1-23 元日の幽霊
高校三年生の伏見桃花は、小さい頃の記憶を断片的に失くしていた。
失くしたのは、暑い暑い、遠い夏の記憶。
その記憶が、元日の稲荷神社に甦る。
私は、可愛くない子どもだった。
友だちがいない。
作ろうともしない。
そんな私にも、ひとりだけ話しかけてくれる男の子がいた。
その子の名前は──なんだっけ。
本当にいたかどうかも、高校三年になった今ではあやふやだ──
「五、四、三、二、一……」
私の部屋の中、三人のスマートフォンの時計が同時に真夜中の零時を表示する。
「「「ハッピー、ニューイヤー!」」」
私たち三人は、ジャンプして空中で年越しを迎えた。
春になれば、鈴木のぞみは地元の短大、田淵エリカは大阪の大学、私は東京。
もちろん、もうすぐやって来る入学試験に合格すれば、だけど。
高校の友だちとこんなバカな年越しができるのも、最後かも知れない。
そう思うと少し寂しい。
ブチエリもしんみりした顔をしているけれど、ノンコは気にせずに次の行動を思いついたようだ。
「よし、初詣行こう」
「どこに?」
「いちばん近い神社!」
そうなると、港橋の向こうの恵比寿神社か──
「──美濃輪稲荷だね」
「んだね〜じゃあ、しゅっぱーつ」
「気合い入れる距離じゃないでしょ」
呆れる私は、出かける準備のために化粧ポーチを持った。
次郎長通り商店街の裏手にある美濃輪稲荷神社は、普段はあまり人がいない小さな神社だ。
けれど大晦日の夜は何軒か露店が出て、近所の人で溢れ返るのだ。
そうなると、どうなるか。
顔をご近所さんに見られる。
それをわかっていて、こんなすっぴんで行くわけにいくかっ。
せめてファンデとリップと前髪だけでも!
「桃花、行くよ〜」
「ええっ、まだ何にも用意できてないよ!?」
待って待って、せめて帽子を。
結局私は、すっぴんにニットキャップという脆弱な装備で、徒歩五分弱の美濃輪稲荷神社に向かう羽目になった。
「もう、顔を作る時間くらいちょうだいよ」
「だーめ。桃花に化粧なんかさせたら、ぜーんぶ視線持ってかれちゃうから」
「あー、こないだの文化祭みたいに?」
「ちょ、やめてよ。私の黒歴史じゃん」
その件は本当に忘れたいんだよ。
クラスの出し物がゾンビのコンセプトカフェになっちゃって、休憩時間にゾンビメイクのままで二年生の校舎にたこ焼き買いに行った、ある意味事件だ。
あれからしばらく下級生にゾンビ先輩って呼ばれて大変だったんだから。
「今日は大丈夫だね。ニットキャップですぐに顔隠せるし」
ああ、もう。
「早くお参りして帰るよ。寒いんだから」
ぞんざいに言った私はニットキャップを深めに被り直して、砂利引きの境内に入る。
伏見稲荷ほどではないけれど、境内に並ぶそれなりの数の赤鳥居を──え。
三列に立ち並ぶ赤鳥居の、いちばん空いていそうな列に入ると、気温が変わった。
冬なのに、暖かい。
いや、暑い。
周囲を見回すと、誰もいない。
ノンコもブチエリも、違う列の鳥居に入ったのだろうか。
鳥居が続く中を本殿に向かって歩くと、その中の一基がぼんやりと光っている。
こーん。
光る鳥居の向こうから、鳴き声のような音がした。
吸い込まれるように光る鳥居に近づくと、視界ががらりと変わった。
「え」
目の前に続く鳥居の列の隙間から、眩しい光が差している。
遠くに蝉の声が聞こえる。
暑い。
まるで、夏だ。
暑くてニットキャップを取ると、目の前に子どもが立っていた。
小学生くらいの男の子。
通学用の黄色い帽子に、黄色い横断バッグ。
半ズボンにTシャツ、メーカーのわからないスニーカー。
──シンジくん?
あれ。シンジくんって誰だっけ。
『桃花ちゃん。久しぶり、だね』
男の子が、微笑む。
わからない、思い出せない。
でも、目の前の男の子は私を知っている。
「シンジくん、なの」
無意識のうちに、私は男の子をシンジくんと呼んでいた。
『ごめんね、急に引っ越しちゃって』
本当だよ。
四年生の一学期が終わる直前、シンジくんの家は引っ越してしまった。
引っ越した先は、聞かされていない。
誰に聞いても教えてくれなかった。
いつもこの美濃輪稲荷で一緒に遊んでたのに。
田んぼおに、ごっこ遊び、買い食い。
楽しかった。
子どもの頃の私は、ずっとこの時間が続いていくと信じていた。
なのに……あれ。
なんで私は、今の今までシンジくんを忘れていたのだろう。
「シンジくんは、どこに引っ越したの?」
『んーと、千葉』
「どうして、急に引っ越しちゃったの」
『お母さんが離婚することになって。千葉のおじいちゃんの家に』
そんなことがあったんだ。
でも、なんで今、小学生の姿のままで私の前にいるのだろう。
『でもね、夏休みに海で溺れちゃったんだ』
え、じゃあ、目の前にいるシンジくんは。
『それで、気がついたらここにいたんだ』
「……ずっと?」
『うん。誰にも気づいてもらえなくて、でもお稲荷さんから出られなくて』
それって、シンジが死んじゃったって、こと?
せっかく思い出せたのに。
『わかんない。でも、桃花ちゃんに、会いたくて』
私だって、ずっと会いたかったんだよ。
でも何処に引っ越したのかも知らないし、教えてくれないし。
もう一緒に遊べない。声も聞けない。手紙も書けない。
寂しかった。ずっと寂しかった。
そのはずなのに。
──私は薄情だ。
いつのまにかシンジくんがいないことを忘れて、新しい友だちができると存在すら忘れていて。
今まで、ちっとも思い出さなかった。
『ぼくね、桃花ちゃんと埋めたタイムカプセルを、一緒に見たくて』
それで、美濃輪稲荷で待っていたの?
十年以上、ずっとひとりで。
赤い鳥居だらけの、この狭い神社の境内で。
ずっと、ずっと。
気がついたら、私は泣いていた。
『わ、ごめん。急に引っ越しちゃたから怒ってるよね……』
「ううん。シンジくん、ずっと寂しい思いをしてたんだなぁ、って思って」
寂しかったのは、私だけじゃないんだ。
でもシンジくんはずっと子どものままで、思い出が更新されることもなく。
ここでひとりで、ずっとひとりで。
「寂しかった、よね……ごめん、気づいてあげられなくて」
『ううん。ぼくの時間は止まっちゃったけど、桃花ちゃんの時間は止まってないから』
子どもの頃のシンジくんも、こんな大人びた話し方をしたっけ。
頭が良くて、足が速くて。
でもボール遊びだけは苦手で。
嫌われ者の私にも話しかけてくれて。
いつも私が知らないことを教えてくれる、私の初恋の男の子。
私にとっては過去だけど、目の前のシンジくんにとってはずっと変わらない今、なんだ。
「タイムカプセル、掘ろう。今は人がいるから無理だけど、必ず」
『うん、ありがとう──』
こーん。
曖昧な約束をした途端に鳴き声が聞こえた。
同時にシンジくんの姿は薄くなって、夏の景色ごと消えてしまった。
「──桃花、桃花ってば!」
呼ばれる声が聞こえると、途端に冷たい空気を感じた。
「……さぶっ」
寒さに身震いすると、ノンコとブチエリの顔が目の前にあった。
「さぶ、じゃないよ。どしたの急に立ち止まって鳥居なんか見つめてさ」
「そーだよ。立ったまま気絶なんて笑えないんだけど」
うそ、そんな状態だったの?
「ご、ごめん」
「……ホント、どうしちゃったの。勉強のし過ぎ?」
ブチエリに訊かれて、思わず俯く。
「幽霊にね、会ったの」
「はぁ? 幽霊? ゾンビメイクの?」
「そうじゃない。けど、もういいよ」
きっと、どう説明しても理解なんかしてもらえない。
私だって幽霊なんか信じていなかったんだ。
でも、実際子どものままの姿のシンジくんと、私は会った。
その事実だけは、否定できない。
「まあまあ、これでも飲んで落ち着こう」
ノンコが紙コップを差し出してくる。
「はい、甘酒。ちょっと冷めちゃったけど」
「ん、ありがと」
慎重に啜った甘酒は、ちょうど飲み頃の温かさだった。
「行こ。合格祈願のお参りしなきゃ」
ブチエリに腕を引っ張られて拝殿に向かう中、あたたかい風が吹いた気がした。





