異常
学校に戻ると、困ったような顔をしたセラがいて、廊下から窓越しに室内を見守ってくる学生がいた。
ちょっとした騒ぎになっていた。
学生もダンジョンに行くはずなのに、リゼやマクに比べ、やたら軽装なんだなあと思う。
アイテムを獲得できないと、装備すらも買えないのか、と妄想も、する。
「……また壊れたわ」
ようやくセラから許しを、得た。
俺は人差し指をそっと、機械だったはずの残骸から、離している。
「ミル。これも運の影響か?」
「マク。運で機械って壊れるの?」
「知るかよ、そんなの」
セラが眉間を押さえ、魔力測定器の残骸を見下ろしていた。
金属片が床に散らばり、魔石は黒く焦げている。
「触っただけなんだけどなあ……」
一応,言い訳をしてみた。
「触っただけで壊れる測定器なんて存在しない!!」
セラの声が裏返っている。
いつの間にか、測定室の中にいる教師の数も増えていた。
「三台目だぞ……」
「魔力ゼロのはずなのに……?」
「いや、ゼロだからこそ逆に……?」
「境界が揺れたって本当か……?」
俺は一度、席から立った。
それだけで廊下の魔石灯が一斉に明滅した。
パチッ……パチパチッ……!
「ひっ……!」
部屋の近くを通行していた女子学生が悲鳴を上げる。
「ミル君、動かないで!!」
セラが慌てて俺の肩を押さえ、腰を沈めようとする。
「え、俺、何もしてないよ!?」
「それが一番怖いのよ!!」
意味ありげな目つきで俺を凝視したマクは、次にセラを見て、口の端を上げる。
「機械が壊れる理由。それを俺で試すってのはどうだ?」
セラが口を開けたまま固まり、その場にいた教師たちも「多くの能力がSの対象者は今までにいたか……?」などと、小声で話し合っている。
「物は試しだ。ほれ、指を置くぞ?」
「ちょっと待ってよ、マク。まだセラ先輩が悩んでるんだから」
「ギルドのカードは測定できただろ?」
「学校のは簡易版なんだってば!」
リゼの制止を振り切り、マクは新たな機械に、人差し指を添えていた。
「うわ……綺麗」
リゼが思わずうっとりするほどには、機械が、白の光を放っていた。
それは冬の雪原を彷彿とさせるかのような、淡く、切ない、白だった。
「マク先生の測定結果は、限界値を超えているわね」
リゼが機械のメモリを覗き込んでいる。
白い光は、測定器の限界値を超えても尚、ずっと輝いていた。
「……それでもやっぱり、壊れない」
セラは俺を憂うような目つきで、見た。
すると途端に教師たちが慌てて、廊下に飛び出していった。
「魔王級の干渉か!?」
「いや、違う……もっと近い……」
「この揺れ方……まさか……」
扉が開けっぱなしの状態であり、俺にも克明に教師の意見は、耳に届いていた。
「……嘘でしょ」
セラも廊下を見て、唇をわなわなと震わせる。
その時、廊下の光が、気味悪く、青白く光っていた。
「境界観測水晶が……反応してる……? こんな強度……前例がない……。ミル君。あなた、今……何かした?」
セラが、まるで俺を、魔王であるかのように、見た。
「いや、立とうと思っただけ……」
「立っただけで、境界が揺れるわけない! じゃあ、まさかマク先生の仕業?」
「いや、知らねえ」
セラが疑心暗鬼に陥った次の瞬間──バチィィィィン!!
廊下に置かれていた水晶が砕け散った。
教師たちが一斉に後ずさり、測定室に退避してくる。
「……危険だ」
「これは……本当に危険だ……」
「ギルドに報告を……」
「いや、ガルディア様に直接……!」
「ミル君……マク先生……あなたたち……本当に人間なのよね……?」
セラは震える声で言った。
(……ミル兄……マク……ここ……いや……いやだよ……)
胸の奥ではずっと、少女が嘆いていた。ひどく幼い声だった。
その声が、学校全体に響いているように、感じた。
「ミル。お前の運はSだ。それは強運もSであり、悪運もSであるってことだ」
マクは、誰にでも聞こえるような大声で持論を述べた。
「だから、俺の裏技なんてなくても、いつでもどこでも、魔物を呼べちまう。ダンジョンに魔物があれほど多く出たのも、ミルがダンジョンにいた時だけだ」
学生たちが測定室の前で、一斉に足を止めている。
廊下の壁に貼られた魔法陣が、青白く滲んでいた。
「魔法陣が……逆流してるだと……?」
教師の一人がまた、廊下に飛び出していく。
逆流──本来、魔力を外へ逃がすための陣が、今は内側へ吸い込まれるように歪んでいた。
「……ミル君。あなた、今……胸が痛んだり、熱くなったりしてない?」
「え……なんで分かるの……?」
「やっぱり……!」
セラの顔が蒼白になった。
「境界の揺れ方が……ミル君の鼓動と同期してるのよ……!」
セラは口を開いたまま固まり、続きの言葉が一つも出てこなかった。
セラの理性が、今、現前としてある、この現象を処理しきれていないようだった。
「同期って……?」
「過去に一度だけ、あった事例よ。あなたの心臓の鼓動に合わせて、学校全体の魔力が……揺れてるのよ!!」
その言葉に、周囲にいた学生たちがざわめいた。
「あれが……監視対象……?」
「近づいたら死ぬって聞いた……」
「魔王より怖いかも……」
数多の視線が、窓越しに突き刺さってくる。
俺はその場から、思わず後ずさった。
その瞬間──またしてもバチィィィィィン!!
廊下の床に埋め込まれた魔石が、まるで心臓の鼓動に合わせるように破裂した。
ドクン──ドクン──
(……ミル兄……やめて……やめて……)
少女の声が、俺の鼓動と同じリズムで震えている。
セラが叫ぶ。
「全員、下がって!! ミル君から離れて!!」
教師たちが測定室に入ってきた学生を後ろに押しやる。
俺はただ立っているだけなのに、周囲の魔力が渦を巻き始めていた。
リゼですら、顔を歪め、俺から離れていく。
風が吹く。
床に落ちていた紙が、ふわりと舞い上がった。
「魔力暴走じゃない……これは……」
セラの声が震える。「……境界干渉……それも……内側からの……!」
「内側って……?」
俺は深呼吸に、努めた。
だが、魔力は暴走したままだ。
「通常は、魔王や外敵が境界を揺らすものなの。でも今のは違う……逆流だった。ミル君の存在そのものが、境界を内から外に押し広げてるのよ……!」
俺の背筋が凍った。
「それはつまり……どういう……?」
直感では、分かっていた。
ただ。
分かりたくなかった。
(……ミル兄……逃げて……逃げて……)
瑞々しい少女の声が、泣き叫ぶ。
──まさか、この少女の声が逆流の原因だったのか?
──自分が世界を壊しているかもしれないのか?
俺はセラに引っ張られ、廊下に連れ出されていた。
すると奥の扉が、ひとりでに開いていた。ギィィィィ……と軋む、音がした。
誰も触っていない。
風も止んでいた。
ただ、俺を呼ぶように、ゆっくりと開いたかのようだった。
「……ミル君。あなた、今……何かに呼ばれてる感覚、ある?」
セラが息を呑む。
唯一、俺の側から離れなかったマクの横顔を、見た。
ひどく険しい顔をしている。
「……ある。胸の奥が……引っ張られてるみたいで……」
(……来ちゃだめ……ミル兄……)
少女の声が震え、胸の奥が熱くなる。
ドクン──ドクン──ドクン──!!
俺の心臓と同期するように、床に散っていた水晶の残骸が脈動し始めていた。
青く、白く──ド明滅している。
「ミル君!! これ以上は危険!! あなたを学園に置いておけない!! これはギルドに……ギルドに報告しないと……!!」
命を削るような金切り声で、セラが叫ぶ。
俺の背中を、冷たい汗がつうっと伝っていった。
自分の鼓動が、世界を揺らしている──そんな馬鹿げた感覚が、現実味を帯びていた。
帯びてしまった。
「うるせえなあ」
喚き続けるセラの手を掴んだのは、マクだった。
(……マク……だめ……)
その瞬間、胸の奥の光が、ふっと消え、少女の声も、遠ざかった。
マクはセラの手首を掴んだまま、言う。
「心の声が、ミルと呼応しただけだ。それが何だってんだ。この学校の設備が脆いだけだぞ」
ぱっとセラの手首を手放したマクは、廊下に出てきた教師陣を順に、睨みつけていった。
「ミルは悪くねえ。それに、壊れてんのは……」
まだ水晶の残骸が、廊下で青く、白く、光っていた。
「この世界の方だ」




