1-20 異世界転生者の、兄
「私達、婚約破棄しましょう」
公爵令嬢キャロリンの言葉に、侯爵家嫡男ルークは声を失った。
彼女が新たに望む婚約者とは、よりによって実弟のロイド──。
『そうか! ここはゲームの世界なのか!』
幼い頃にそう口にした弟は、今や誰よりも輝く存在となっていた。
比べられ続け、誇りを削られたルークは、彼女を引き留めることもできず馬車に乗り込む。
だが帰郷の途中、何者かの襲撃を受け、彼の運命は大きく変わり始める。
これは“異世界転生者の弟”を持つ兄が、生き方を選び直す再生譚。
「私達、婚約破棄しましょう」
「えっ」
貴族令息及び令嬢が通う王立魔法学園。その敷地内にある庭園の一角。
彩りどりの薔薇に囲まれたガゼボでは、平素ならば社交の場として活用される。
しかし侯爵家嫡男ルークはその中で、今まさに目の前の公爵令嬢──婚約者キャロリンに関係を絶たれようとしていた。
「ま、待ってくれキャロリン! それは今からという意味かい!?」
「えぇ、そうよ。じゃなきゃわざわざ口にしないわ」
「そんな、“まだ”早いだろう!?」
「大きな声を出さないで頂戴」
真っ赤な扇子を広げ、キャロリンはうんざりした様子で言う。
それでもルークは顔を青くしながらも、キャロリンに考え直すよう迫った。
「わ、私が学園を卒業するまで待つという約束だろう? あとたった三ヶ月じゃないか。どうして突然……」
「先日、ロイドさまがグリフォンを退けた話は知っているわよね?」
ロイド。侯爵家の次男であり、ルークの二つ年下の実弟。
キャロリンと同い年の十六歳で、彼女とはクラスメイトの間柄だ。
“今は”。
「あ、あぁ。ロイドから聞いているよ。実習先で遭遇してしまったと。君に怪我がなくて心から安堵し、」
「あの場には王女さまもいらしたの」
「第四王女が? 編入して間もないというのにもう実習に参加していたとは、知らなかった」
「ロイドさまはね、彼女を庇う形でグリフォンを撃退したのよ。果敢に、勇敢に。それはそれは素敵だった」
ロイドの活躍を思い出しているのだろう、キャロリンは恍惚とした表情を浮かべている。
姫の危機を救う騎士。まるで御伽噺の一幕。
それを目の前で見せられてしまえば、王女だろうと心揺れるというもの。
「あの日以来、王女さまはロイドさまにご執心。そのまま婚約を迫るかもしれない。その前に、私はロイドさまへ愛を伝えたいの。――今夜の舞踏会でね」
そこでルークは、キャロリンが急に舞踏会を主催した意味を知った。
「……ロイドと踊るつもりかい?」
「えぇ。勿論」
告白を控えたキャロリンが纏う空気は、この上なく至福そうで。
何も言えなくなってしまったルークに、キャロリンは「それじゃあ、準備があるから」と軽やかな足取りで庭園を去って行く。
ルークは一人、ガゼボに残された。
(久し振りにキャロリンと踊れると、思っていたのだが……)
ふと、ルークは薔薇に手を伸ばす。指先にチクリと痛みが走り、赤い血がぷくりと浮き出た。
十年前ならば、キャロリンはハンカチでこの指を包んでくれたことだろう。
今ではもう、見向きもされなくなってしまったが。
――始まりは、ロイドが六歳になった誕生日。
『そうか! ここはゲームの世界なのか!』
今したがルークから貰ったプレゼントを片手に、ロイドは虚空を見つめそんなことを言い出したのだ。
『まずいぞ! このままじゃ疫病が流行っちまう!』
意味がわからずルークが困惑している間にも彼は慌てふためき、屋敷を飛び出すと森の奥地に群生していた薬草をかき集めた。
すると予見通り病が流行り、彼が確保していた薬草が特効薬となって多くの命を救った。
それを皮切りに、大雨による洪水や旱魃による飢饉の対策をこなすなど、ロイドは八面六臂の活躍をするようになる。
十歳になって剣を待てば、馬車を襲撃してきた盗賊を撃退し、魔法を覚えれば領地へ侵入してきたスタンピードを雷で一掃した。
極め付けは王都へ出没したドラゴンを、単騎で打ち倒したことだ。
それによって国王陛下にも一目置かれるようになり、キャロリンの恋心も輝かしい功績を持つ彼へ移っていった。
(それだけでなく、ロイドは功績を鼻にかけず、気さくで親しみやすい性格をしている。たまに礼儀がなってないと叱責を受けるが、それがまた愛嬌となっていて……)
ロイドに夢中になったキャロリンがルークとの婚約を破棄することは、随分前に決まっていた。ルークが学園を卒業するまで、公表を遅らせていただけで。
卒業と共に距離が開いた結果、心の距離も遠くなり、婚約を結び直した――という体を装えられ、学園内の醜聞を避けられるから。
尤もそれら全て、言い訳だ。
(……本当はただ、少しでも長く、キャロリンの隣にいたかった)
親同士が決めた婚約。
しかし幼い頃から幾度も顔を合わせてきて、キャロリンの明るさと優しさに触れ、ルークは彼女に恋心を抱くようになっていた。
故にルークは公爵令嬢であるキャロリンに相応しい夫になろうと、勉学も剣術も作法も懸命に学んだ。いつの日か彼女の隣を堂々と歩けるように。
その夢は、とっくの昔に叶わなくなっていると知りながら。
(泣くな。貴族たるもの無様を晒してはいけない)
足元から崩れ落ちそうになるのを堪え、ルークは血が滴る指を握り締める。
いつものことだ。
両親に賞賛され、領民に慕われ、関心も好意も独り占めして。
弟が成長するに比例し肩身が狭くなって、不出来な兄として笑われ同情され哀れまれ。
(……舞踏会には、行けないな。学園にも……)
今後、生徒達に向けられる視線を考えると、学園生活は針の筵を歩くも同然。
幸か不幸か、必要な単位は履修ずみ。無理に通い続けることもないだろう。
(領地に、向かおう。……早くここから、離れたい)
これまでずっと、体を締め付けられている感覚が付き纏っていたが、今日は一段と息苦しい。心臓はばくばくと大きく鳴り、背中には冷や汗が絶え間なく流れている。
ルークは重い体を引きずって寄宿舎に戻り、休学の手続きをすませると、手早く荷物を纏め馬車を手配した。
また正門に馬車が来るまでの間、魔法で形成した伝書鳩に手紙を託し、領地で暮らす両親へ送った。これで突然、帰宅しても驚かれることはないだろう。
そうしてルークは誰に見送られることもなく、学園を発った。
(……ロイドは、なるべくして英雄と称えられた)
ロイドの積み上げた武功は、先見の明から来ているのは確かだ。
しかし次から次へと、試練のように襲いかかってくる困難を振り払ったのは、彼が血の滲むような努力を重ねたからに他らならない。
『薬草を採りに森へ行きたいんだ! お願いだ兄ちゃん、馬に乗せてくれ!』
『水路を整えるには予算がいる! どうしたら父上を説得できると思う!?』
『だぁーっ! 全然ダメだっ! 兄ちゃん、魔法のコツ教えてくれ!』
同じ家で生まれ育ってきたのだ、ルークはロイドの頑張りを誰よりも近くで見てきた。
(いっそ奇跡に愛されていた方が、諦めもついただろうか)
――ガタンッ!
突如、馬車が大きく揺れる。次いで聞こえてきた、ギャアギャアという甲高い鳴き声。
翼を持つ魔物、ワイバーンだ。
「ひゃははは! この馬車だな!」
「囲め! 囲め!」
しかもワイバーンには賊が騎乗しているらしく、頭上から男達の下卑た笑い声が響いてくる。
ここは王都から離れた渓谷の中。助けは来ない。ルークはすかさず剣を持つと、扉に手をかけた。
ガタッ! ガタタタッ!
が、ルークが外へ出る前に馬車は大きく傾き、車輪が浮き、道から離れ――谷底へと、落ちて行った。
***
鈍い痛みが全身に走る。
反射的に目を見開けば、天井の木目が目に入った。いつの間にか、ベッドに横たわっている。上体を起こし窓の外を見てみれば、ここは森にある小屋だとわかった。
そして包帯が巻かれた体を見るに、ルークは自分は介抱されていたことを察する。
「あっ! よかった、起きたんですね!」
そこに三つ編みの少女が部屋へ入ってきた。
草花がいっぱいに入った籠を背負っているところから、採集家と思われる。
「貴方、三日も寝ていたんですよ?」
「そ、そんなにか」
「はいっ! 川からどんぶら流れてきた時はびっくりしました!」
谷底の川に落ち、下流へと流されたのだろう。
打ち身に裂傷、片足骨折と、満身創痍だ。我ながらよく生きていたなと感心してしまう。
「あたしマリーっていいます! 貴方のお名前は?」
「私、は……」
そこでルークは言葉を飲み込んだ。
本名を告げればきっとすぐに迎えが来ることだろう。しかしどこか、抵抗があった。
屋敷に戻ったとして結局、居場所などないのだから。
(これを機に、名前も身分も関係のない道を歩んでみるのも、いいのでは?)
そんな思い付きに駆られて、
「その、頭を打ってしまったからか、記憶があやふやで……」
ルークはマリーに、ここに滞在したいと願い出たのだった。
***
「だぁーっ! このポンコツが!! 兄ちゃんの居場所一つ教えてくれねぇとか!!」
特待生専用個室に、ロイド怒声が響く。
彼の目の前には他の人間には見えない“ステータス画面”が浮かび、消息不明となっている兄ルークの能力値と好感度が記されていた。
肝心の居場所はわからないが、HPが著しく下がっていることはわかる。
生きてはいる。しかし重体だ。
焦りが、募っていく。
「坊ちゃん、キャロリン嬢からお茶会のお誘いが来ておりますが……」
「茶会なんぞ知るか! いいから騎士団から人員を回せ! 草の根を分ける勢いで探すんだ!!」
ロイドは従者にルークの捜索を急がせた。
そして従者が退室した後、ステータス画面の端に映る関係者一覧こと両親の顔を、忌々しげに睨み付ける。
「兄ちゃんを消して俺を嫡男に据えようとか、そうはいかねぇぞ馬鹿両親が。俺は絶対、兄ちゃんとハッピーエンドを迎えてやるんだ……!」
弟から向けられる執着を、兄はまだ知らない。





