強制帰還
ドグラニスタが消えた後、ダンジョン内はしばらく静まり返っていた。
誰も、すぐには動けなかった。
セラは小刻みに震える手でメモ帳を閉じ、深く息を吐いた。
「……ミル君。あなた、今日だけでも、よく分からない項目がたくさん増えたわ」
「いや、俺もそう思ってるよ……」
セラは眼鏡を押し上げ、俺とマクを交互に見た。
「その中でも、とくに魔物に守られる。学校に行くな、と魔王から警告される。ちょっと異次元すぎるわ……」
黒縁眼鏡の奥にあった目は──完全に疑っていた。
「うん。一旦、剣聖ガルディア様から意見を伺うわ。それまで、ミル君の学校は一旦保留としましょう。だから状況が落ち着くまで、ミル君を監視しておいてね。リゼちゃん?」
「……やっぱり私?」
「そうね」
セラは落ち着きを取り戻すかのように、黒縁眼鏡を何度も手で、上下した。
「……正直、私の知る世界じゃないの。どう対処しようか、分からない。ミル君。魔王に名指しされたのよ? 普通の学生じゃないわ」
「普通じゃないのはマクもですよね?」
すぐさま言い返すと、「俺は普通だろ」とマクはほくそ笑む。
「いや、どこがよ!!」
今度はリザが即座に返すが、セラはさらに冷たい目を俺に向け、そのままマクにも、その視線を、向けた。「……二人とも、普通じゃないわよ」
◆
「で、どうするの?」
リゼが腕を組む。
リゼの家でしっかり休息を取り、俺は元気いっぱいになっていた。
そもそも俺もマクも家がなかったのだ。
気がついた時、穴に飛び込み、ダンジョンを探索していた。
疲れた時は、ダンジョンの寝室でスヤスヤしていただけであり、外の世界に、ル・トウキョウなるしっかりした街があるとは、俺だけでなく、マクもまるで知らなかった話だった。
「よし。ダンジョンに行くぞ」
マクが、即答した。
「うん。俺も行く」
「……はあ?」
セラの眉が跳ね上がる。
いそいそとマクがトレーニング器具を持ち上げようとしている。
「いてっ、何すんだよ?」
「マク。まだ話は終わってない」
「いや。だから、ダンジョンに行くって。どうせ、ミルも暇だし」
「ドグラニスタに狙われた直後よ? 普通は一日くらい、休むでしょ?」
「いや、なんか……行きたいんだよなあ」
俺もマクに便乗した。
胸に、手を当てる。
(……ミル兄……マク……)
(……まだ……だめ……)
少女の声が、以前より近いような気が、する。
「ほらな」
マクは俺の目を見て、分かっているよ、といったような顔をする。
「ミルと俺の中にいる声の主を探すには、ダンジョンを探索するのが一番だ」
心の声とは、真逆の意見を、マクは堂々と主張する。
リゼが口を尖らせる。
「……あなたたち、本当にバカね。心の声なんて、あるわけないでしょ?」
「いや、ある。それに、バカは……褒め言葉だな」
マクが快活に笑う。
「褒めてないわよ!!」
せっせとマクはトレーニングを開始する。
「ねえ。家の主の言うことを聞けないの?」
「泊めてくれて、ありがとう」
「うん、ミルはそういうとこ、素直でよろしい」
「サンキューとは言わないぜ?」
腕立て伏せに移ったマクは、頭を上下しながら、息も絶え絶えに、話す。
「はあ、なにそれ」
「いや、いって!」
リゼから背中に鉄拳制裁を食らったマクは「でも、ダンジョンしか行くとこねえって」とあぐらを組み、拗ねていた。
◆
「まあ……そうね。どうしても行くというなら、条件があるわ」
三人でギルドに報告しにいくと、セラが指を立てていた。
「リゼちゃんを監視役につける」
「はあ!? なんでまたこいつが!!」
マクが叫ぶ。
「マク。あんたが一番暴走するからよ」
セラが淡々と、宥める。
「なんで、ずっと私が」
ぶつぶつ、リゼが文句を宙に放っている。
「……もう暴走しねえよ」
「こないだ、壁を三枚壊したでしょ。昨日、ドグラニスタを呼び寄せもしたよね?」
黒縁眼鏡がきらりと、光る。
「……あれは事故だ」
「事故で、ドグラニスタは近寄ってこないってば!!」
リゼは剣を肩に担ぎながら、俺を睨んでいる。
「……どうして、マクじゃなくて、俺を睨むの?」
「ミルの運の良さってさあ。なんか、絶妙に曲がってるよね?」
「……どういう意味さ?」
「結局、助かるけどさあ。本当に運がいいなら、そもそもピンチがあんなに頻発しなくない? 周りの私たちも漏れなく巻き込まれるしさあ」
ぐうの音も出ない正論に、俺は押し黙るしかなかった。
「はいはい。分かったわよ。監視すればいいのね。あんたたち二人が暴れないように」
「俺は暴れねえよ」
マクが唇を、前に突き出す。
「マクは暴れるし、ミルは暴れないけど、絶対に何かに巻き込まれるでしょ。違う意味で、ミルも暴れてるし」
リゼが俺を見て、今度は白い歯を見せてくる。
「でも、いい運もあるかもね。ミルモンちゃんを呼び寄せるために、今度はその強運を使ってね?」
満面の笑みだった。
「そればかりは、運頼みだね」と僕は、言う。
◆
「で、ミルモンはどこかなあ?」
ダンジョンに入るなり、リゼが周囲を見渡していた。
「キュイッ!!」
すぐさまミルモンが俺の肩に飛び乗ってくる。
「……あんた、ミルモンと仲良すぎじゃない?」
リゼが呆れたように言う。
でも、彼女の手はミルモンの頭に、あった。
「ミルモン。こっち向いて──!」
「いや、俺もよく分かんないんだけど……なんか懐かれてるんだよ」
「キュルルル!!」
ミルモンはどこか誇らしげにしている。
「運がSなら、ミルモンの言葉も分かるの?」
「いいや、まったく分かんないよ」
「そっか。それは本当に、残念だね」
リゼはそれからミルモンをなで続けた。
マクが腕を組み、ミルモンを凝視する。
「ミルモン。お前、なんでミルを守った?」
「キュイ……キュイッ!」
逃げるようにして、ミルモンは俺の胸に顔を埋めていく。
「ふん。さっぱり……分からん」
マクが呟く。
暇つぶしのように、近くにいた魔物を拳で瞬殺している。
「でも、悪いやつじゃないわね」
リゼがきっぱりとした口調で、言う。
「キュイッ!!」
ミルモンが嬉しそうに跳ね、今度はリゼの懐に飛び込んでいく。
「うん。絶対に悪いやつじゃないっ!」
マクがぼそっと、「リゼって簡単に騙されそうだよな」と漏らした。
リゼには、聞こえていない。俺には聞こえ、男だけでニヤリと笑い合う。
(……ミル兄……)
「まただ……」
「ああ、声だな?」
マクが俺に近づいてくる。
「……うん。さっきより……近いね」
「ミル。その心の声とやらは、どっちから聞こえるの?」
ミルモンを撫で終えたリゼが、剣を構える。
「分からない……でも──」
(……こわい……こわいよ……ミル兄……)
泣きそうな声で、少女は訴えてくる。
その瞬間──ミルモンが、ビクッと震えた。
「キュ……キュルル……?」
ミルモンが俺の胸にしがみつき、少女の声に反応したかのように、怯えている。
「え……ミルモン?」
俺は思わず、ミルモンを抱きしめた。「どうしたのさ?」
ミルモンの顔を見る。
俺は──少女の声が響く場所を強く、感じていた。
それがミルモンの中に、あるような気が、した。
「キュ……キュイ……!」
ミルモンは叫び続ける。
「……まさか……ミルモン、声の主を知ってるのか?」
マクが拳を握りしめる。
「マク。まさか……?」
「いや、わかんねえぞ、ミル。お前と俺でつながっていた心の声、それがミルモンにもつながっていないって言い切れるか?」
「あんたたちの妄言、信じられるわけないでしょ」
リゼは眉唾物の話だとして、言い淀んだ俺たちから距離を取り、ミルモンのよしよしに全力を注いでいる。
(……ミル兄……マク……まだ……だめ……)
少女の声が泣いている。
リゼに愛でられているミルモンもまた、泣きそうな声で鳴いた。
「キュルルル……!」
ミルモンが鳴き、少女の声も、また泣く。
胸の奥が光りかけた──その瞬間。
天井の魔石灯がすべて、同時に砕け散った。
ガシャァァァン!!
耳鳴りが爆ぜるように響いた。
破片が雨のように降り注ぎ、ダンジョンが一瞬で闇に沈む。
「な、何……!? 魔物の気配じゃないよね……?」
リゼが剣を構えた。マクが俺の肩を掴む。
ミルモンは悲鳴のように鳴き、俺の胸にしがみついた。
「違う。これは……きっと外側からの干渉だ」
マクは拳を握りしめ、闇の奥を睨んだ。
「ダンジョンの外側ですって……?」
「そうだ、リゼ。ダンジョンの外……つまり、地上側の境界が揺れた」
胸の奥にあった光が、急激にしぼんでいく。
(……ミル兄……だめ……だめ……)
少女の声が、遠ざかる。
「キュ……キュル……」
ミルモンも同じように、弱々しく鳴いていた。
誰かに遮断されたように、光は完全に消えてしまう。
ダンジョン全体が、低く唸った。
巨大な獣が、地上から呼吸しているような音に、魔物であるのかと警戒する。
だが、一校に魔物は現れない。
バンッ――今度は、まるで外側の異常に呼応するように、扉を蹴破るような音が、した。
ダンジョンの端にある茶の扉が、乱暴に開いていた。
「ミル・ミクロ! マク・マクロ! リゼ・ラグナ! 学校に強制帰還だ!!」
屈強な男が、俺を見据え、ほくそ笑んでいる。
その男の背後には、ギルドの紋章の入った旗が、ゆらり、ゆらりと揺れていた。
「ミル……」
マクも相手を認め、舌打ちを、した。
相手の制服だけで、ギルドの者であるとは一目瞭然だった。
「……ギルドがミルを監視対象にした理由。 なんとなく、分かってきたぜ」
「無視をする気かっ!」
屈強な男が、鋭く叫ぶ。
あのマクが自ら進んで、ギルドが派遣した男に従うとは思わず、俺は戸惑う。
リゼも大きく目を開くばかりだった。




