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第1話 研究室でお昼寝中です 2

 しばらくすると、研究室の扉が開いた。


「またそんな格好で寝てたのか、セリア」


 低くて心地よい声。振り向くと、黒髪に紫の瞳を持つ美青年――宮廷魔術師のアレックス・ブラックが、呆れた顔で立っていた。


 彼は宮廷魔術師の制服を着ている。深い紫色のローブに、金色の刺繍が施されている。長身で、整った顔立ち。その紫の瞳は知的で、どこか神秘的だ。

 この人は私の本性を知ってる数少ない人物の一人だ。


「アレックス……ノックくらいしてよね」

「したぞ。お前が爆睡してて気づかなかっただけだ」


 アレックスは部屋に入ってくると、床に散らばった魔法書を拾い上げた。その手つきは慣れたもので、本を大切に扱っている。


「『生活魔法大全』に『温度制御の基礎理論』、それから『古代魔法陣の解読』……相変わらず節操ないな」

「研究に節操なんていらないもん。面白そうなもの全部やる、それが私のポリシー」


 私は床に座ったまま、もう一枚クッキーを口に放り込む。


「で、今度は何を作ってるんだ?」


 アレックスが興味深そうにマグカップを手に取る。彼は魔法書を本棚に戻しながら、マグカップを観察している。


「ああ、それ。温度を一定に保つ魔法を付与したマグカップ。魔力で温度を感知して、自動的に調整する仕組みなの。一定温度を保つから、お茶も冷めないしスープも冷めない。便利でしょ?」

「お前、本当に生活魔法ばっかり開発してるな」


 アレックスが苦笑する。


「だって便利じゃん。魔法って、もっと日常で使われるべきだと思うんだよね」


 私が初めて魔法に触れたのは、確か五歳の頃だった。

 私は王都から少し離れた小さな村の孤児院で育った。「聖なる泉の孤児院」という名前で、親切なシスターたちが運営していた。親の顔は知らない。物心ついた時には、もう孤児院にいた。他の子供たちと一緒に、質素だけれど温かい生活を送っていた。


 ある日、孤児院の庭で遊んでいた時、空から光が降りてきた。

 それが私の「聖女の祝福」の覚醒だった。

 金色の光が空から降り注ぎ、私の身体を包み込んだ。その瞬間、身体中に温かい力が満ちるのを感じた。周囲の草花が一斉に咲き、空気が甘い香りに包まれた。


 その光景を見た大人たちは大騒ぎして、すぐに王都に連絡が入った。王国の役人たちがやってきて、私は王都に連れて行かれた。馬車に乗って、初めて王都を訪れた。あの時の驚きと不安を、今でも覚えている。

 そして、聖女として育てられることになった。


 最初は戸惑った。突然、立派な部屋を与えられて、綺麗な服を着せられて、「聖女様」と呼ばれて。孤児院での質素な生活とは全く違う、豪華な生活。でも、寂しかった。友達もいなくて、周りの大人たちはみんな、私に対して恭しく接する。


 でも、すぐに気づいたんだ。

 聖女って、結構自由なんだ、と。

 国王陛下も、大臣たちも、侍女たちも、みんな私の言うことを聞いてくれる。「聖女様のご希望」と言えば、大抵のことは叶う。欲しい本を頼めば手に入るし、静かな場所が欲しいと言えば用意してくれる。

 だから私は、図書室で見つけた魔法書を読み漁るようになった。


 魔法って、面白い。

 火を出したり、水を作ったり、物を動かしたり。世界の理を操る感覚が、たまらなく楽しかった。初めて小さな火を出した時の興奮を、今でも覚えている。自分の手から炎が生まれる――それは、まるで奇跡のようだった。


 そして、ある時気づいた。

 私の「聖女の祝福」は、ほぼ万能だ。

 普通の人が使える魔法には限界がある。火の魔法が得意な人は水の魔法が苦手だったり、治癒魔法が使える人は攻撃魔法が使えなかったり。魔法には相性があって、誰もが全ての魔法を使えるわけではない。

 でも私は、全部できる。しかも、他の人より遥かに強力に。火も水も風も土も、治癒も攻撃も防御も、全てが自由自在だ。


 それからは、魔法研究が私の生きがいになった。

 聖女の仕事?適当にこなせばいいじゃん。魔物が出たら倒す、病人が出たら治す、祭りがあれば祝福を与える。簡単簡単。

 私の本当にやりたいことは、魔法研究なんだから。


 アレックスは苦笑しながら、隣に腰を下ろした。床に落ちている魔法書を避けるように座る。


「お前が本気を出せば、国の最強魔術師にだってなれるのに」

「やだよ、面倒くさい。それに私、戦うの好きじゃないし」

「さっき魔物を一撃で倒してただろう」

「あれは面倒だったから早く終わらせただけ。それに、落ち着いて狙えたし。もし突然目の前に現れたら、多分パニックになると思う」


 クッキーをもう一枚口に放り込む。

 うん、やっぱり美味しい。このクッキー、王城の専属パティシエが作ってくれたやつなんだけど、絶品なんだよね。バターと砂糖の配合が絶妙で、サクサクの食感がたまらない。


「なあ、セリア」


 アレックスが真面目な顔になる。その紫の瞳が、私を見つめている。


「お前、本当にこのままでいいのか?」

「何が?」

「聖女の仕事を適当にこなして、研究室に引きこもって。周りは勘違いしたままで」

「いいんだよ、それで。私は魔法研究ができれば幸せなの。聖女とか、正直どうでもいい」


 本当は、もっと複雑な気持ちもある。

 時々、思うんだ。私は本当に「聖女」なのかって。

 聖女って、人々を導く存在でしょ?困ってる人を助けて、国を守って、みんなから尊敬される存在。歴史書に載っている聖女たちは、みんな立派で、献身的で、人々のために尽くした。


 でも私は、そんな立派な人間じゃない。

 魔法研究が好きで、面倒くさいことは嫌いで、クッキー食べながらゴロゴロするのが至福の時間。人前に出るのも苦手だし、社交的でもない。

 こんな私が、本当に聖女でいいのかな。


 でも――。

 そんなこと考えても仕方ない。私は聖女として生まれたんだから。この力を持って生まれたんだから。

 だったら、自分が楽しめる方法で、この役目を果たせばいい。

 それが私の答えだ。


「……お前らしいな」


 アレックスは諦めたように肩をすくめた。


「ま、俺もお前のそういうとこ、嫌いじゃないけどな」

「ありがと。アレックスは理解があって助かる」


 アレックスとは、私が十歳の時に知り合った。

 当時、彼は宮廷魔術師見習いとして王城で働いていた。まだ十五歳だったけれど、既に魔法の才能を認められていた。ある日、私が禁書庫に忍び込んで魔法書を読んでいるところを見つかったのだ。

 普通なら怒られるところだけど、アレックスは一緒に魔法書を読んでくれた。「面白い魔法陣だな」と言って、一緒に解読を手伝ってくれた。


 それからは、魔法研究仲間として付き合っている。私の本性を知っていて、それでも受け入れてくれる貴重な存在だ。彼がいなければ、私はもっと孤独だったかもしれない。


「で、その温度調整マグカップ、俺にも一つ作ってくれないか?」

「いいよー。材料費として、クッキー三箱で」

「高すぎる」


 アレックスが即座に答える。


「じゃあ二箱」

「一箱だ」

「一箱半!」

「……わかった」


 私たちは握手を交わす。これが私たちの「研究仲間」としての流儀だ。お互いに対等な立場で、技術や知識を交換する。


 アレックスは立ち上がり、扉に向かう。その背中は頼もしく、でもどこか寂しげだ。


「そうだ、言い忘れてた。明日の午後、騎士団長のレオンハルトが、お前に会いに来るって」

「えー、何で?」


 私は顔をしかめる。


「お前が魔物を倒した件で、お礼を言いたいらしい」


 あー、面倒くさい。


 レオンハルト・フォン・ヴァルハイム。王国騎士団の団長で、金髪碧眼の完璧イケメン騎士。ヴァルハイム公爵家の長男で、王国屈指の名門貴族の出身。真面目で実直で、正義感が強くて。


 そして、残念なことに、私のことを「清楚で献身的で神々しい完璧聖女様」だと本気で信じている。

 騎士団長っていうのは、王国の騎士たち全員を統括する役職だ。王都の警備はもちろん、魔物の討伐、国境の守備、すべてを指揮している。王国の軍事力の要とも言える存在だ。

 つまり、すごく偉い人。すごく忙しい人。


 なのに、わざわざ私に会いに来るなんて。


「適当に誤魔化しといてよ……」

「無理だろうな。あいつ、お前に会うのを楽しみにしてたぞ」

「えぇ、ホントに?」

「ああ。『聖女様の御尊顔を拝せるとは光栄の極み』とか言ってた」


 重い。重すぎる。


「じゃあな、セリア。頑張れよ」


 アレックスは意地悪そうに笑って、部屋を出ていった。扉が閉まる音が、妙に大きく聞こえた。


 私は床に大の字に転がる。


「やだなぁ……レオンハルトさん、苦手なんだよね」


 別に嫌いじゃない。むしろいい人だと思う。騎士として立派だし、人々を守る姿は尊敬できる。あとイケメン。

 でも、あの「聖女様への崇拝の眼差し」が重い。私のことを、まるで触れてはいけない聖域の存在みたいに扱うんだもん。距離が遠すぎて、普通に話すことすらできない。

 私はただの魔法オタクなのに。


 はぁ……心の準備をしておかないと。

 私はもう一度クッキーを手に取り、魔法書を開いた。

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