剣聖の誇り
ダンジョンの天井が裂け、黒い霧が逆流するように溢れ出し続けていた。
世界が、悲鳴を上げている。
ドグラニスタが姿を現した瞬間── 空気は凍りつき、呼吸の仕方を、忘れた。
「やはり……来たのか」
ガルディアが、震える剣を握りしめた。
その目には恐怖も迷いもない。
「……現魔王、ドグラニスタ」
ただ剣聖としての矜持だけが、瞳に宿っているようだった。
俺はガルディアが発した言葉の意味が飲み込めずに、固まる。
──魔王が、ずっと俺の行動を注視していた?
「ミル・ミクロを狙うなら──まずは私を倒してからにしろ」
ドグラニスタは、ゆっくりと首を傾けた。
ガルディアの左足がわずかに動いた。
次の瞬間、剣聖は地を蹴っていた。
「はああああああッ!!」
その一撃は間違いなく、四傑の名に、剣聖の名に、ふさわしい速度だった。
だが──
魔王は、それを指一本で受け止めていた。
金属が、悲鳴を上げ、音を鳴らす。
ガルディアの全力の斬撃が、まるで紙切れのように止められていた。
『遅い』
魔王の指が、ほんの少し動いた。
それだけで── ガルディアの身体は吹き飛び、壁に叩きつけられ、土壁が陥没した。
「ガルディア様!!」
なんとか上半身を起こしたリゼの悲鳴が響く。
『ほう……まだ立つか、小僧』
「小僧……だと?」
剣聖は踏み込み、ドグラニスタに大剣を振り下ろした。
空気が裂け、地面が砕ける──だが、魔王の身体から、大剣が離れない。
『剣聖とは、この程度か』
魔王はつまらなそうに見えた。
また、ほんの少しだけ、ドグラニスタの指が、動く。
『つまらん。本当につまらん。ドルガン・クラウスの足元にも及ばないぞ、小僧』
ガルディアの身体が魔王の片手一本の攻撃により、壁にめり込んでいった。
そのまま、微動だにしない。
だが──と、思う。
背中を見せずに、最後まで口の端を上げたガルディアは、決して、壁の一部になろうとも、敗北した戦士では、なかった。
ガルディアは折れた剣を握りしめ、血に濡れた指先で、なお前へ進もうと足を宙に、出していた。
壁の中で、ガルディアはまだ戦う意志を見せていた。
その姿は剣聖の名に相応しく──痛々しいほどに、誇り高かった。
魔王は、そんな剣聖の矜持すらをも、埃を払うような仕草で踏みにじっていた。
ガルディアに近寄り、唾を吐きかけていた。
『……滑稽だな。まだ立とうとするか。その程度の覚悟で、魔王の前に立ったのか、小僧?』
魔王の声は、冷たく、乾いていた。
怒りも興味もない。
ただ、価値のないものを見下すだけの声色だった。
リゼが震える声で叫ぶ。
「師匠……! お願い、逃げて……!」
ガルディアの指先がわずかに動いたその瞬間──魔王の影が、剣聖の誇りを覆い尽くしていった。
『動くな。見苦しい』
魔王の指先が、ほんの少しだけ、ガルディアに、触れた。
それだけで、ガルディアの身体は壁から引き剥がされ、地面に叩きつけられ、
さらに跳ね、ダンジョンの奥にある扉に激突し──完全に、沈黙した。
骨が砕ける音が、遅れて響く。
リゼの悲鳴が、世界を切り裂いていた。
ガルディアがそこから立ち上がることは──ついに、なかった。




