三千院への想い4
道子さんは山下さんと一緒になってここに引っ越した。ご主人の戸籍が戦災で焼失して戦後に本人の申告に基づいて作成されて正確でない。それを知って道子さんもそれほど住民登録には固執しなかったらしい。
「そうなの」
「大家さんが大阪の区役所に問い合わせたがどうも亡くなったご主人の戸籍だが、生年月日に問題があるらしく、実際のところは分からんと言われたそうな」
当時は戦後の混乱期を生き抜くためにも、孤児は子供扱いされれば誰も相手にされない。だから歳を誤魔化したらしい。
「そう言う話をあの夫婦はおそらくしただろう。それで住民登録していない道子さんの過去に付いてもなにも訊ずねなかったようだ」
「じゃあ山下さんも道子さんも、すねに傷有る身なのね」
「その言い方はなんか不謹慎だろう。山下さんも生活の糧を得るために歳を誤魔化して、道子さんは恋の逃避行で所在を誤魔化していた。その二人がこの三千院の片隅でひっそりと生活してたんや」
そこへ夕紀が突然やって来る。滝川さんが道子さんの遺品を見たいからこっちへ向かってる、と云う知らせが桜木から入った。それで今から迎えに行くらしい。
「だってあの家の鍵はあたしが持ってるから。あたしがいなければあの家には入れないのよ」
忙しなく響くカウベルの音を残して夕紀は出掛けた。
カウンター席で寛ぐ二人は、急に来るなんてあたし達の話が滝川さんに聞こえたのかしら、と優香は冗談がらみに言うと、彼もそうかもしれんと笑っている。おそらく夕紀達から創作ノートどころか、めぼしい物はなかった。だから行っても無駄だと知りつつも、矢張り滝川さんにすれば長い空白期間を少しでも埋める物があれば、との想いから思い立ったのだろうと浩三と優香は思った。




