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ココロのガラス細工職人  作者: 白雛


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第一章・2




 また一人での作業に戻りましたが、ペスカの気持ちは少し軽やかになりました。


 それでもふと、憂鬱になって、なにもかも不毛に感じられることもあります。

 仕事に気が進まず、作業をほったらかしにすることもまた、あります。


 しばらく雨が続きました。


 そんな日には工房の入り口に座って、半壊のガラス細工とともに雨空をぼぉっと見上げ、一日何もしない日もありました。


 彼女だって何も感じないわけではありません。


 こんなことを続けていて何になるのかとか、石川啄木(いしかわたくぼく)のようなこともぼんやり思います。

 そんなある日のことでした。


 その日も雨でした。


 工房の軒先でペスカがいつものようにガラス細工と並び、ぼぉっと佇んでいると。


 そこへ、一人の人間が立ち寄ります。


 ペスカが毎朝よく見かけていた、鈍色の、角ばった衣装を着る一族の大人の女性のようでした。


 その女性は工房の軒先でぼんやり佇む一人と一つに気づくと、静かに近寄り、足元のかけらをしなやかな指でひとつまみ。


 そうしてガラス細工の頭の上に積み上げて、くすっと職人に微笑みかけたのです。


「ごめん。つい手、出しちゃった……もう直さないの? あんなに一生懸命だったのに……」


 先だっての例もあり、ペスカは初め、聞く耳を持ちませんでした。


 つんとそっぽをむいて、大人の女性を無視します。


 女性は驚いて眉を持ち上げましたが、そこは大人であるがゆえ、ペスカのそんな態度をとくに気にする風でもなく、そっと、その日は立ち去るのでした。


 けれど、その女性は明くる日も、また次の日も、そのまた次の次の日も、来ました。


 決まって朝一番。

 通りがけに、ペスカに一声かけていくだけ。

 手を振っていくだけ。


 それだけでしたが、そうして語りかけられるうち、次第にペスカもまた、態度を軟化させていったのです。


 また別の日のこと。

 よく晴れたその日にはペスカは早朝からガラス細工の修繕を始め、大人の女性が姿を見せると、いよいよ彼女のほうから声をかけました。


 ぺたぺた、ぺたぺた。


「おはよう。今日はいい天気だね」


「びっくり。てっきりお話ししないお人形さんなのかと思ってたわ」

「実のところ、本当はそうなんだ。けどこのところ、あまりに一生懸命話しかけてくる人がいるものだから、人形も呆れて喋り返すことにしたんだ。ご主人様には内緒でね」

「まぁ」


 そう言ってささやかな二人の笑い声が、朝から軒先に木霊するのでした。


 ぺたぺた、ぺたぺた。


 作業は変わらず一人だったけれど、大人の女性が通ううち、いつしかペスカは二人でした時のように仕事がはかどるのを感じていました。


 次第に大人の女性も帰りに立ち寄ることがあるようになり、その時には、二人で一升瓶を酌み交わしたながらいろいろなことを話しました。


「そっか。そういうこともあるよ。私もね、ずっとうまくいってなくて……こんなはずじゃなかったのになぁとか思うけど、そんな情けないこと話せる人もなかなかいなくてさ……」


 しっとりと杯をあげながら、大人の女性は言いました。


「私たち、合わせて二人ぼっちだね」


 けれど、それは言うほど寂しい言葉ではない。


 そんな風に、ぼんやりと頬を染めながら、ペスカは思っていました。


 ぺたぺた、ぺたぺた、ぺったんこ。


 心なしか、セロテープを貼り合わせ、接着剤を塗りたくる音もどこか楽しげで、ガラス細工は真っ赤っか。


 綺麗な真紅色にときめいているようでした。


「できた」


 ペスカは久しぶりに元の形に戻ったガラス細工を満足げに眺めると、すぐさま周囲に気を配ります。


 しかし幸いにして、その時は近づいてくる社会人の足音も、近くで球遊びをしている少年の声もありませんでした。


 それら危険のないことを確認すると、やっと安心して、ペスカは自分の作品をうっとりして鑑賞したのでした。


 両方の人差し指と親指を立てて長方形を作り、その心のフィルムにいろんなアングルからの眺めを収めると、温かいほうじ茶を淹れて、まったりと大人の女性を待ちました。


「早くあの人に見せたいな」


 けれども、その日、女性は来ませんでした。


 最近は帰りにも顔を見せてくれるようになっていたのに。


 ペスカは作業道具を久しく布巾とはたきに持ち替えて、日々ガラス細工を磨きながら、また、ときどき。不安になって、空を眺めることが増えるのでした。


 あの人のことを想うのは楽しいこともあるけれど、暗く、苦しいときもある。


 ペスカは来る日も来る日も、ガラス細工を磨きながら、軒先を気にしていました。


 そうして、その日も来なかったか……と工房を閉める間際。


 ひょっこり大人の女性が顔を覗かせました。


「お疲れー。あ! 直ってる!」


 すると、数日分の暗さがたちまち吹き飛んで、ペスカは心のトゲも何もかも忘れたみたいに喜んで、女性を笑顔で迎えました。


 しかし間もなく、その笑顔も凍りつきます。


「へえーこれがお前の言ってたやつ?」


 あとから別の大人の男性の声までもが入ってきたからでした。


「そうそう。あ、職人ちゃん、この人もいい? 実はね、最近付き合い出してさー、紹介しに来ようって思ってたんだけど、なかなか来れなくて——」


「あぁうん……」


「——ごめんね」


 ペスカは懸命に話を合わせました。


 そんな素振りは一切見せないで気丈に、元気に振る舞いました。


 けれど、その心の中ではこうも思っていました。


 あぁ、また、ごめんだ。


 ごめんという言葉は、ペスカはもう聞くのが嫌な言葉でした。なぜなら、言われた方は、どうしたって心からは報えないから。


 それは使う人のほうが安心し、使われた人に報いるフリをさせるための、辛い言葉だから。


 だから、ごめんを多用する人は、ペスカは信用しないことにしているのです。


 ペスカは、並ぶ影を見送りながら、改めて工房を閉めると、そのとたんに崩れ落ちました。


 ガラス細工もまた、同様でした。


 堅実に誇らしく振る舞っていたのが幻だったかのように、いきなり砂のように朽ち果てました。


 その影一つ。

 私の場合は重ならないんだ。


 私は、神様が救いたい形をしていない。


 あまりにも平凡でささやかな願いに見えて、どんなに儚く尊いものかを痛いほどに理解していてなおそれは、いつもペスカではなく、べつの人のところに現れるのですから。


「今日の私よ。さようなら。もう……おやすみなさい」


 彼女はいよいよくたびれ、もはやセロテープと接着剤ではどうにもならないほど、やわらかい粒子の砂丘のように成り果てたガラス細工の破片の上に寝転ぶと、ついに起き上がらなくなりました。


 彼女は起きませんでした。


 工房も閉め切ったままでしたので、大人の女性が外で訝しく思っても、中の様子には気づきません。


 何日も何日も。


 まるで寿命を早送りにするが如く、彼女は起き上がりませんでした。


 やがて彼女の背に光が差しました。

 明るくて、あたたかな光です。

 

 心から疲れ果てていたペスカは見向きもしませんでしたが、その光の彼方から一人の青年がやってきます。


 そして、髪や頬についた煌めく粒子をピアニストのようにきめ細やかな指先で払いながら、寝ていた彼女を抱き起こすようにすると、ゆっくり、優しく両の腕の中に包むようにハグしました。


 そこでやっとペスカも目を覚ましました。


 懐かしい温もりに、力無く抱かれたままで、彼女はやっと気づきました。


 その青年は、ペスカに仕事を授けたご主人様だったのです。


 彼はそうして目を覚ました小さいながらも誇り高き不屈のガラス細工職人の彼女に、こう言いました。


「よく頑張ったね。ほんとうに、君はよくがんばった」


 ペスカはひしと、青年にしがみつきました。


 一言、彼の言葉が伝わってくるたびに大粒の涙を流しながら、青年にしがみつきました。


 彼は彼女の背を、頭を優しく撫でながら、なおも温かく言葉を繰り返します。


「お疲れさま。ずっと見てたよ。他の誰も見てなくても、僕だけは君がどんなに頑張り屋さんだったかを知っている。君は強い子だった。僕の自慢の職人だ」


 青年は彼女の小さな両の手を慈しむようにとって、そこについた無数の傷を優しく癒すようになぞりながら、


「こんなに小さな手で、こんなに傷だらけになって、今までほんとうにありがとう」


 ペスカはふるふると首を振りました。


 そうして青年に言ってもらえるだけで、それまでの辛いことや苦しかったことが嘘のようになくなって、もうよいのでした。


 それを伝えたくて、青年に、大丈夫です、大丈夫です、こんな傷大したことありませんと、首を振り続けたのでした。


 再び青年は彼女を抱きしめました。


「でもね、もういいんだ。もう、頑張らなくていいんだよ。今までほんとうにありがとう——」


 そうしてペスカの背後に腕を伸ばし、鋭い刃物を掲げると、


「もうつかれたろう? おやすみなさい」


 青年はそう言って、背中から突き刺しました。


 ペスカごと、そうして自分自身まで、一突きにした。


 ——つもりが、間もなく異変に気づいた。


 得物から腕に伝わる手応えがまるでなかったのだ。


 ペスカは器用に身体をひねり、間一髪、青年の背後からの一突きをかわしていた。


 青年の得物が捉えたと思われたのは、彼女のぶかぶかの作業着だったのである。


「——っ!」


 そのあとは、青年が声をあげる間隙も、瞬く間もない一瞬の出来事だった。


 ペスカは青年の得物をかわしてひねった体勢から、軽やかに青年の胸を掴んで宙に前転すると、一度青年の頭上に逆立ちするようにして、その勢いを殺さず、むしろ青年の攻撃の慣性、自身の体重移動もまとめて利用しながら、青年ごと縦に一回転——青年の身体を投げ飛ばし、背後の地面へと叩きつけたのであった。


「がっは……!」


 鳩尾を貫く鈍痛に青年は息もできず一度大きく喘いで、気を失った。


 ペスカは腕で額を拭うと、ふぅと一息。


「ギリギリセーフ……!」


 腕をサイドに大きく広げて言うのでした。


「っぶねー! マジぁっぶねー! 今回はマジで危なかった……偉大なる全能なご主人様が私ごとき末端平社、慰めに降りてくるわけないじゃん! 信じかけたー……さしもの私も信じかけたわー……この刺客、うまかったー……」


 ひとしきり言い終えると、足元の青年の首を絞めて再度落としておき、外へ引きずり出して後始末。


 自分は粒子になったガラス細工の元に戻り、


「でも寝起きで良い運動になったな。っぱ、人間(?)寝なきゃダメだわ。数日寝まくったらすっきりした。っし! また一からつくりなーおそっと」


 流石に粒子になると一度火にくべ、高温でまとめてからの成形になります。


 粒子をちりとりで一ヶ所にまとめ、かまどに入れること数分。高音で赤くなったガラスを取り出すと、特性の大きなミトンを両手につけて、


 ぺたぺた、ぺたぺた。


 再び手でこね、形をつけていく作業に、黙々と取りかかるのでした。


 ぺたぺた、ぺたぺた、ぺったんこ。


「ふふふーん、んっふんふーん、ふふふー、ふんふーん。ったく、ご主人様ったら、すーぐ壊れちゃう、ガラスのハートなんだから。ほんとう、私がいなきゃどうしようもないんだからなー。……でも、どんなにヘラることがあっても最後は絶対立ち直ってくれる。元気になってくれる、そんなとこがしゅき」


 ぺたぺた、ぺたぺた、ぺったんこ。


「だから、私も頑張れるんだ」


 そうです。


 ペスカが日々せっせと手がけるガラス細工とは、人間一人一人が胸に持つ、繊細で壊れやすい、ガラスのハートなのでした。


 ここはそんな人間たちを神様とするガラスのハート工房。


 日々、さまざまな悩みを抱えた人間たちの、さまざまな色、強度をしたハートを修繕する彼女らガラス細工職人たちが働く、秘密の工場なのでした。


 傷つきやすい私たちだから、いつも心にガラス細工職人。


 これを読んでいるあなたにも、きっと、あなただけのこんな彼女らココロのガラス細工職人がいて、毎日、自分だけの工房でハートを修繕してくれていることでしょう。


 明日もきっと、良いことありますようにってね。


 ちゃんちゃん。




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