第2話 強運
「……なんだ、あれ」
遠くの方から冒険者たちが逃げてきて、俺とマクの横を必死に駆けていった。
奥で、巨大な狼のような魔物が群れを率いて、暴れているように、見える。
「どうして魔物がこんなにも大量に?」
「暴走だな。たまにある」
マクは肩を回しながら言った。
「行くぞ、ミル」
「は!? なんで俺まで──」
「お前といると、俺の攻撃が冴える」
「どうしてそう思うのさ?」
マクは剣を抜き、軽く振った。
「直感だ」
その瞬間──マクが構えた剣先から風が生まれ、ダンジョンの空気全体が震えていた。
少し歩いた先のダンジョンは、すでに戦場だった。
冒険者たちが逃げ惑う。
狼の群れが追い立てる。
「ギャアアアアア!!」
「ひっ、来るな!! クソ。リゼさんが、この場にいればっ!」
他の冒険者と同様、俺は震えながらマクの背中に隠れていた。
「マク、あれ……やばくね?」
「まあな。 でも──」
マクは一歩踏み出した。
「無双できる俺がいる」
次の瞬間、狼の群れが一斉に飛びかかってきた。
標的はマクではなく──俺だった。
「うわああああああ!!」
俺は叫び声を上げながら、反射的に目を閉じていた。
少し遅れて、爆弾が破裂したような衝撃音がして、目を開ける。
マクは身体を、魔物とは反対方向に向けた。
そちらに拳を何度も突き立てている。
風が巻き起こり、
「……は?」
俺の眼前で──マクの背後にいた狼の群れが、全部、地面にめり込んでいった。
「ドルザの群れはこんなもんかよ。剣を使うまでもねえじゃねえか」
マクは拳を振り抜いた姿勢のまま、俺の隣に立っている。
「いやいやいやいや!! 今の何だよ!? どうやったら拳一つで、マクの後ろにいた狼が群れごと沈むんだよ!!」
マクの強さを何度も目の当たりにした。でも、さっぱり理解が追いつかない。
「普通のことだ。拳の風圧だけで仕留められる」
「反対向きに立ってたのは?」
「直感だ」
マクは肩をすくめる。
「やっぱり普通じゃないって!!」
冒険者は逃げる足を止め、じっと羨望の眼差しでマクを観察していた。
その目は、俺には向けられない。
──ああ……。俺、完全に一般人だな。
「ほら、ぼーっとするな。次が来るぞ。あれは……ドルザリスだな」
「えっ──」
通路の奥から、さらに巨大な影が現れていた。
狼の親玉だと、一目瞭然だ。
黒い炎を全身にまとい、目が赤く光っている。
「ギャアアアアアアアア!!」
「うわあああああああ!!」
一目散に、俺は他の冒険者と一緒に、逃げようとした。
が。
つるりと──足が滑った。
──またかよ!!
だが、その転び、舞う最中、俺の視界があらぬ方向へ飛んだ時、マクの目が完全に見開いた様子が、克明に見えていた。
「ナイス。ミル」
俺は尻餅をつき、後転すらも決めている。
「転んだだけだってば!」
「それで十分だ、最高だぜ。ミル」
既に勢いよく、マクは地面を蹴っていた。「条件が整った」
ドンッ──その場の地が割れ、空気が爆ぜた。
俺の重心が少し右に、傾く。
マクの姿が消え──次の瞬間、狼の親玉の背後に、目が血走ったマクが再び、現れている。
「ドルザリスの弱点は──」
マクは拳を握り、俺の方を見た。
余裕綽々の笑みだ。
剣は、腰元に、ある。
「首の後ろだ」
マクは宙にジャンプした。ドルザリスの首裏に突進していく。
「轟覇一閃!!」
狼の親玉が、思い切り地面に叩きつけられ、瞬く間に、消えた。
周りからは拍手が、起こっている。
近くにいた冒険者が、マクのことを「よっ、無双男!」と軽口を叩く。
「いいねえ、その二つ名。ありがたく、頂くよ」
破顔したマクがすんなりと名を認めた。
すると「よっ、無双男!」の声が重なり、声量が増幅されていく。
その日以来、マクは「無双男」と呼ばれるようになった。
マクの横にいる俺は、誰も興味を示さなかった。
◆
「おい。あれ……」
マクを称賛する最中、冒険者の一人が遠くを見て、絶望を心の底から、声として出していた。
またしてもダンジョンの奥に、影があった。
その影は大きくなり、全容を現していく。
まるで光が、影に食われていくかのようだった。
黒い甲殻。四本の腕。
赤い光を放つ複眼。
「ギィィィィィィィ……」
ダンジョンの空気が、一瞬で凍りつく。
口から滴る黒い液体が、魔物の不気味さを増強させていた。
血生臭い匂いを、魔物から強く感じた。
「ありえねえ……」
マクが俺の手を離すなり、腕をだらりと、させた。
その声には、力がない。
冒険者が、一斉に後ずさる。
誰も叫ばない。その声すら出ない。
ただ、恐怖だけが場に広がっていく。
「ギィィィィィィィ……」
やはり魔物が息を吐きだすと、鼻を覆いたくなるくらいの生死を想起させる悪臭が、する。
「ミル」
マクが俺の腕を掴んでいた。
その分厚い手は、先ほどの余裕など欠片もないほどには強く、激しく、震えていた。
「……走れ。今すぐに、だ」
巨大な影が、こちらに向かって一歩踏み出した。
「ギィアアアアアアアアア!!」
金切り声が、俺の鼓膜を揺らした。
瞬く間に、ダンジョンの地面が、ひび割れた。
咆哮が響いた瞬間──冒険者たちの悲鳴が、遅れて爆発した。
「どうして、あいつがここにいやがる……!」
マクに腕を引かれながら、俺もただ必死に走るしかなかった。
逃げ惑う冒険者の中で、ただ一人だけ動かない影があった。
「はあ」
誰かのため息が、俺の鼓膜を揺らす。
「まったく、役立たずばかりね」
誰もが魔物に背を向け、後退する中、たった一人の女剣士が、その場で立ち止まっていた。
じっと四腕甲殻魔に、剣先を向けている。
「いいわ。私が、やるから」
女剣士は含み笑いを浮かべていた。
その視線は──四腕甲殻魔ではなく、なぜかマクを凝視している。
「ところで、マク。あんた。腕、落ちたの?」




