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観察対象:ミル・ミクロ ──相棒が、無双男だった  作者: 木村文彦


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第3話 剣の巫女

「……リゼ・ラグナ」

 マクが足を止め、女剣士の名を一息に、言った。

「リゼ。……元気か?」

 マクは剣を抜き、女剣士に微笑みかける。

「あら。私の誘いを断って、ダンジョンを探索している男に今さら興味はないって。それに四腕甲殻魔クァドラ・シェルにも逃げる有様とは、ね?」


「……これには事情がある」

 強者同士の会話に、俺だけがその場に取り残されていくような気がした。


 マクが一撃で倒していたミルモン――あれは確か五十階層のボスだったはずだ。

 今、逃げている四腕甲殻魔クァドラ・シェルは二十階層のボス──ということは、ミルモンより明らかに弱い。

 

 マクを見た。

 まだ逃げ足りないと言わんばかりに、その場で両足を小刻みに動かし続けている。


「いや、どうせ嘘。私。嘘を吐く人が、この世で一番、嫌い」

 嘘、と発言した時、リゼの顔が醜く歪んだ。

「あいつが来る」

 マクが小声でそれだけ、言った。


 だが、

「ギィアアアアアアアアア!!」

 と、四腕甲殻魔クァドラ・シェルが咆哮したことで、マクの声は掻き消されていた。


 ダンジョン全体が、より一層、恐怖の色に包まれる。

 逃げ惑う冒険者たちの中で、ただ一人──リゼ・ラグナだけが微動だにしない。


 リゼの周囲だけ、風が止まったように見えた。

 まるで、そこだけが別の階層であるかのようだった。


「……相変わらず、騒がしいわね」

 リゼが一歩踏み出す。その足音は、軽い。

 だが、床石がわずかに沈んでいた。


 筋力ではない──圧だ。

 リゼの存在そのものが、周囲の空気を押し下げている。


 四腕甲殻魔クァドラ・シェルが、複眼をわずかに揺らした。

 リゼを警戒しているように、俺には見えた。


「うん……分かっているわね。私を見て、怯えるなんて……」

 リゼは剣を抜き、収めていた。「正解よ」


 その動きは速くない。

 ただ、無駄な動作が一切ない。

 

「……やっぱり、こいつも俺とは別の強さだな」

 マクが目を細めていた。

 リゼの剣が華麗に対象を切り裂き、一瞬、周囲の魔石灯が、明滅した。

 冒険者たちが足を止め、息を呑む。


「……あれが、リゼ・ラグナ……」

「本物だ……」

 誰かが震えながら、呟いている。

 俺もまた、怖れた。

 リゼはただ、静かにマクに向かって、歩みを進めている。

 その動きだけで、俺の肩はガタガタと震えていた。


「あら、一撃は耐えたのね」

 挑発ではない。ただの事実確認のような口調だった。

 強者の余裕がある。


「逃げるの? まさかね。あんたから襲ってきたくせに」

 明らかに四腕甲殻魔クァドラ・シェルの複眼が、泳いでいた。

 人間であろうと、魔物であろうと、強者に対して畏怖する目つきには言いようのない、共通するものが、内在していた。


 またしても多くの冒険者が退避していく。

 結局、戦場に立ち止まったのは俺とマク、そしてリゼだけだった。


「ギィアアアアアア!!」

 四腕甲殻魔クァドラ・シェルの全身に色味が増していく。

 咆哮とともにリゼではなく、マクに向かって四本の腕が振り下ろされる。

 先ほどよりも攻撃が、速い。


「マク!!」

 俺が叫ぶより早く、リゼが剣で魔物の腕を受け止めていた。

 ガギィィィィン──金属音が、ダンジョン内に木霊する。


 二十階層の魔物が暴れ、場は荒れたはずだ。

 だが、リゼは静かに攻撃を受け止めている。

 まるで地面に落ちていた小石を拾うかのような軽やかな動き一つで、リゼは魔物の攻撃を簡単に封じ込めている。


「本当に、弱いわね」

 リゼは微笑んでいた。

 マクはそこから一歩も動こうとしなかった。


 マクの拳は、ただ殴るだけで地形ごと敵を吹き飛ばす。

 理屈も技もない。ただ「力」そのものが暴力的に形を持ったような一撃だった。


 対してリゼは──前に踏み出すだけで、空気が沈む。

 剣を振るうたび、世界の方がリゼの動きに合わせて形を変えているようにすら、見えた。


 破壊ではなく、支配だった。

 力ではなく、精度だった。


 同じ強さでも、質がまるで違う。

 マクは山を砕く隕石のようで、リゼは、山の形を変える刃のようだった。


 どちらの方が上であるかなんて、俺には分からない。

 ただ──二人とも、俺の知らない場所で必死に戦ってきたんだと、痛いほど理解できた。


 ふと四腕甲殻魔クァドラ・シェルの複眼が、俺を、見た。

 間違いない──今度は、俺が狙われる。

 ああ、ダメだ。死の気配が、心に過る。

 

 あっという間に、四本の腕が、まるで処刑台の刃のように振り下ろされている。

 ズガァァァン──嫌な音が、周囲に響いていく。


 咄嗟に閉じていた目を、開ける。

 俺にその攻撃は、当たっていない。


 不自然に四腕甲殻魔クァドラ・シェルの角度が変わり、床を砕いていた。


「えっ……なんで……?」

 リゼは膝をついただけの俺を見て、驚いているようだった。

「助けてくれてたんだ、ありがと!」

「いや、私は何もしてないわよ。マク。あんたの仲間は情けないわね!」

 避けたわけじゃない。

 運が味方したわけでもない。


 四腕甲殻魔クァドラ・シェルは、俺を殺すはずの姿勢のまま──まるで時間だけが俺の周囲で止まったかのように、完全に静止していた。

 

 四本の腕は振り下ろされる直前の角度で固まり、複眼だけが、ゆっくり、ゆっくりと俺を観察するように動いている。


 その視線は、獲物を見る目ではなかった。

 まるで──俺の内側を覗き込んでいるようだった。


 理由もなく魔物が攻撃を中断することなど、ありえない。

 だが、こいつは俺を殺すことよりも、俺が何なのかを確かめることを優先しているようだった。


 ――これは運じゃない。

 生きている──その事実が、逆に怖くなった。


 俺の意思じゃない何かが、勝手に体を動かしたような――俺を生かした気がしてならなかった。


「いや。これこそが最強なんだよ」

 と、マクがぼそりと言った。

 リゼは首を傾げた。俺も世界の歪みを実感し、リゼと同様、首を傾げる。


「まあ、いいわ。あいつの止めは私が刺すから」

 四腕甲殻魔クァドラ・シェルは狙いを、確実に俺に定めているようだった。

 運がいいとは思えないほどには、魔物は俺ばかりを狙ってくる。


 電光石火の如く、リゼは動いた。

 剣は、敵の甲羅を捉え、そして、あっさりと貫く。


 リゼの剣が上下した瞬間──空気が切れた。

 音がしたわけではない。

祈刀天裂きとうてんれつ……」

 ただ、世界が一瞬だけ、細くなったような感覚が、した。

 俺は思わず、息を呑む。


 ──なんだ、この人……。


 マクですら、目を見開いていた。


「リゼ……お前……やっぱり、前より強くなってやがる……。化け物みてえに強いな」

 リゼは肩をすくめた。

 魔物が苦痛により、絶叫している。


「当然でしょ。あんたに追いつくために、どれだけダンジョンに潜ってきたと思ってるの?」

 リゼの言葉は、軽かった。

 だがその言霊の中には、努力と執念の軌跡がにじみ出ていて、何より、ほんの少しの寂しさまでもが、滲んでいた。


 四腕甲殻魔クァドラ・シェルの甲殻には既に、細い亀裂が走っている。

 リゼは既に、剣を収めている。


 甲殻が悲鳴を上げるようにしてぱかりと割れた。

 魔物の全身が霧散していく。

 アイテムが、地面に散らばっていく。


「……嘘だろ……」

「リゼさん、やっぱり強い……!」

 遠くからこっそりと見ていた冒険者たちから悲鳴のような歓声を上がっていた。

 リゼは微笑んで、観衆に手を挙げ、応えている。


「……やっぱり、お前は……強いな」

 マクも頷きながら、周りに同調する。

 俺はこの二人の横に、平然と立っていていいのか。躊躇する。


「当然よ。私は──リゼ・ラグナだから」

 明らかに周囲にいた冒険者たちの顔色が変わっていった。

「『剣の巫女』と呼ばれている、女よ?」


「おい、剣の巫女。だったらアイテムを一つくらいよこせ。独り占めはいけないぜ?」

 マクがぶっきらぼうに、リゼより早い動作で、アイテムを数個、奪い取っている。

 俺も、倣う。まだ二人の横にいていいのかも、迷う。


「ちょっと、マク。やめてよ。弱虫なんだから、そこでじっとしてて」

 マクとリゼの口論を、まるでご高説を賜るかのように、きらきらとした目で、冒険者たちが耳を澄ませていた。


 マクで、弱虫扱い。

 だったら、俺は、どうなるんだ。


「リゼ。俺に一度は完敗しておいて、弱虫呼びはねえだろ」

 マクとリゼが互いに頬を膨らませた。

 両者が押し黙った。


 その時、

「無双男と剣の巫女が仲よさそうに喋っているぞ!」

 と、冒険者の一人が、騒いでいった。


 更に、場が盛り上がる。

 誰も俺など眼中になく、リゼとマクに向かって、冒険者たちは次々と質問を飛ばしていった。

 マクは無視を決め込む。

 対してリゼは笑顔を絶やさず、質問に次々と答えていく。


 二人の背中が、遠かった。

 俺だけが、別の世界に立っているようだった。


「それで師匠は、今どこに?」

 ふと、ある冒険者が、素朴な質問をしている。

 その時だった。

 リゼの微笑みが、ほんの一瞬だけ、揺らいでいた。


「師匠は仕事で忙しいから、今、ダンジョンにはいないわ」

 おやと、思う。

 誰にも気づかれないような小さな寂しさが、リゼの横顔から滲んでいるような気が、した。


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