剣聖ガルディア・ラグナス
ギルド二階──重厚な扉の前で、俺だけでなく、マクとリゼも立ち尽くしていた。
「……ここが、ギルド長室よ」
リゼが青ざめた顔で呟く。
「おい、リゼ。そんなに怖いのかよ。中に、お前の師匠がいるだけだろ?」
マクが軽く笑う。
「怖いに決まってるでしょ! あの人、四傑の剣聖よ!? あんたを倒せなかったこと、まだ引きずってるんだから!」
「勝手に折れただけだろ、心も剣も」
「それ。師匠の前では、本当に言わないでね?」
「さあ。どうかな?」
リゼの顔色が、更に悪くなる。
「やめなさい。ミルもお願い。マクを止めて!!」
「運しかSじゃないのに、こんな化け物を止められるわけないじゃんか」
「ミル。こんな時に、正論はいらない」
真顔でリゼが俺を説教した瞬間──ギィ……扉が、内側から静かに開いていた。
「入れ」
低く、重たい声だった。
背筋が凍る。強者と対峙した時の感覚が既に、あった。
殺風景な部屋の奥──月光のように白い髪を後ろで束ね、鋭い眼光を持つ男が、椅子に座っている。
剣聖──ガルディア・ラグナス。
その姿は、威圧感というより「圧」そのものだった。
「久しいな、リゼ」
「し、師匠……」
リゼの背筋が縮こまり、小さくなる。
「ダンジョンの攻略は、順調か?」
「ええ。でも、師匠がいる時の方がやりやすかったです」
「そうか。だが、もうワシの時代は、終わりつつある」
ガルディアの視線が、ゆっくりと俺を通り過ぎ、マクの顔で止まった。
「マク・マクロ」
名前を呼ばれた瞬間、胸の奥がざわついた。
それは俺のざわつきではなく、(……マク……逃げて……)といった少女の戸惑いであった。
ガルディアはゆったりと立ち上がり、それでもマクを見据えていた。
マクの身長は高い。だがガルディアの肩の部分に、マクの顔があった。
「マク・マクロ。貴様には特例を与える」
「特例だと?」
「ダンジョンの──上の階層を見てこい。ミルモンより上位の階層だ。わずか数人しか倒せていないミルモンより、上だ」
「ああ。上位階層な。それなら大分、上まで行ったはずだ」
マクが眉をひそめる。
ガルディアは意味深に、頷いた。
「まだまだ上があるはずだ。貴様なら行けるだろう。その様子をギルドに報告しろ。それで学校への通学は免除してやる」
ガルディアはマクを指差し、その流れで、続けて、俺を指差していった。
「そして、ミル・ミクロ。貴様は当然、学校へ行け」
空気が止まった。
「……は? 俺の相棒だぞ。一緒に、ダンジョンに行かなくてどうする」
マクが目を細める。「ミルは……俺の仲間だぞ」
「仲間? 笑わせるな」
ガルディアは鼻で笑っていた。
その様子があまりにもリゼにそっくりだった。
師弟関係を強く、想起させていた。
「二人の評価は知っている。ダンジョンでの活躍ぶりも、な。ミル・ミクロには可能性がある。だが、未知数だ。危険すぎる。ギルドとして、『無双男』との同行を許可できん」
「危険って……俺、ただ弱いんだけなんだけど……」
「弱い? 運Sの人間が何を言う」
ガルディアの声が鋭く、心に刺さる。
「基本的に、能力は僅かだが、向上する。だが運だけは、経験値の有無に関わらず、決して向上しない」
――どういうことだ?
『おめでとうございます』
あの電信音が、俺の脳内で勝手に反芻されていた。
「ミル・ミクロ。貴様はギルドの観察対象に指定された。上位階層に連れて行くなど、論外」
ガルディアの一蹴に対して、マクは一歩前に、出た。
「いやだね。ミルを仲間にできないなら、俺はダンジョンになんて、行かねえ」
「……何?」
今度は、ガルディアの目が細くなる。
「ミルは俺の相棒だ。ミルがいないと、俺の攻撃は魅力的にならねえ」
すると突然、ガルディアはすっとリゼに耳打ちし、何かを促した。
リゼはぶちくさと独り言を続け、
「……分かったわよ」
と、それでも最終的に、大きな溜息をつき、一旦、部屋から姿を消していった。
「これが命令であるといってもか?」
ガルディアはリゼの背中を見届けていた。
「当然だ。俺より弱い奴の意見なんて、知らねえ」
ミルは口を少し、歪めただけだった。
「……ならば、力で決めるしかないな」
剣聖の足元から、全身から、ただならぬ威圧感を放出した。
怖気づく俺とは違い、マクはいつものようにヘラヘラとだらしなく、その場に突っ立っている。
「来い、マク・マクロ。貴様が勝てば、ミル・ミクロをダンジョンに連れて行くことを許可する」
「言ったな。後悔すんなよ。一度は俺に負けた腰抜けがよ」
マクが拳を握る。
すぐに部屋に戻ってきたリゼが、項垂れる。
「はあ。やっぱり戦闘は避けられないのね……」
決して、マクは剣を抜かなかった。
本気を出すまでもない──無双男の意思表示だった。
「ちょ、ちょっと待って! ここはギルドよ!? 壊れるってば!!」
リゼの忠告を無視して、ガルディアが剣を抜いている。
「壊れたら、貴様が弁償しろ」
ガルディアは、マクを指差す。
「いやだね。まあ、負けた方が弁償ってことでいいんじゃない?」
「マク・マクロ。それはありがたい意見だ」
「てめえに、負ける気なんかねえってことだよ」
二人の間に、火花が散る。
──その瞬間。
「やめろ!!」
俺が叫ぶと同時に、少女の声も頭の中で悲鳴を上げていた。
(ミル兄……だめ……! マクも……ガルディアも……死んじゃう……!)
俺は二人を遮るようにして、駆け足で、前に飛び出していた。
力が入らなくなり、途中で膝をつく。
「ミル!?」
リゼが駆け寄ってくる。
剣を構えたガルディアと拳を握ったマクが同時に、動きを止めていた。
「……ミル・ミクロ。貴様。今、何を感じている?」
ガルディアの声が低く、響く。
俺は震えながらも、どうにか答えた。
「……分からない……でも……二人が戦ったら……何かが……壊れる気がする……」
「……なるほど。やはり観察対象だな。言っている意味がまるで分からん」
ゆっくりと、ガルディアは剣を下ろし、俺を凝視した。
「ミル。大丈夫か?」
マクも近寄ってきた。
俺の肩を強く、掴む。
「……うん。心の中から、『やめて』と声が届いてきたんだ」
「……ああ、俺もだ。はっきりと聞こえた」
「……もういい。ミル・ミクロを連れて行くことを……許可する」
ガルディアは沈思黙考の後、口を開いた。
マクが、すぐにガッツポーズを取る。「よっしゃ!」
「ただし──マク・マクロ。貴様の方に、条件がある」
ガルディアは顔に刻み込まれた無数の皺を、くしゃりとさせ、言った。
「ワシの攻撃を──すべて避けてみせよ」
「……は?」
「それくらいできなければ、ダンジョンでは生き残れん」
ガルディアは剣をすっと、正面に構えた。
標的は当然──俺だ。
「ちょ、ちょっと待って!!」
リゼが慌てて、師匠の前に割って入る。
だが、リゼの一言は、師匠の耳には届かない。
ガルディアの姿が──あっという間に、消えていた。
「えっ──」
次の瞬間、剣先が俺の首元に迫っている。
ガルディアの剣が上下した。
空気が悲鳴を上げた。
その軌道は光の線のように細く、視界までもが線香花火のように白く弾ける。
速い。見えない。
避けられるわけ──心臓が喉元まで跳ね上がるような感覚を、抱く。
(……ミル兄……右……!)
少女の声が響いていた。反射的に、俺は右へ跳んだ。
金属音が、響いた。
剣が空を切り、床に火花が散った。
「……ほう」
ガルディアの目がまたしても細くなる。
「今のを避けるか」
「え、え、え……?」
自分でも何が起きたか分からず、俺は、俺に、意味を問う。
当然、意味など分からなかった。
「ミル!! 今のどうやって避けたの!?」
リゼが叫ぶ。
「わ、分かんないよ!!」
俺が返事する間に、ガルディアは間髪入れずに踏み込んでいる。
「では、これならどうだ」
剣の攻撃が、三方向から同時に迫っていた。
空気が裂ける音も三重奏となり、耳の奥がビリビリと震える。
逃げ場なんて、どこにもなかった。
(ミル兄……しゃがんで……!)
俺は言葉の通り、しゃがんだ。
三つの斬撃が俺の頭上を通り過ぎ、壁に深い傷を刻む。
ギルドの壁が、悲鳴を上げている。俺の心も、悲鳴を上げている。
「おいおい……」
マクが呆れたように言う。「ギルドを本当に壊す気かよ、剣聖さんよ」
ガルディアは続けざまに、強烈な一撃、斬撃を放っていた。
その矛先は俺でなく──「……どうして」
リゼが、師匠を憂うような目で、見た。
斬撃がリゼに向かって、一直線に伸びていく。
俺は、無意識に、行動を取っていた。
「……ミル」
吐息のようなリゼの声が、かろうじて、耳に届いていた。
咄嗟に、俺は、リゼの前に立ち塞がっていた。
体が勝手に動いた。
考える余裕すら、なかった。
ただ──守らなきゃ、という衝動だけが、全身を突き動かしていた。
――ああ。
斬撃が無情にも、目の前にまでやって来ている。
(ミル兄……それは……いけない……!)
少女に言われなくても、それがいけないことだとは、当然、分かっていた。
俺は、命の終わりを、悟った。
それでも不思議と、心は静かだった。
ここで死ぬなら、それでもいいか──そんな諦めにも似た覚悟が、胸の中にじわりと広がっていた。
斬撃を目前に見据え、俺は、逆に目を見開いていた。
苦痛を、死を──待っていた。
それでも胸の奥だけは――何かを思い出そうとするかのように、必死に、疼いていた。




