苔むす庭の石仏1
宸殿から往生極楽院を望むこの場所は、通路になり留まる人はいない。なぜなら三千院では往生極楽院は、メインスポットに当たるから、みんなが我先にと通り過ぎる。行き過ぎる人たちに信心はないのだろうか。ただ物珍しさが先走り往生極楽院へと向かう。そこに美を求める人もいるだろう。仏心がなくても構わない。ただ心の拠りどころとして見詰められれば、作った仏師も心を穏やかにして迎えてくれているのかも知れない。
それじゃあどっこいしょと、年寄り臭く起ち上がり、野次馬の後に付いて、往生極楽院を拝観する。天井は舟底を逆さまにして、舳先が入り口に向いている。その下に阿弥陀三尊像仏が祀られている。なんと言っても中央にどっしりと居座る阿弥陀如来像だ。この大きさに両脇の観音菩薩と勢至菩薩が、可愛く見えるからこの仏様も捨てたもんじゃない。これと比較して杉が林立するお堂の周りの苔むす庭に、様々な仕草でひっそりと佇む石仏たちにも愛嬌がある。
「何でこんなに不規則に石仏は置いて有るのかしら」
誰もが不思議がるほど三人は足を停めて石仏を魅入る。その中で二つの上半身だけが寄り添う石仏を宇田川さんは指さして「道子さんはあの石仏に魅入られるように眺めていた」と云われて三人とも一緒になって見詰めた。
「もうひとつの仏さんは多分あの写真の人じゃあないかしら」
そう言われても残っているのは、あの写真しかないから、想像はそこへ行き着く。
「でもどんなに思い込んでも遺産はあの写真の人には遺言状がない限り本人を見つけたとしても絶対無理なんだ」
写真の人は多分恋人だ。そうなると血縁者って何なのだろう。離婚していれば当事者間には何もないのに、お互いに引き取った子共には権利が発生する。あの写真の二人には法的権利はないが、もし子供が居れば、あの二人の男女には、その生存者を求めて、何親等にも渡って権利が発生する。




