、完成品をお持ちいたします」
マダム・ロザリーが言う。
「ありがとうございます、マダム」
「いえ。聖女様のために美しいドレスを作れて、光栄です」
彼女は再び優雅に一礼した。
研究室に戻ると、部屋に誰かいる気配がした。
扉を開けると、窓辺に男性が立っていた。
茶色の髪、緑色の瞳、爽やかな笑顔。
王子――ルーク・ヴェルディア殿下だ。
「やあ、セリア。留守にしてたみたいだね」
ルークが気さくに手を振る。
「ルーク様……また勝手に入って」
「いいじゃないか。俺たち、友達だろ?」
ルーク様は、ヴェルディア王国の第二王子だ。兄である第一王子が次期国王になる予定なので、彼自身は比較的自由な立場にある。
私が十二歳の時、王城の図書室で初めて会った。当時、彼は堅苦しい王族の生活に嫌気がさしていて、一人で図書室に逃げ込んでいた。
そこで、魔法書を読み漁る私と出会った。
最初は「聖女様」として接してきたけど、すぐに私の本性に気づいた。というより、バレた。魔法実験に失敗して、顔が煤だらけになったところを見られたのだ。
でも、彼は笑っただけだった。
「聖女様も、普通の女の子なんだね」って。
それからは、お互いに気を遣わない友達として付き合っている。
「それで、今日は何の用ですか、ルーク様」
「様付けはやめてくれって、何度も言ってるだろ」
「でも、一応王子様ですし……」
「こんな風にこっそり会ってる時くらい、普通に話そうよ。な?」
ルークがにっこり笑う。
この人は、本当に気さくだ。王族らしくない、と言ったら失礼だけど。
「わかった、わかった。それで、何の用なの?」
「舞踏会のこと」
その言葉に、私の心臓がドキッとした。
「な、何?」
「お前、レオンハルトとダンスするんだろ?」
「う、うん……」
「大丈夫か? あいつ、お前のこと、すごい崇拝してるぞ」
「知ってる……それが問題なんだよね」
私はため息をつきながら、床に座り込む。
ルークも隣に座った。
「でもさ、セリア」
「何?」
「お前、まんざらでもないんじゃないか?」
「え?」
「だって、お前、舞踏会に出るの、いつも嫌がるじゃん。でも今回は、すぐに承諾したって聞いたぞ」
ぐっ、と言葉に詰まる。
確かに、そうだ。
いつもなら、あの手この手で断るのに。今回は、なぜかすぐに「はい」と言ってしまった。
「それは……その……」
「もしかして、レオンハルトのこと、気になってる?」
ルークがニヤニヤしながら顔を覗き込んでくる。
「そ、そんなわけないでしょ!」
「お、顔赤いぞ」
「赤くない!」
「赤いって。ほら、耳まで真っ赤」
ルークが私の耳を指差す。
ああ、もう!
「ルークのいじわる!」
「はは、ごめんごめん」
彼は笑いながら、私の頭を優しく撫でた。
「でもさ、セリア。お前が誰かに恋するなんて、いいことじゃないか」
「恋なんかしてないもん」
「そう? じゃあ、なんで今、ドキドキしてるんだ?」
ルークが私の胸に手を当てようとする。
私は慌てて彼の手を払いのけた。
「触らないで!」
「冗談だって。怒るなよ」
ルークは笑いながら、少し距離を取る。
しばらく沈黙が流れた。
ルークが窓の外を見ながら、ぽつりと呟く。
「レオンハルトは、いい奴だよ」
「……知ってる」
「真面目で、誠実で、強くて。国のため、人々のために命を懸けられる男だ」
「うん」
「でも……」
ルークが私の方を向く。
「あいつ、お前の本当の姿を知らない」
その言葉が、胸に刺さった。
「……そうだね」
「お前が床に転がってクッキー食べてる姿も、魔法実験で失敗して煤だらけになる姿も……お互いのこと、まだ何も知らない」
「うん……」
「それでも、お前はあいつのことが好きなのか?」
“好き”
その言葉を聞いて、心臓が大きく跳ねた。
好き、なのかな。
私、レオンハルトのことが、好きなの?
「……わかんない」
正直に答えた。
「わかんないけど、でも……」
「でも?」
「あの人の笑顔を見て、胸がドキドキした。それだけは、確かなの」
ルークはしばらく私を見つめていたけど、やがて優しく微笑んだ。
「そっか」
そして、立ち上がる。
「じゃあ、舞踏会、楽しめよ」
「うん……ありがとう、ルーク」
「どういたしまして。ああ、そうだ」
扉の前で、ルークが振り返った。
「俺も舞踏会に出るから。もしレオンハルトがダメだったら、俺と踊ろうぜ」
「え?」
「冗談だって。じゃあな」
ルークはウインクして、部屋を出ていった。
私は一人、床に座ったまま、自分の胸に手を当てた。
まだ、ドキドキしてる。
レオンハルトのことを考えると、こうなる。
これって、もしかして。
本当に、恋なのかな。




