行宗道子1
行宗昭雄さんの家は松江市から五キロ離れた山手へ向かう途中にあった。周りは住宅街の中に田畑が点在する郊外と呼ぶには長閑な場所だ。住宅街と言っても四、五軒がひとかたまりになり、あっちこっちに点在している。その一軒一軒が四十坪ほどの宅地の周りにはかなり広い敷地がある。その敷地内に車を止めて声かけをすると、直ぐに玄関引き戸を開けて昭雄さんは招いてくれた。五人も押し掛けるのは迷惑になると三人は車で待機して、夕紀と美紀が代表して通された応接間でさっそく系図を広げて説明された。
系図は五十代の昭雄さんを中心にして、父と祖父、祖父は四人兄弟の長男で、その弟たちの中に三姉妹の子供がいて、その次女になる人が道子さんだと知らされた。主に説明を聞いているのは夕紀で、美紀はみんなに説明しやすいように、道子さんに至る系図を書き写している。それで既に亡くなった人には斜線を加筆した。それによると道子さんに最も近い生存者は、道子さんの姉に当たる恵子さんだけだった。
「この姉に当たる恵子さんに聞けば一番確かでしょう」
この人は松江の北に在る美保の老人ホームに住んでいると、昭雄さんはわざわざ前もって調べてくれた。
礼を言って車は再び松江市に戻った。そこから宍道湖の北に在る美保へ向かう。途中には小泉八雲の記念館が有るらしい。桜木が寄りたかったが、目的を絞っているから断念する。
桜木にすればまたとないチャンスだったらしい。八雲の日記には朝は仏壇に線香をあげる頃には、シジミ売りの声が聞こえると書いてある。それは平安時代の紫式部日記にも似たような記述が在るらしい。そこで桜木が言いたいのは、千年も変わらぬ同じ暮らしが続いたのが、僅か百年でのこの様変わりを嘆いているのだ。それを身近に感じられる場所なのにと残念がっていたのだ。これは人間学を専攻する二人には、是非とも知った方が身になるとも熱弁していた。




