1-13 世界の嘘が見え始めた日
魔法が当たり前のマラディア王国で、魔力を失う不治の病「失魔症」と診断された少女アメリア。研究への協力を条件に、国の名門・カロラーナ大学へ入学を許された彼女は、孤独と周囲の同情に疲弊していた。
そんな彼女の前に現れたのは、先天的な失魔症を患う少年シドニー。
「失ったんじゃない。別の才能に変わっただけだ」
――彼の言葉が、止まっていたアメリアの時間を動かし始める。
「両親が調べたんだ。この病気の人が卒業後、どんな暮らしをしているか。でも、ほとんどの情報が隠されていて分からない」
「就職は斡旋されるって……」
「全部、国が管理している職場だ。記事を書いた人にも会えない」
平和のために、世界を揺るがす力を病と偽り、気づかせぬまま飼い慣らす国。正しさを盾にした支配と秩序の裏で、自由は静かに失われていた。
アメリアは歪んだ均衡の中で、新しい秩序の形を模索し始める。
『失魔症ですね』
魔力臨床科の先生の言葉に、私の世界は暗転した。隣にいた両親も、きっと同じだっただろう。
なにせ、ここマラディア王国では、国民のほとんどが魔法を使えるのだから。
魔法を使えない人も少しは存在する。しかし、彼らは『不治の病』を患っている者として扱われる。国からはわずかな手当が支給され、顔写真付きの専用手帳が発行される。魔力で動く設備を扱えないなどの理由で、多くの施設が無料や割引になり、場合によっては介助人まで付けられるのだ。
まさか自分がそんな立場になってしまうとは……。
『完全に魔力が失われるのはいつ頃でしょうか。治る見込みはないのでしょうか』
治るわけがない。そんなこと、両親も分かっていただろうに。
『そうですね……個人差もありますが、一年はもたずに魔力は失われるでしょう。治癒した例もありませんが、医学が発達すれば可能性はあります』
そこまでは予想通りだった。
『ご提案ですが、高等学部を卒業したら王立のカロラーナ大学へ進学されたらどうでしょう』
『えっ……。ですが、あそこは名門大学で、娘にはとても』
『失魔症の方は、研究に協力することを条件に入学が許されるのです。魔法実技など参加できない授業はありますが、授業料も全額免除されます』
『そうなんですか!?』
『ええ。失魔症枠が設けられていて、入学案内にも記載されています。発症年齢によってご案内する学校は変わりますが、国からの指示で、患者さんには我々からご案内することになっています。卒業後の進路についても、国が斡旋するため安泰です』
こうして、私は研究対象になることを条件に、この国の名門大学に入学することを許されたのだ。
「今日が初めての自由時間か……」
大学の庭園をのんびり歩く。
春の風は柔らかく、陽射しも穏やかだ。魔力を帯びた花は光をやさしく放っている。
クラスメイトは授業中だ。魔法を扱う授業の場合、私だけは別の教室で研究協力という名の実験に付き合わされる――と聞いてはいたものの、学園に慣れた頃に開始するらしい。一週間は魔法の授業がなかった。それもまた、まずはクラスに馴染めるようにとの配慮だろう。
……馴染んでいないけど。
頭の出来も、彼らとは違う。
花壇の前のベンチに座ると、私と似た境遇のシドニー・ラキュラスも校舎から出てくるのが見えた。
やっぱり、話しかけた方がいいよね……。
私の病名が確定してから、誰も彼もがよそよそしくなった。両親も友達も、みんな変わってしまった。ここでもそれは同じだ。誰もが似たような視線を私に向ける。自分が普通ではなくなったのだと思わされる。
――行き過ぎた気遣いと同情に晒されるのだ。
傷つけないように普通に接してあげないと。不便そうなら助けてあげないと。可哀想な、アメリア。
もう――……ウンザリだ。
シドニー・ラキュラスは、生まれながらの失魔症だと自己紹介で語っていた。黒髪に黒い瞳。幸も薄そうな雰囲気だ。
――同じ境遇の人に話しかけるのも、傷のなめ合いのようで気分が悪い。
でも、先送りにするわけにはいかない。今後のためにも、同じ病をもつ人と仲は深めた方がいいに決まっている。
意を決し、私は彼の元へ小走りで近づいた。
「シドニーくん」
「アメリアさん……だよね」
「うん。少し話したくて」
「いいよ、僕もそうした方がいいと思ってた」
お互い失魔症だから。
言葉にはしなくても、同じことを考えているのが分かる。
「シドニーくんは、生まれた時からずっとなんだよね」
「そうだよ」
「私は、つい最近になって完全に魔法を扱えなくなったところ」
「そっか。それは――」
なんて言うのだろう。
辛かったねって?
でも私は、魔法を使える楽しさを知っている。経験したことが一度もない人よりは幸せなのかもしれない。でも……失う苦しさも知っている。最初からない方がよかったとも、何度も思った。
「僕とは違うね」
彼は穏やかに、ふっと目を細めた。その様子に、つい笑ってしまう。
なーんだ、それだけか。
同情も憐れみもない。
ただ事実だけ。
事実だけだ。
それが、こんなにも心地いいなんて。
「両親が色々と調べたんだ。この病気の人が卒業後、どんな暮らしをしているか」
「え?」
「でも、ほとんどの情報が隠されていて分からない」
そんなはずはない。案内された学校に入り、卒業すれば国が斡旋する仕事に就き、手当を受けながら暮らしていく。そう聞いている。
「若い人は、わずかながらにいる。こうやって君と出会えたようにね」
「う……うん」
「そして、この大学に集められる。ほとんどいないけどね」
「そうだよね。私たちの学年は二人だけらしいし」
自宅から通えない人は寮に入る。私もそうだ。それにしては……確かに患者の総数に対して少なすぎる気はしていた。
「問題は、そのあとだ」
「そのあと?」
「どんな暮らしをしているか、調べても分からない」
「え。でも、就職は斡旋されるんだよね。いろいろ書いてあったような……確か、社会適応技術開発局とか。魔力感知に引っかからないから、古代遺跡探索班に入って活躍している人のインタビューも載ってたし」
「全部、国の管理下にある職場だ。記事を書いた人にも会えない」
「どういうこと……」
怖くなってきた。
私は、たった一年で社会的弱者であることに慣れてしまったのだろうか。国がなんとかしてくれる、だって私は庇護されるべき弱者になったんだからと。
もし国が、自分の味方ではなかったのだとしたら……。
「発禁本を調べていた時期があってさ」
「発禁?」
「ああ。国によって発売が禁止された本だ」
「うん」
彼はこれから何を言うのだろうと、胸の鼓動が収まらない。
「気になって手に入れたものがある」
「えっと、どんな本?」
「タイトルは『トンデモ魔術百科』だ」
「うわぁ……」
「もしも黒魔術が使えたらこんなことができるかも、というようなお遊びの本だよ。ほとんどは悪ふざけみたいな内容だった」
「……おまじないブックみたいな?」
「そうだね。装丁もそんな感じだ」
幼い少女向けのおまじないブックは本屋さんでも見かける。鈴に水色のリボンを結んで呪文を唱えれば運命の人に出会えるかも、とかその程度だ。
「仲間内で笑いながら読むような、おかしな内容だったよ。教科書を頭に乗せて脳に直接ページを書き込む魔法や、先生の授業速度をスローにする魔法とかね」
「……知りたい」
特に前者は今、もっとも欲している。
「一般の魔法書とは違うよ。『そんな気になれる』だけのまじないだ。黒魔術なんて存在しないことになっているからね。あくまでジョークとして、盛り上がるためのものだ」
「残念」
「でも最後にさ、書かれてたんだ。ここまでの魔法で満足できないあなたにってさ」
「……本物の黒魔術が?」
「だから発禁になったんだと思う。それまでの内容と温度差が酷い」
違う意味でドキドキしてきた。
思えば失魔症になってから、そのことばかりに気を取られていたかもしれない。周りの人が私に過剰な気遣いをしていたのは、私のまとう空気がそうさせていただけかもしれない。
――私も、そんな本を読んで誰かと笑いたい。
馬鹿みたいだねなんて言いながら頭に教科書を乗せたい。先生の授業をスローにする呪文を唱えるふりなんかをして、こっそりと友達と目を合わせてクスクスしたい。
最後にとんでもない内容が書かれているのなら、誰かと一緒に驚いてみたい。
「アメリアさんはさ――」
「呼び捨てでいいよ、シドニーくん」
私の瞳は今、キラキラと輝いていると思う。
「ははっ。僕と仲よくするかは、考えた方がいいよ?」
そんな言葉すら嬉しく感じてしまう。
だってシドニーくん、すっごく悪戯っぽい顔をしているもん。本当にいいのかと私を試すような――挑発するような顔。わくわくするような顔。
「なんで?」
「僕は今、その本以上のトンデモ陰謀論を話そうとしているんだ」
「陰謀論?」
「そう」
「それが、黒魔術と関係があるの?」
「僕はそう思うんだよ。ちなみにこの本の著者は行方不明だ」
彼が、そっと鞄から本を取り出した。きっと、今のこの時間のために持ってきたのだろう。
タイトルは『トンデモ魔術百科』だ。
「魔力を失ったんじゃない。別の才能に変わっただけだ。僕は生まれつき、君は後天的に。失った魔力の代わりに得たものがある」
――これが嘘でもいいと思った。
だって彼は、私に輝きを見せてくれたから。たったこれだけの会話で、止まっていた時間が動き始めたから。楽しかった日々を取り戻せた気がしたから。
「私は、何を得たの?」
彼の言葉の全てを信じたくなった。
風が彼の髪をそっと撫でる。陽光を浴びて艶めく黒髪はどこか影を帯びていて、甘い罪と背徳の気配がする。
「国はぬるま湯に浸かりすぎているよ。今まで何もなかったから、これからもないに違いないと思っている。この発禁本が僕の手元にあるのが、何よりの証拠だ」
この胸の高鳴りはなんだろう。
「この本の最後に書いてある黒魔術、試してみる? 僕は成功したよ」
このうえない誘惑。
今まで感じたことのない、強い憧憬。
「君も、きっと成功する」
この出会いが私に何をもたらすのか――、まだ分からない。





