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ココロのガラス細工職人  作者: 白雛


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第二章・1




 いつも心にガラス細工職人。

 ここは傷つきやすい人間たちを神様とするガラスのハート工房。


 今日も職人の彼女は一人、布巾とはたきを持って甲斐甲斐しくガラスのオブジェのせわを焼いています。


 職人の彼女——ペスカはしかし、学習能力が皆無なわけではありません。むしろ、それまでの経験則から、ある結論に達していました。


「このご主人様は常に何者かにハートの破壊を目論まれている」


 前の時もそうでした。全てがご主人様のハートの破壊を目論む刺客の仕業であったとするなら筋が通るのです。時にはペスカ自身さえをも利用して。


「そんなことにはさせるか。ご主人様は絶対死なせないぞ」


 というわけで、だいしゅきなご主人様のハートを守るため、その日からペスカは筋トレを始めたのでした。


 ハンドグリップやダンベルを使ったウェイトトレーニングはもちろん、工房の周りを走り込み、腕立て伏せはあまりに辛かったので三回で、その代わりタンパク源として大好きなミルクはたくさん飲むようにします。さらに我流ですが、寝る前には漫画で格闘術も学びました。


 そうして研鑽を積むと、ペスカは工房に近寄る人間たち全てに敵意を剥き出しにして、軒先を通りがかる社会人一人一人に気軽なフットワークでぴょんぴょん跳ね回りながらのシャドーボクシングを見せて、誰一人として、工房に近寄らせないようにしたのです。


「うわ、なんだこの子……」

「シュッシュ、シュッシュ! 隙あらば刺す! 隙あらば刺す! 蝶のように舞い、蜂のように刺す!」

「みや◯んみたいなこと言いやがって」


 しかし、これは意外と効果がありました。


 そのうち朝の通勤時間帯でさえもペスカのハート工房の前を通りがかろうと思う人はいなくなり、ペスカは満足そうにふぅと一息。何もかも万全に見えて、額の汗を拭った——その時でした。


 とぅー……るるるるるるー!


「ダァシエリエッス! ダァシエリエッス!」


 どこからともなくそんな勇ましいジョッキーの掛け声と汽笛が聞こえてくると、赤い快速特急電車が突然工房の頭上に現れて、超特急で飛び込んでくるではありませんか。


 猿の泣き声のような金切音とけたたましい爆音がして、ペスカが振り返ったときには時既に遅しでした。


 工房には赤い快速特急がアイスに刺さった棒状クッキーのように突き刺さり、ガラスのオブジェは無惨にも車輪の下でグモっていました。


「まさか、電車のほうから飛び込んでくるとは……!」


 ペスカはあまりのことに驚き、慌てふためきました。

 すると続けて、さらにどこからともなく長方形の板を持った腕がにょきにょきと生えてきて、オブジェの残骸をなめるように眺めていきます。


「やめろ! うちのご主人様は見せもんじゃないぞ!」


 ペスカは憤怒しながら、高速ジャブからの右フック! ここ数日で磨きあげた生半可なコンビネーションを見せて、野次馬の下品な腕を追い払うのでした。


 しかし、電車のほうから飛び込んでこられては流石のペスカでも対処のしようがありません。傷ましい空気だけが残る悲惨な現場でとりあえず胸に十字を切っていると、なんと電車の中から人が出てきます。


 学生帽のようなものをかぶり、青い制服に身を包んだ大人の男性です。


 ペスカは警戒して、とっさにファイティングポーズを取りましたが、男性はペスカの方など見向きもせずに先頭車両の前に走っていくと、まるでそれが日常であるかのような手つきで進行に邪魔になる瓦礫をどかしていきます。


 ペスカは呆気にとられて構えを解くと、どうしていいものやら。分からなくて、しばらくおどおどとその工程を眺めていたのですが、そこは自分家ですし、やがて制帽をかぶった人におずおずと近づいて、こう言いました。


「……手伝いましょうか」

「黄色い線の内側まで下がってお待ちください」

「はい」


 制帽の人に整然と言われて、ペスカはすごすごと引き下がりました。


 そうして作業用の椅子に座って、面接前の就活生のごとき几帳面さで待つこと数十分。


「飽きた……。肩も痛いし、人がいると休まるもんも休まらないし……早く終わんないかな」


 と、ペスカが反抗期の娘のような仕草で足をぶらぶらとし、ダレてきたころ、どうやら作業が終了したようです。見ると、工房の壁が片側外されていました。


 そうして瓦礫と称して人ん家の壁を撤去した制帽の人は耳元の黒い箱と短いやりとりをかわしたのち、足早に電車の中に戻っていきます。


 とぅー……るるるるるるー!


 再びあの汽笛がして、


「ダァシエリエッス! ダァシエリエッス!」


 制帽の人は運転席から信じられないほど大きな声で、工房の外まで響き渡る掛け声をあげると、何事もなかった、これがルーティンワークですというくらい当たり前な顔をして、再び赤い快速特急を走らせたのでした。


 そうして、赤い快速特急は工房を横一線に貫き、後輪でなおもオブジェを踏みつけながら、反対側の空の彼方へと走り去っていくのでした。


 ご主人様は足元で無惨な姿になってしまいましたが、ペスカは仕事をきちんとこなす職人魂を持った人が好きでした。


 その徹底した仕事ぶりにペスカは敬意を表し、指先を揃えこめかみにつけ、礼をして見送るのでした。


 それから数日後。


 そこはペスカの熟練の仕事ぶりで早々とオブジェは復帰。今回はセロテープが足りなくて、所々絆創膏で補っています。


 あの悲惨な事故から、そうしてオブジェが直った記念に、ペスカがリゾート地によくあるようなリクライニングチェアを持ってきて傍で寛いでいると、またしても突然、目の前で紐に括られたように、ガラスのオブジェが浮き上がり始めたのでした。


 まるでクレーンゲームのアームが上手いこと良い重心を捉えたときのように、ぶらり、ぶらりと、オブジェが持ち上げられていきます。


 でもぷっつり、途中で糸が切れてしまいました。オブジェは工房の地面に急降下。バリンッと大きな音を立てて割れてしまいました。


「お前、またかよ!」


 思わず本音をぶちまけると、ペスカはリクライニングチェアから起き上がり、休日返上で再びオブジェの修復に取り掛かるのでした。


 それが一段落したころには既に外は陽が落ちていました。


 流石に一日動き続けたこともあってペスカもへとへと。


 なんとなく煙草でも吸いたいと思っていると、ちょうど工房の隅に灰皿のような七輪が置いてあるのを見つけ、これ幸いとシガレットチョコに火をつけて一服つけることにしたのでした。


 それはチョコですが、大きく一口吸い込むと、久しぶりの紫煙がペスカの脳髄にゆったりと深く染み渡っていくようでした。


 くらくらと酩酊するのが大変心地よくて、ペスカはうっとりとしながら、火のついた灰を次々に七輪に落としていきます。


 しかしなにか妙でした。


 この煙草を吸引したときの酩酊状態、いわゆる『ヤニクラ』というものは通常極めて短時間のもの。アルコール類のように長く酩酊するものではないのですが、ペスカの酔いはずっと長く続いていたのです。


 ペスカはシガレットチョコを挟んだ小さな手をそのまま額にこすりつけて、抑えました。そうしていないと首から上がとたんに落ちてしまいそうなほど、頭が重いのです。


 どうしたことか。


 これはおかしい……頭も痛くなってきた……と思ったころには大体もう手遅れですが、ペスカは不屈のガラス細工職人。まだ大丈夫。ふと手元の灰皿のような七輪を見ます。


 なんとそれは灰皿のような七輪であって灰皿ではなく、中には練炭が敷き詰めてありました。そうして火のついた灰や吸殻から引火し、気づけばもくもくと煙を吹き上げて、それが工房内に充満しているではありませんか。


「しまった! これ! 一酸化炭素だ! ヤバい!」


 しかしペスカはまだ冷静でした。この急場に際しても、ポイ捨ては良くないと思い、持っていた煙草はしっかり七輪の中に投げ捨てます。


 そうして作業服の袖口をたくし上げて、鼻先を押さえつつ、工房内の窓という窓を開け放ちに駆け回ると、そこで一先ずペスカは外に逃れて、新鮮な空気を肺いっぱいに吸い込みました。自分が倒れてはオブジェを修復する人までもいなくなってしまうからです。


 一生懸命、たっぷりと深呼吸を繰り返したのち、ペスカはマスク警察に目をつけられないようにと、念のため懐に入れていたマスクを装着し、そこで物思いに足を止めました。


 というのもペスカは以前マスク警察と一悶着やらかしています。


 そう、あの時……と、ペスカはゆったりと首を空に傾げ、頭の上に思い浮かべながら、回想に耽るのでした。




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