無知
「無双男! 剣の巫女! あの影をやっつけてくれたんだな!」
どこか遠くに逃げていた冒険者たちが近くに戻ってきていた。
「やっぱり最強コンビだ!」
またある一人の冒険者が興奮気味に、称えた。
マクとリゼは苦笑しながら、俺を指差す。
「いや……俺たちは……」
「違うのよ。あれは……」
だが誰も二人の言葉を、真正面から受け取ろうとはしなかった。
「おっと。まだ、こいつもいた。また転んで生き残っただけだろ?」
「運だけで、最強二人の横に立てるとか羨ましいよな!」
俺は苦笑した。
ここで否定しても誰も取り合わないだろうと思い、ただ顔の頬を持ち上げる意識だけを強く、した。
「……まあ、そうなるような。でも、ミル。お前は強い」
マクが俺の肩を掴んだ。
「そうね、ミル。今までの発言を撤回するわ」
リゼも真剣な目で言った。
「……あんたは、ただの幸運男じゃない。何か……もっと恐ろしいものを抱えてる」
「物足りねえ……」
マクは「ダンジョン内をまだ探索してくる」と豪語した。
「しばらく休憩したいんだけど」
「私も」
この選択が、大いなる誤りだった。
マクの冒険を待つ間、俺はリゼにしつこく絡まれていた。
「ミル。どうしてそんなことも知らないの?」
リゼは大きく目を見開き、俺の頭を小突いてくる。
「そんな説明なかったからだよ」
遠くで暴れ回るマクを見ながら、俺はリゼに相槌を打つ。
「あなた、ル・トウキョウの学校を出てないの?」
「ル・トウキョウ?」
俺が尋ね返すと、リゼはポカンとした顔になった。
「ごめん。本当に記憶がないんだって」
マクの眼前が魔物ではなく、アイテムに変わっている。
「嘘つきは、嫌いよ?」
「いや。嘘じゃないって」
「じゃあ無知のまま、どうやってダンジョンの中に入れたのよ?」
「それは目の前に穴があるからいけるかなって……」
「え、嘘。冒険者登録もしてないの? ……ちょっと待って」
リゼは額に手を当て、深くため息をついた。
「ミル。あんた、まさか──」
「うん?」
「無許可でダンジョンに落ちたの?」
「いや、落ちたっていうか……勝手に落ちた?」
「それを無許可って言うのよ!!」
ダンジョン内に、リゼの怒号が響いた。
周りの冒険者がちらりと、こちらを見てくる。
流石に、ドグラニスタの一件後、明らかにダンジョンにいる冒険者の数が減っていた。
あんな恐怖を目の当たりにすれば、ダンジョンから離脱したくなる気持ちも、分かる。
マクが、異常なのだ。
「だってさ、穴が開いてて……気づいたら落ちてて……」
「普通は落ちないのよ! あの穴は、ル・トウキョウの立ち入り禁止区域なんだから!」
「え、そうなの?」
「そうよ!!」
リゼは両手で頭を抱えた。
「……はあ。あんた、本当に記憶ないのね」
「だからそうだって言ってるじゃんか」
「でも、記憶のない人がダンジョンに入れるわけないのよ。魔力認証も、登録も、適性検査も全部必要なんだから」
「多分、俺。力も、魔力もゼロだよ?」
運だけはあるけどね、と続けようとして、止めた。
それはそれで、信じられないだろうな、と思ったからだ。
「全部がゼロでダンジョンに入れるわけないでしょ!!」
リゼは完全に混乱しているようで、近くの壁をぶん殴っていた。
ヒビが入り、遠目で見ていた冒険者一行が、「ひゃっ」とよく分からない反応を取っている。
「じゃあ……どうやってダンジョンに入ったのよ……?」
「だから、目の前に穴があって──」
「その穴が問題なのよ! 立ち入り禁止区域に侵入したの? そんな簡単に穴が見つかると思うの?」
リゼは俺の胸ぐらを掴んでいた。
「気づいたら、目の前に穴があった。だから入ったんだよ」
棒読みで、俺は、事実だけを、述べる。
「そんな登山家みたいな言い訳しないで。え、ちょっと待って。ミル。あんた、もしかして──」
言いかけて、リゼは口をつぐんだ。
彼女の目が、感情の波に揺れる。
「……いや、まさかね。そんなわけ……」
「ん、何が?」
「なんでもないわよ!」
リゼは急にそっぽを向いた。
その時、ダンジョンの奥から冒険者たちのざわめきが聞こえた。
「おい、見ろよ……あれ……」
「また……揺れたぞ……?」
「さっきの影……戻ってきたりしないよな……?」
リゼの表情が一瞬で引き締まる。
「……ミル。あんた、さっきの影のこと……覚えてる?」
「うん。忘れられるわけないよ」
「じゃあ──」
リゼは俺の目をじっと見つめた。
「あれが、あんたを避けた理由、本当に心当たりないの?」
「心当たりなんて……ないよ。きっと……何も」
リゼはしばらく俺を見つめていたが、やがて小さく息を吐いた。
「……まあ、いいわ。マクが戻ってきたら、これからのことをちゃんと話し合いましょう」
リゼは剣を抱え、ヒビが入ったばかりの壁にもたれかかった。
「……ミル。本当に、ただの幸運な男でいてよね」
その声は、冗談のような声色ではなかった。
その時──ズシン、とダンジョンの地面がわずかに揺れた。
「……やっと戻ってきたわね」
リゼが剣に手を添える。
現れたのは魔物ではなかった。
「よお……ミル、リゼ」
マクだった。
ただ──いつものマクではなかった。
歩き方がふらついている。
肩で息をしている。
額には汗が滲み、拳は微かに震えていた。
「マク……? どうしたのよ、その顔」
リゼが眉をひそめる。
マクは笑おうとしているようだが、うまく笑えていなかった。
「……ちょっと、ダンジョンの深層の方まで行ってきた。上の方だな」
「嘘ね」
リゼが即答した。
「その程度であんたが疲れるわけないでしょ。一体、何があったの?」
マクはしばらく黙っていた。
その沈黙が、逆に怖かった。やがて、マクは俺の方を見た。
「……ミル。お前、さっきの影のこと……覚えてるよな」
「……当然」
マクは拳を握りしめ、ゆっくりと首を左右に振った。
「……あいつの残り香が、まだダンジョンに漂ってやがる。俺は……それを追ってた」
リゼが息を呑む。
「残り香……? そんなの、普通の冒険者じゃ感じ取れないわよ」
「俺も感じたくなんてなかったよ」
マクは肩をすくめ、えくぼを作った。
だが、そのえくぼは、すぐに消えていた。
「……ミル。奴がお前の名前を呼んだ瞬間、ダンジョン全体が香りを放ったんだ」
「え……?」
「いや。わりい、あれは……香りじゃねえな。何だろうな。もっと……嫌な気配のようなものだった。とにかく俺は……それを追った。でも、途中で……足が動かなくなった」
マクの顔色が悪くなる。
「とにかく……怖かったんだ。あんなの、初めてだ」
マクの反応に、リゼの目が見開く。
「あのマクが……怖がるなんて……」
マクはゆっくりと俺に近づいてくる。
「ミル。なあ……本当に何も覚えてないのか?」
俺は、ゆっくりと首を振った。
「……何も、覚えてない」
マクはしばらく俺を見つめていたが、やがて深く息を吐いた。
「……そうか。なら、今はそれでいい」
「マク。反対にあんたは何か、知ってるでしょ」
リゼが腕を組む。
「……知らねえよ。ただ──」
マクは俺の肩にそっと手を置いた。
「ミル。お前がいなかったら、俺たちは死んでた。それだけは、間違いねえ」
「そうね……あんたはただの幸運男なんかじゃない。本当に……何かを持ってる」
同調するように、リゼも静かに頷き、場は静まりかえった。
俺は反応に困り、ただ笑うしかなかった。
本当に、記憶がなかった。
いつの間にか、ただダンジョンの穴に落ちていた。
ただ、それだけだ。
「……今の、何?」
「……また、魔物が来るのか?」
冒険者たちの声に、マクとリゼが同時に振り返る。
ダンジョンの灯りが、一瞬だけ、明滅していた。
「……さっきから、背中が寒いのよ」
ぽつりとリゼが言った時、ようやく俺も異変に気づいた。
魔物特有の足音が、鼓膜をひどく揺らしていた。
その特徴的な目が、俺を凝視していた。




