第1話 研究室でお昼寝中です 1
聖女物の王道ストーリーです。
第1部は毎日更新。
「聖女様ぁぁぁ! 大変です! 王都の南門に魔物が出現しました!」
扉を叩く騎士の声が、私の心地よい午睡を無慈悲に打ち砕いた。
あーあ、せっかくいい夢見てたのに。確か、新しい魔法陣の構築に成功して、王城中が祝福の光に包まれるっていう、とてもいい感じの夢だったのに。
「セリア様! お願いします!」
声の主は多分、フェリックスくんだ。真面目で元気いっぱいで、犬みたいに懐いてくる可愛い新米騎士。
でも今は、ただただうるさく感じる。
私――セリア・ルミナスは、現在、王城の聖女専用研究棟の床でクッキーの袋を抱えながら魔法書を読んでいた。いや、正確には「読みながら寝落ちしていた」が正しい。
この研究棟は、王都ルミナリア――ヴェルディア王国の首都――の中心、小高い丘の上にある王城敷地内にある。白い石造りの三階建ての建物で、王城の東側に位置していて、普段は誰も来ない静かな場所だ。周囲には小さな庭園があって、今の季節は窓から見える木々が少しずつ色づき始めている。
本来は「聖女が祈りを捧げる神聖な場所」として用意されたんだけど、私が「魔法研究がしたい」とごねたら、国王陛下が「聖女様のご希望なら」と改装してくれた。一階は書庫、二階は実験室、三階が私の居室兼研究室になっている。
ありがたい。本当にありがたい。おかげで誰にも邪魔されず、好きなだけ魔法研究ができる。そして好きなだけゴロゴロできる。
床には開きっぱなしの魔法書が三冊。『生活魔法大全』は厚手の革装丁で、ページは使い込まれて少し黄ばんでいる。『温度制御の基礎理論』は比較的新しい本で、挿絵が豊富だ。『古代魔法陣の解読』は禁書庫から借りてきた貴重な本で、扱いには注意が必要だ。
そして昨日作った「自動温度調整魔法」の試作品であるマグカップ。白い陶器のマグカップに、細かい魔法陣が刻まれている。魔力はすでに切れていて中身の紅茶は冷めてしまっているが……。
さらに食べかけのクッキーたち。王城の専属パティシエが焼いてくれたバタークッキーで、サクサクしていて絶品なのだ。袋の中にはまだ十枚くらい残っている、はず。
あと床に転がってるのは――使用済みの実験道具、魔法陣を描いた羊皮紙の束、魔力測定器、水晶玉、魔法触媒用のハーブ類――このあたりの研究道具は侍女のマリアには触らないように言ってあるので、自分が片付けなければならないのだけど……。
うん、完全にダメ人間の部屋だこれ。
「せ、聖女様ぁぁぁ!このままでは町の人たちが危険です!」
フェリックスくんの声に切迫感が増してきた。扉を叩く音も、より激しくなっている。
そうだ、南門。
王都ルミナリアには四つの門があって、南門は一番大きな門だ。商人たちが出入りする場所で、いつも人で賑わっている。朝から晩まで、荷車や馬車が行き交い、露店も並んでいる活気のある場所だ。
魔物が出たってことは、森から迷い込んできたのかな。
王都の南には深い森が広がっていて、そこには様々な生物が生息している。普段は魔物なら森の奥深くにいるはずなんだけど、最近、森の魔物が活発化してるって報告があったし。
門には騎士が常駐してるはずだけど、中級以上の魔物だと手に負えないんだよね。下級魔物なら騎士たちだけで対処できるけど、中級以上となるとやっぱり聖女の力がほしいところ。
仕方ない、起きるか。
私はのそのそと身体を起こし、髪についたクッキーの欠片を払い落とす。金色の巻き毛が、ふわふわと揺れる。髪は肩まで伸びていて、普段は適当に結んでいるけれど、今は完全にボサボサだ。
「はいはい、今行きまーす」
できるだけ聖女っぽい――つまり、清楚で優しげな――声を作って返事をする。普段のだるそうな声とは全然違う、澄んだ高めの声。この声の使い分けが、私の日常を守る唯一の武器なのだ。
このギャップがバレたら、私の平穏な魔法研究ライフは終わる。
私は立ち上がり、白いローブの裾を整える。髪を軽く撫でつけて、鏡でチェック。うん、一応聖女っぽく見える。
扉に向かい、開ける。
廊下には、フェリックスくんが直立不動で立っていた。栗色の髪に茶色の瞳、日焼けした健康的な肌。まだ十九歳の若い騎士だ。
「聖女様!」
フェリックスくんの安堵のため息が聞こえた。
「すぐに対処いたします。“そちらで”少々お待ちください」
「かしこまりました!」
フェリックスくんの声が少し落ち着いたように聞こえる。ただ、部屋の中には入れたくないので廊下で待っていてもらう。
そして私は窓に近寄り、外を見下ろす。
研究棟は三階建てで、私がいるのは最上階。王城が丘の上に建っているおかげで、ここからだと王都全体が見渡せる。大きな窓からは、王都ルミナリアの美しい景色が一望できる。
石畳の道が放射状に広がり、色とりどりの屋根が並ぶ美しい町並み。赤い屋根、青い瞳、緑の屋根――それぞれの建物が個性を主張している。遠くには王都を囲む高い城壁が見える。そして、南門の周辺に、人だかりができている。
――嫌な魔力を感じる。
ああ、あれだ。
良く見えないが、魔力の波動から判断すると、中級魔物の「グレイウルフ」ってやつかな。体長三メートルくらいの、灰色の巨大狼。鋭い牙と爪を持っていて、その咆哮は人の心を凍らせるという。普通なら騎士が十人がかりで戦うレベルの強敵だ。倒すのに苦労するだろう。
でも私にとっては、クッキー一枚分の労力で片付く程度の相手。
これが「聖女の祝福」の力。私が子供の頃から持っている、特別な魔法能力だ。
この国――ヴェルディア王国では、百年に一度、「聖女の祝福」を持つ子供が現れるとされている。その子は成長すると、国を守る聖女として人々を導く存在になる。歴史書には、過去の聖女たちの偉業が記されている。魔物の大群を一人で退けた聖女、疫病を治した聖女、戦争を終わらせた聖女――みんな、立派な人たちばかりだ。
正直、私はそんな大層な役目には興味がない。ただ、この力のおかげで魔法研究が捗るから、まあ悪くないかな、と。
窓を開けて、適当に右手を掲げる。秋の風が頬を撫でる。少し冷たくて、心地いい。髪がふわりと揺れる。空気は乾燥していて、遠くから馬車の音が聞こえる。
障害物もない。落ち着いて狙いを定められる。こういう状況なら、魔法は簡単だ。
「聖なる光よ、闇を払いたまえー」
詠唱なんて本当はいらないんだけど、周りの期待に応えるために一応言っておく。みんな、詠唱があった方が「聖女様っぽい」って喜ぶし。こういうセリフを言うのは、正直ちょっと楽しい。
指先から放たれた光の矢が、ふわりと弧を描いて魔物に命中。金色の光が尾を引きながら、美しい軌跡を描く。
研究棟から南門までは、優に一キロメートルはある。この距離で魔力を感知し、正確に魔法を届かせられるのは、聖女の力があればこそだ。普通の魔術師だと、せいぜい百メートル程度が限界だろう。
グレイウルフは「ギャウン!」と一声鳴いて、光の粒子になって消滅した。その身体が金色の光に包まれ、キラキラと輝きながら空気に溶けていく。
はい、終わり。所要時間五秒。
一体だけなら、こんなもの。落ち着いて対処できる。
「すごい……!」
「さすが聖女様……!」
「あの距離から、しかも一撃で……!」
下から歓声が聞こえてくる。
門の周りにいた町の人たちも、こちらを見上げて手を振っている。商人たち、主婦たち、子供たち――みんな、安堵の表情を浮かべている。
私は聖女らしく微笑んで、優雅に手を振る。内心では「早く研究に戻りたい」と思いながら。この笑顔も、長年の練習の成果だ。鏡の前で何度も練習した。
「では、皆様、お気をつけて。私はこれで失礼します」
町の人からは遠くて見えていないかもしれないけれど、聖女らしく振る舞う。
窓を閉める。カーテンを引く。
「聖女様! 本当にありがとうございました!」
フェリックスくんが深々と頭を下げる。
「いえ、当然のことをしただけですから」
その返事にフェリックスくんの目がキラキラ輝く。本当に、純粋な子だ。
「では、引き続きお務め、頑張ってくださいね」
「はい!」
彼は再び敬礼をして、階段を駆け下りていった。その足音が遠ざかっていく。
私は扉を閉めて、ため息をつく。
「ふう……やっと終わった」
そして即座に床に戻り、クッキーを掴んでぱくり。
うん、やっぱり美味しい。バターの風味が口の中に広がる。
「これでもう一眠りできる」
魔法書を枕代わりにして、もう一度横になった。




