1-16 今日も狐塚くんと出かけます。
残業中に「癒されたい!」と叫んだ橘あおい。そんな彼女を後輩の狐塚くん(本物のキツネ)が、おすすめの店に連れて行ってくれて――
この日をきっかけに美味しいものを知ってる狐塚くんとあおいは、一緒にでかけるようになっていく。
キツネ×お出かけ×ごはん、ほっこり癒し系ストーリー!
ふわりと立ちのぼる湯気と出汁の香りに、思わず口元が緩む。黄金色のスープに油揚げが浮かび、両手で器を持つと、指先から熱がじんわり伝わってくる。
ひと口すすると、熱々の出汁が喉を滑り、体の芯から温めてくれた。
「……美味しい」
つるんと喉ごしのいいうどんも、じゅわりとした油揚げも、食べ進めるたびに、疲れた心が癒されていく――
·˖✶࿐
「あぁ――癒されたい!」
私――橘あおいは、叫びながら机に突っ伏した。
だって仕方ない。クリスマスに残業なんて、悲しいにも程がある。
「先輩が残業を引き受けたからでしょう?」
隣で書類を整理しながら、後輩の狐塚くんが口をひらく。彼は総務部の後輩、そして――キツネだ。比喩ではなく動物のキツネ。琥珀色の瞳とピンと立つ大きな耳があり、もふもふの尻尾の先端は雪のように白い。
「うっ、だって……係長から『家族でクリスマス会をする』なんて言われたら、断れないよ……」
恨めしく視線を向ければ、尻尾が呆れたように揺れる。
「先輩ってお人好しですよね」
もう八時半を過ぎたオフィスには、私と狐塚くんしか残っていなかった。街はキラキラと華やいでいるのに、ここはとても静かだ。
「でもさ、狐塚くんだって残業してるじゃん」
「僕は、係長に恩を売っておこうと思っただけです」
目を細めて、したり顔を浮かべている。その表情はキツネっぽい。いや、キツネだから当たり前なんだけど。
私の場合、一緒に過ごす相手もいないし、街の浮かれた雰囲気に取り残されるのが嫌で、仕事に逃げている。とはいえ、いつまでもオフィスにいるのは嫌なので、集中して目の前の資料に取り掛かった――
「よし、終わった!」
「僕も終わりです」
帰る準備を済ませ、オフィスの外へ出ると、冷たい夜風がぴゅーっと通り過ぎる。 吐く息が白く舞う。
「……うう、寒い」
マフラーに顔を埋め、狐塚くんと並んで歩き始める。彼は私より頭一つ分背が高く、二足歩行で歩くたびに尻尾が揺れる。スーツに尻尾専用の穴があるのだろうか、と考えていると狐塚くんがふと立ち止まった。
「――先輩、まだ癒されたいですか?」
「え?」
突然の質問に彼を見上げる。
「さっき、癒されたいって言ってませんでした?」
「……っ! 癒されたいですっ!」
「僕、これから癒されに行くんですけど、先輩も一緒に行きますか?」
思いがけない誘いに目を瞬かせた。
「――行きたい!」
「……先輩、もう少し警戒心を持ったほうがいいと思いますよ」
「え? 変なところなの? はっ、もしかしていかがわしい感じ!?」
「いえ、まったく」
「じゃあ、問題ないよ」
どうせ今、帰ったところで、冷えた部屋でコンビニのチキンとケーキを独り食べる未来しか見えない。それは絶対に寂しい。だったら狐塚くんと一緒のほうが面白そうに決まっている。
「…………まあいいや。じゃあ、ついてきてください」
なぜか呆れた顔の狐塚くんを無視して、私は勢いよく頷いた。
クリスマスソングが流れる街を二人で歩く。尻尾が音楽に合わせるように揺れる。イルミネーションが街中をキラキラ照らし、私の気持ちも弾む。
狐塚くんに連れてこられたのは、路地裏の小さな割烹屋。『コンコン』と書いてある暖簾から温かな光が漏れている。
「ここです」
「…………へえ」
完全に想定外だった。和風で、クリスマスの雰囲気は欠片もなかった。まあ、ロマンチックでムード満点な場所に連れてこられても、それはそれで困ってしまうけど。
「行きますよ、先輩」
「あ、うん……っ」
狐塚くんが慣れた様子で暖簾をくぐる。私も慌てて後を追う。外の寒さとは打って変わって、店内はほっとする温もり。木のカウンターと畳の小上がりが落ち着いた雰囲気だ。
カウンターには数名の人が座り、奥の小上がりには鹿の老夫婦が静かに談笑している。なんだか肩の力が抜けて落ち着く。田舎のおばあちゃん家に来たみたいな、そんな感じ。
「いいお店だね」
「先輩ならそういうと思いました。僕のお気に入りなんです。ここのきつねうどん、絶品なんですよ」
「キツネがきつねうどんを……」
「共食いみたいに言わないでくださいよ」
「はは、確かに」
メニューを見ていると狐塚くんの三角耳がぴこぴこと動く。ヒゲもぴくぴくして嬉しそう。
「ここ、おいなりさんも美味いんですよ。普通のと、わさびの茎が入った二種類があって」
「へええ。わさびのおいなりさん、気になる!」
「残念ながら、おいなりさんは予約制ですけどね」
「ええ〜! 食べられないってこと?」
期待でよだれが出そうになったのに、無情な現実を突きつけられた。ひどい。
「そうなりますね」
「…………狐塚くんっていい性格してるよね」
「くくっ、先輩……今、チベットスナギツネみたいな顔してますよ」
キツネにキツネ扱いされてしまった。しかもチベットスナギツネをスマホで検索したら、全然可愛くなくて二度見した。ひ、ひどい。
なんとも複雑な気持ちでいると、女将が注文を取りにきた。女将は小柄なタヌキ。割烹着を着こなし、シマシマの尻尾がピーンと立つ。
きつねうどんの店にタヌキ女将。なんだろう、このもやもや感。女将にちらちら視線を送る。
「……先輩、女将はタヌキではなくてアライグマですよ」
「ええっ!?」
思わず声を上げる。すると、女将が笑いながら口をひらいた。
「ふふっ、いいんですよ。よく言われますから。顔は似ているんですけどね、タヌキは尻尾が茶色で短いのですよ」
「そうなんですね!」
「どうぞお見知りおきを」
改めてアライグマ女将に、きつねうどんを注文した。カウンターに戻る女将のシマシマ尻尾を見つめながら、ふと疑問がわいた。
あれ? 狐塚くんは、なんで私がタヌキと勘違いしたってわかったんだろう。
「――もしかして狐塚くんって、妖狐?」
疑いのまなざしで狐塚くんを見ると、目を細めてニヤリとした。えっ、まさか本当に妖狐なの!?
「さすが先輩、妖狐と言われたのは初めてです。でも、残念。僕はただのキタキツネですよ。女将の件は、先輩の顔に書いてありました」
「え……?」
「あんなにじろじろ見てたら誰でもわかります。女将のこと二十回くらい見てましたよ」
「そ、そんなには見てない、と思うよ……たぶん」
ズバッと言われて、しどろもどろになる。
「くくっ、先輩……今度はひょっとこ顔になってますよ」
「っ! ひ、ひょっとこ……!?」
「本当、先輩は見てて飽きないですね」
狐塚くんが揶揄うように笑う。この後輩は口が悪い。でも尻尾がぶんぶんするのはちょっとかわいい。もふもふは正義―― と、心の中で叫んだ瞬間。
「お待たせしました」
湯気のあがるきつねうどんが運ばれてきた。香る出汁に、油揚げが柔らかく輝いている。いただきます、と手を合わせて食べはじめた。
「――美味しい!」
出汁の優しい旨味と油揚げの甘じょっぱさが口の中で溶け合う。はふはふ食べ進めると、お腹がぽかぽかして、疲れがふっと溶けていく。
お腹も心も満たされて、ふう……と息を吐いたら、狐塚くんと目が合った。
「先輩、癒されました?」
「うん、ありがとう! 狐塚くんについてきてよかったよ。美味しかった」
「それはよかったです」
狐塚くんの瞳が、くすっと笑いながら細くなる。
食後に温かなほうじ茶を飲んでいると、彼が口をひらいた。
「そういえば、先輩ってお正月は実家に帰るんですか?」
「悩んでる。帰るたびに、彼氏できた? 結婚はまだ? って聞かれるから帰りたくないけど、特に予定もないし……」
実家に帰れば、あれこれ遠慮なく聞かれる。さらに、ここ数年はお見合い話も飛び出すので、本当は帰りたくない。
「狐塚くんこそお正月どうするの?」
「――干支盃をもらうために並ぼうと思ってます」
触れられたくない話題をそのまま戻したら、尻尾が大きく揺れはじめた。あの揺れる尻尾の先に手をそっと置きたい。きっと、もふもふだろうな。狐塚くんは嬉しそうだけど、馴染みのない言葉に首を傾げた。
「干支盃……?」
私の質問に狐塚くんの瞳がランランと光る。
「近所の松並区にある清円寺なんですけど、元旦にだけその年の干支が描かれた盃でお屠蘇を振る舞うんです」
「そんなのがあるんだ!」
「そうなんです! その年の干支が描かれた盃は、厄除けと無病息災のご利益があって持ち帰りができるんですけど、数量限定だったから去年はもらえなくて……」
「なるほどね」
尻尾が力なく落ちた。よっぽど残念だったのだろう。素直な尻尾だ。
「今年はもらえるといいね」
「頑張ります。それにしても、キツネ年がないのが残念です」
「ははっ、そればかりは仕方ないねえ」
元気を取り戻した尻尾が激しく揺れる。
「干支盃も楽しみなんですけど、参道に出る紅白しるこも絶品なんですよ。あと焼き団子も美味しくて。今年は早めに行って絶対食べます!」
「……美味しそう」
想像して思わずつぶやいた。そんな私を見て、狐塚くんがニヤリと笑う。
「先輩、一緒にどうですか?」
狐塚くんの尻尾が誘うように揺れた――





