ミルモン再び
ダンジョンの奥で、何かが蠢き、リゼが剣を構える。
「……また来たのか?」
マクがやれやれといった顔を、する。
「あれは……」
俺も正体を、確信する。
闇の中から、あの今となってはあまり恐くない目がゆっくりと開いていた。
「ギョボォォォォ……」
ミルモンだった。
だが──前よりも黒い。
「おい、あれって!」
「剣聖──ガルディア・ラグナスでも苦戦したというミルモンじゃねーか! 逃げろ!」
残っていた数少ない冒険者たちが慌てふためいている。
「うそでしょ。今までと段違いに強い敵じゃない……」
リゼも剣を持つ手が震えていた。
マクがミルモンを瞬殺した様子は、俺しか見ていなかった。
やはり先ほどだけ、マクの様子がおかしかった。
異常事態だった。
ミルモンは俺だけを見つめ、四肢を震わせながら、まるで跪くように、深く沈んでいった。
「……なんだよ、これ……」
マクが呆れたようにして、呟く。
「ミル……あんた……やっぱり何者なの……?」
リゼは剣の構えを下げ、こちらも呆れている。
「うわあああああ!!」
一方、俺は発狂していた。
ミルモンが一目散に、こちらに向かって突進してきたからだ。
死ぬ──!
と、思った。
が。
ミルモンの身体は、俺の頭上で不自然に逸れ、奥の壁を砕いていた。
「……え、二回目じゃねーか」
マクが青ざめた顔で、俺を見ている。
「ミル……今のは奴が避けたんじゃねえ。ミルモンが、お前を意図して避けたみたいに見えたぞ」
マクはミルモンに前に立ち、拳を一つ、ぶつける。
雲散霧消した敵の跡を、マクは見つめ続けていた。
「よっ、無双男!」
「こりゃ、四傑より強いかもな!」
冒険者たちに生気が戻っている。
「……あんたの方が、化け物みたいに強いじゃないの」
リゼがわなわなと手を震わせながら、ゆっくりと剣を下ろす。
「当然だ」
「だったら、さっきはやっぱり……」
「ああ。影を呼び寄せたくなかった。ただ、それだけだ」
ミルモンが霧散したあとも、ダンジョンの空気は張りつめたままだった。
いや、厳密には三人の中だけ、空気が異様に重かった。
他の冒険者たちは狂喜乱舞している。
マクがミルモンの残していったアイテムを周りに譲ったからだ。
三人は、誰も動かない。
喋らない。
ただ──ミルモンが跪いた跡だけが、黒く焦げたようにして、俺の中に残っていた。
リゼが沈黙を、破る。
「……ミル。あんた、さっき……ミルモンに見下ろされていたわよね?」
「見下ろされていた……?」
「うん。なんか敬われてた……みたいに、見えたのよ」
「たしかに……あいつ、ミルを敵として見ていなかった。むしろ……主を見るみてえな目だった」
マクもいつもより低い声色だった。
「ミル。魔物に尊敬される人間なんて、聞いたことねえぞ」
「俺だって知らないよ!」
「じゃあ──」
マクは俺の胸元を掴み、一気に引き寄せる。
「なんで影もミルモンも、お前を避けるんだよ……!」
何も、俺は答えられなかった。
刹那、ダンジョンの灯りが、また明滅した。
リゼが剣を正面に構え、マクが俺の前に立つ。
(……ミル兄……)
少女の泣き声が、頭の奥で響く。
心の奥がひどく疼いた。
知らないはずであるのに、確かに「知っている」と体の内側が叫んでいた。
「……誰だよ……?」
膝をつく。
視界が揺れ、心臓が痛む。
(ミル兄……マク……助けて……)
白い手が、心の中に伸びてくるかのようだった。
「ミル兄?」
俺がそう呟くと、マクが驚いた顔をした。
「ミル……今、なんて言った?」
「心の中で誰かが『ミル兄』って……」
「そうか」
マクは拳を見つめていた。
「……その声、俺にも聞こえるぜ」
リゼは眉根を寄せたまま、俺たちの会話に入って来ようとはしない。
「ずっと誰かが泣いてた。俺を呼んでた。でも名前が思い出せなかった。けど今、はっきり聞こえた。『ミル兄』と呼ぶ声と──」
マクの唇がわずかに揺らいだ。
怒りでも困惑でもない──胸の奥に押し込めていた何かが、ふと漏れ出したような動きだった。
「『マク……助けて』って声が、な」
マクが俺を見る。
俺も、マクを見た。
その目は、豪胆さとはかけ離れていた。
何かを思い出しかけて、それでも掴めずにいる弱者の目だった。
「……変だよな」
マクが低い声色で、言う。
「お前を見てると……実家に帰ってきたみたいな気分になるんだ。理由なんか、分かんねえのに」
俺は息を呑んだ。
「……実家の場所すら、思い出せねえのに」
マクは、ぼやく。まったく同じ想いを、俺も抱いていた。
「……俺たち……」
マクがそう言いかけた瞬間、視界が一瞬だけ、霞み、マクの輪郭が、別の誰かと重なる。
銀髪の青年が──血に濡れた手で、誰かを庇って倒れる後ろ姿が、脳裏に過る。
「おい……ミル……」
「マク……今……」
俺は激痛により、頭を押さえた。
マクも同じ動きをしていた。
二人の呼吸が乱れる。
胸の奥が、同じ間隔で脈打っているのが分からないはずなのに、十全に、分かった。
言葉にできない何かが、確かに二人の間には、あった。
それは記憶というより──喪失に近い痛みだった。
「……なんでだろうな。お前を見てると……守らなきゃって思うんだよ」
マクが、かすれた声で言った。その言葉が、胸に刺さった。
理由なんて分からなかった。でも、やはり俺も同じ気持ちだった。
「……俺もだよ。マク」
二人の視線が重なる。
その一瞬だけ、世界が静かになった。
まるで──二人が何か大切なものを同時に思い出しかけたような、そんな静けさだった。
(……ミル兄……)
今度は耳のすぐ後ろで、声が囁いた。
泣き声なのに、笑っているような声の震え方だった。
(……やっと……見つけた……)
その声は、俺の心臓の鼓動と同じリズムで響いていた。
思わず振り返る。
茶色い地面と壁しか見えない。誰もいない。
だが──その声量は、確かに前よりも大きくなっていた。




