暴走
マクや俺が階段を上りきった瞬間、ダンジョンの空気がより陰鬱なものに、変わった。
重い。熱い。
まるで何かが目覚めるような圧が、周囲にはあった。
「よし、そろそろだな」
マクが拳を握りしめる。
「そろそろって何が!?」
俺は懇願するようにして、マクを見つめる。
「裏技だよ」
次の瞬間──バチィィィィィン!!
空気が弾け、マクの周囲に見えない衝撃波が走った。
「この裏技、普通の冒険者がやったら即死だが……」
壁が揺れ、床が割れ、天井の魔石灯が明滅する。
「俺は、死なねえ」
途端に、異様な数の足音が、段々と近づいてきている。
マクは腹を抱えて笑っている。
「な、なにこれ……!?」
リゼが、その正体に気づき、目を見開く。
セラも異変に気づき、メモを落とした。
「……え? ちょっと待って……マク先生、今……何を……?」
動揺しているセラを尻目に、マクは平然と答えた。
「このダンジョンの裏技だ。魔物の出現ポイントを全部、俺の近くに寄せる」
「いや、寄せるな!!」
俺とリゼの声が揃う。
だが、遅かった。
ズズズズズ……ッ!!
四方八方から、魔物の群れが嫌な音を醸し出しながら、マクの周りに押し寄せてきていた。
狼。
スライム。
甲殻魔。
飛行型。
どうみても強そうな魔物が混ざっている。
「ギャアアアアア!!」
「ギョボォォォ!!」
「キシャアアア!!」
冒険者なら絶望する光景だ。
ざっと、五十体はいる。
だが──近くにいた冒険者たちは、なぜか歓喜していた。
「うおおおお!! ダンジョン無双男だ!!」
「マク・マクロの凄業が見られるぞ!!」
「見ろよあの魔物の密度!! 最高だ!!」
「今日、運が良すぎる!!」
「あれ、剣の巫女までいる、最強じゃん!」
完全に、他人事だ。
その証拠に、ほとんどの冒険者が武器を手にすら、持っていない。
マクやリゼがやっつけてくれる、と確信している。
「なんで、そこまで喜べるんだよ!!」
「本当にね、ミル。で、これ。どうするの?」
マクとの距離が少し、ある。
俺とリゼの周りにもじわり、じわりと、魔物が近づいてきている。
「……いや、本当に、どうするのよこれ」
「……リゼ、よろしく」
「……いや、ちょっと。数が多すぎ……」
じりじりと魔物は俺とリゼとの距離を詰めてきていた。
「よし、ミル。復習だ」
「いや、今日が初めての授業だけど?」
刹那、マクの拳が、俺の眼前を横切っていた。
「ダンスをしてくれ」
◆
マクは魔物をなぎ倒し続けている。
俺はコサックダンスを続けている。
「これも、運なの? 悪運?」
リゼは、呆気に取られていた。
俺がコサックダンスをすると、なぜかその場にいた魔物が漏れなく、俺を襲い掛かるようになってきていた。
「その技……どこかで見た気も……」
リゼがごにょごにょと独りごちていると、「よし。授業の本番はここからだな」と、マクが地面を拳一つで、割った。
次の瞬間、俺に吸い寄せられてきた魔物の群れが、同時に吹き飛ぶ。
壁にめり込み、天井に張り付き、床に沈み、霧となって、消えた。
「……え?」
「……なんで?」
冒険者たちが呆然とする中、マクは拳を軽く振った。
「よし、決まったな。宙を飛び、その間に、魔物の弱点を全部、見切って、一気に攻撃する。さあ、ミル。やってみろ」
「できるかっ! どうやるんだよ!」
「直感だ。今やってみせただろ?」
「その直感が間違っていたら……?」
「死だな」
「そんなこと、授業でやらすなよっ!」
俺とマクがぎゃあぎゃあと言い争っているうちに、残っていた魔物の数体が、リゼに一斉に襲い掛かっていた。
「……しまった」
呆然とした俺に、「リゼはそんな弱者じゃねえよ」とマクがぼそりと呟く。
既に、リゼは剣を収めていた。
周囲には、アイテムが散乱している。
「はあ、勝負にならないわね」
まだ……終わってはいない。
一体の巨大な甲殻魔が隙をついて、俺に向かって突進してきた。
「ミル!!」
リゼが叫ぶ。不意を突かれた。避けられない。
死ぬ──!
そう思った瞬間だった。やはり、またしても。俺の視線は、天にあった。
足が勝手に滑り、甲殻魔の突進が俺の頭上を通り過ぎ、そのまま壁に激突して自滅していく。
「……え?」と言ったのは、セラだった。
俺は尻にひんやりとした感触を味わったまま、その場で固まっている。
冒険者たちが色めきづく。
「今の……敢えて、避けたのか?」
「いや、転んだだけだろ」
「でも結果的に避けてる……」
「運Sって……やべえな……」
「あれだろ……、ただ無双男の隣にいる奴って、噂の……」
「監視もされているらしい……」
「……あのただ横にいるだけの男が?」
「ミル。噂の数だけは、お前に負けるわ」
あはは、とアイテムを大量に持ちながら、「一つ、いるか?」とマクは豪快に笑う。
歓声、狂喜乱舞。
「やっぱり化け物ね」
剣をそっと下ろしたリゼは、マクの背中をまた強く、叩いていた。
「おい、リゼ。アイテム拾うの手伝え」
マクが素っ気なく、言う。
「……ミル君……あなた……ちょっと強いか、弱いかよく分かんない……」
セラは消え入るような声で、言った。
「そもそも運Sなんて、歴史上ただの一度も記録されていないの」
「はあ」としか、俺は言えない。
「あなたが初めてなのよ!」
セラの声色は驚きよりも──恐怖の方に近いようだった。
やはり「はあ」としか、俺には言えない。
ダンジョンにあるはずの土の匂いが、ようやく俺の鼻に戻ってくる。
この運が、いつか裏返る気がしてならない。
いまだ俺は、俺に、俺が持つ運に、自信が持てていなかった。
「おい、リゼ! まだいるぞ」
マクはアイテムを持ちながら、飛行型の魔物を顎で示していた。
リゼに一直線で、襲いかかっていく。
灰色のせいで、この魔物はダンジョンでは非常に見えにくい性質を持っている。
「リゼ!!」
マクはアイテムで両手を塞がれ、身動きが取れない。
「うるさい!!」
リゼは剣を抜いた。
その動きは決して、速くない。
ただ──無駄な所作が一切ない。
「え?」とは、誰かが言った。
音など、しなかった。
リゼは既に、剣を収めていた。
ぽとり、と飛行魔の翼が地面に落ち、数秒後――魔物も地面に落ちて、霧散した。
「剣の巫女……!」
「次期、四傑と噂の……! やっぱり本物だ……!」
「あのリゼ・ラグナが実習に来てるなんて……!」
冒険者たちがどよめく。リゼは髪を払って言った。
「ふん。これくらい当然よ」
ダンジョン無双男、剣の巫女に人が集まり、俺は──蚊帳の外に、いた。
その間、セラはメモ帳を地面に落としたままだった。
三人を順に見つめているようだった。
「マク先生は裏技で、魔物を呼び寄せて……ミル君はダンスして、転んで、強敵を避けて……リゼちゃんは飛行魔を一刀両断して……」
ぶつぶつと、呟いている。
セラの顔が青ざめていく。
「あなたたち。授業の範囲を……完全に逸脱してるわ……」
「……あの、セラさん。僕は転んだだけなんですけど……」
セラは「それも立派な運のうちよ」と引きつった笑みを、俺に向けてきた。
「これ何の授業だったんだろう……」
セラはまた独りごちた。
「ダンスの授業ですかね?」と答えてみる。
より一層、セラは顔色を悪くしていった。
「ああ……これ、学園に報告書出すの嫌だな……」




