ゲームオーバー
魔物の残骸が霧散し、静寂が戻ったダンジョンの階層──この時点で多くの冒険者たちが時間切れだとして、帰っていた。
「思ったより、学生の冒険者が多いんだね」
ダンジョンの探索が授業の一環であると、僕は初めて、実感していた。
「そうね、ミル。でも今日は、特別よ。こんな上の階層まで普段、学生は来ないわ」
「……特別?」
「ダンジョン無双男がいるからよ。それに……、私もね」
リゼは、マクの元に歩み寄っていった。
「見学の許可を出した先生がいるのよ。四傑でも史上最強と名高い──ドルガン・クラウスが認めたの」
「四傑ってあのリゼの師匠もいるやつ?」
「そうね」
「……マクと四傑って、どっちが強いの?」
リゼは唇を噛みしめたまま、動かなくなった。
素朴な疑問なつもりだったのに、場の空気が悪くなり、僕は「いや、強さに優劣なんてないか」と訳の分からない、発言を、した。
「……ミル君。あなた……」
まだセラは地面に落としたメモ帳を拾いもせず、ただ俺だけを見つめていた。
眼鏡の奥の瞳が震えていた。
「やっぱり運Sだけじゃ説明がつかないわ。攻撃を『避ける』というより……どこか未来をずらしているように見える」
「未来……?」
「ええ。魔物の軌道が、あなたに触れる直前で変わっている。あなたが動く前に、世界の方がズレているのよ」
セラの額から、じっとりした汗が出ている。
「いやいや……そんなの、ありえないでしょ」とはリゼが、言った。
「うん、本来、ありえないわ。でも、そもそもミル君の運は、S。そんなこと……歴史上、初なのよ。そもそも、あなたの出自が不明な点も含め、存在自体が……」
ここで、セラは唾をごくりと飲み込んだ。
それで、続きの言葉をも飲み込んだようだった。
「いや、遠慮せずに、率直な感想を教えてほしいんだけど……」
その時──ズシン……ッ!!
またしても階層全体が揺れ、俺の言葉は宙に、消えた。
「また、マクが何かやったの?」
リゼが剣を構える。
「いいや、何もやってねえ。でも、裏技が効きすぎたのかもしんねえな」
マクが眉をひそめている。
次の瞬間、階段の奥から、巨大な影が飛び出した。
「ギィアアアアアアアア!!」
黒い甲殻。
四本の腕。
赤い複眼。
さっきの魔物より、どれも明らかに格が違う。
「四腕甲殻魔の……上位種ですって!?」
セラが目を見開く。「なんでこんなのがここに……!?」
「裏技の副作用かもしんねえ……、おい……まだ来るぞ。この気配……もっと強い奴だ」
マクがぼそりと言う。
魔物が咆哮し、リゼに向かって突進していった。
「リゼ!!」
俺の呼びかけに
「黙ってて!!」
と、リゼの足元の空気が、一瞬だけ沈んだ。
次の瞬間──キィン……!
音が遅れて届いた。
リゼの剣が、魔物の四本の腕を同時に切り落としていた。
「それでも……まだ弱いわね」
リゼは髪をふわりと、手で触れていた。
魔物が絶叫し、一度、奥に退散する。
マクは拳を握りしめたまま、その場から動かない。
「……おい、ミル。まだ嫌な感じ、してるか?」
「……うん。マクの出番かも。さっきより……もっと強い」
「ミル君の嫌な感じは当たる……ということは……」
セラが小声で、言う。ズ……ズズ……
ズズズズズズズズ……ッ!!
階層全体が、まるで巨大な心臓のように脈打った。
「……嘘……」
リゼが青ざめる。
「いや……止めてくれ」
マクが握っていた拳の力が弱まっていく。
『……貴様が裏技を使うからだろう。ありがたく思え』
闇の奥から、巨大な影がゆっくりと姿を現していた。
『ここに最強が来てやったぞ』
黒い霧。
無数の目。
歪んだ角。
世界を呑み込むような圧。
セラがその場で崩れ落ちる。
悲鳴を上げるようにして大きく口を、開ける。
「……ドグラニスタ……!」
口の大きさの割に、セラの声量があまりにも小さかった。
喉が恐怖で、委縮しているようだった。
『……ミル・ミクロ……』
ドグラニスタの無数の目が、俺たちを見下ろした。
その声は、直接、脳内に響き、俺の心をひどく揺らした。
『……ミル・ミクロ……』
また名指しされる。
その声は間違いなく声であるはずなのに、音ではないようだった。
俺の背筋が凍る。
(……ミル兄……逃げて……!! この声……思い出しちゃ……だめ……!!)
少女が悲鳴を上げている。
ドグラニスタは、またゆっくりと口を開いた。
『──俺がお前たちを転生させた。覚えているか?』
俺の隣には最強がいるはずなのに、ドグラニスタは俺しか見ようとしなかった。
リゼが、剣を落とす。
セラが、息を呑む。
マクが再び、拳と剣を同時に握りしめる。
ずっとマクの拳が、震えていた。
怒りか、恐怖か──何かが込められた、拳だとは、俺にはよく分かった。
『……無視とは、貴様。やってくれるな』
ドグラニスタは笑ったようだった。
影が揺れ、ダンジョンが揺れ、俺の視界も、揺れた。
眩暈が、する。
俺は──呼吸ができなくなっていた。
『気が変わった。……ミル・ミクロ。お前はやはり、想定外』
一気に闇が、俺の全身に纏わりついてきている。
「おい、止めろ!」
「やめて!」
マクやリゼの嘆願は、克明に聞こえていた。
だが、視界は奪われ、呼吸もできない。
『……ミル・ミクロ。ゲームオーバーだ』
段々と、意識が朦朧としてくる。
『ここで、もう一度、死んでおこうか』
──だめだ。苦しい。
このままでは、本当に──死ぬ。




