1-12 アイと少女の、名もなき旅
これは遥かな未来、もしくは過去の世界の、どこかのおはなし
——舞台は、名を失い、荒廃した砂の惑星。
この惑星は砂嵐が吹き荒れ、昼は灼熱、夜は極寒という厳しい環境のなか、文明の残骸が至る所に残されていた。
そんな世界で、一人の名もなき少女が"約束の地"と心から抜け落ちた"ナニカ"を探すため、A.I.《アイ》と共に果てしない旅を続ける物語。
「もう、どれぐらい歩いた……?」
小さく、そう呟いた少女の足取りは砂に足を取られたのか、長旅による足の疲労からなのか、鉛のように重い。また、彼女が一歩踏み出すたびに砂が靴の中に入り込んでざらついて不快だ。
それでも限界を超えた彼女を、ぽっかりと心に空いた"ナニカ"の喪失感と、まだ見ぬ約束の地への希望だけが突き動かしていた。
「ううぅ……!!」
呻き声を上げながらも、小さな砂丘に登り切った彼女は辺り一面を見渡す。その赤い瞳には、鉄分を含んだ赤褐色の砂漠や雷鳴が飛び交う砂嵐が映っていた。また、砂が喉に詰まったかのような喉の渇きを、水筒を取り出して潤いを取り戻していく。
「ぷはぁ……ふぅ」
少女が小さな手をかざして見つめた先には、砂に埋もれた錆びついた戦艦や廃工場群の大きな影があった。
「アイ、現在の状況は?」
『現在の気温は摂氏32.4度、湿度は14.6%です。環境は非常に良好。ただし、夜まで残り2.4サイクル。また、目標地点までは約1526.5キロメートルです』
アイと呼ばれた浮遊型アシストAIが正確な数値を素早く答える。ここは砂の世、極寒の夜をやり過ごすためには暖を取れる場所に移動しなければならない。
『周辺3キロメートル以内のホログラフィック・マップを展開いたします』
そんな彼女の考えを察してくれたのか、アイは機械特有の無機質な音声と共に、ホログラフィック・マップを空中に投影する。
「この廃村でいいか」
今夜は、近くの廃村で過ごすことにした。
◆
「はあ……やっと着いた。」
周囲に張り巡らされた立ち入り禁止の規制線を潜り抜けた先の廃村には、簡易的な住居やシェルターなどが点在していた。
「古いね」
『住居は鉄や銅、アルミ、カーボンといった材質でできているようです』
そのような材質で建造されていることは、古代の大戦で民間人が疎開するために作られた事を示していた。
「お邪魔しまーす」
その中でも、私たちは比較的損傷の激しくない住居へと入る。
『主よ、私は充電に入ります。何かあればお呼びください』
「じゃ、私は風呂にはいってくるね」
家のバッテリーから盗電し始めたアイを尻目に、私は外套と砂まみれの密着型ボディスーツを脱ぎ捨て、湯を張った浴槽に勢いよく飛び込む。
「くぁ〜」
湯船に浸かるという行為は、とても素晴らしい文化だ。旅の疲れと汚れを洗い流し、熱い湯は私の華奢な身体の芯をじんわりと温めていく。この瞬間だけは、私の心に空いた穴が満たされた気がした。
「ふぅ、いい湯だった」
ふと、1つの写真立てが長い白髪を束ねた風呂上がり姿の私の目に入った。
「……これ、家族写真ってやつ?」
そこには、幸せそうな顔をした男女二人と子どもが写っていた。彼らが幸せそうな理由は私には分からない。家族や仲間を自分も作れば、いつか分かるのだろうか。
「この子の名前かな?」
もう一枚の娘の写真の裏には『I love Angela』と掠れた筆跡が残されていた。
「名前、か」
私には最初から名前なんてなかった。名付け親もいないのだから当然だが、どこか寂しさを感じる。
ベッドに寝転がって顔を見上げれば、宝石のような星の煌めきが天蓋の窓から見える。また、双つの小さな月が遥か上空で交錯する。この光景を知らない誰かも見ているかもしれない。と思うと浪漫がある。
「はあ〜」
凍える夜の吐息を吐きながら、この瞬間だけは私の砂漠のように乾いた心が満たされる気がした。
そして、その感覚は私を夢の世界へと誘う。
◆
この世界では本来なら見ることのできない雪によって、大地が覆われていた。初めは驚いたが、何度も訪れれば慣れるまで時間はかからなかった。
そんな雪景色のなか、世界樹のような大木の下にはひとりの少女がいた。旅へと私を誘った張本人だが、謎も多い。ただ、私は彼女のことを昔から知ってるような気がした。
「それって、リンゴ?」
彼女の小さな手には赤い果実が一つ。初めて見たが、リンゴだと確信した。それと同時に欲求が湧いてくる。
欲しい、すごく欲しい。そう願った私はいつの間にか欲望に駆られて走り出していた。
「待って!」
リンゴを持った少女は私から逃げる。
「……約束の地への道は遠い。だけど、諦めないで。私は待ってるから」
彼女はそう言って消えていった。"約束の地"へと行けば、あのリンゴも食べられるのだろうか。
◆
「……ンゴ!」
「主よ、おはようございます」
朝、目が覚めるとアイが体の上にいた。のしかかっているせいか、胸の動悸が激しい。
「ん、おはよう……ねぇ、どいて?」
『すいません。今どきますね』
起き上がった私は、目を擦りながらベッドのそばに散らかり落ちていた古びた服を持ち上げる。
「アイ、この服は何?」
『これらは昔の人々が着用していた流行服です。オススメのコーディネートを提案することも可能です』
旧人類の文化を理解することが、心の安寧に繋がるかもしれない。何事もまずは形からだ。
「じゃあ着てみようかな」
『了解致しました』
アイが見守るなか、スーツの上から中古服を着ていく。
「……うーん」
鏡を見て自分の姿を確認してみると、ジャケットにジーパン、ロングブーツと……この砂だらけの世界では似合わない格好だ。試しに着てみたのはいいものの、こんなものを昔の人は好んでいたというのが、俄かには信じがたかった。
「アイはどう思う?」
残念ながら、今の私にとって"ファッション"という文化は退屈で、この格好について何も感想が出ない。
『昔の人間らしいコーディネートを記録から算出しました。なので、人間らしいコーディ……』
「違う。似合ってるかどうかを聞いてるの」
会話のキャッチボールができていない。どうも、アイは気持ちを察してくれる時とそうじゃない時がある。
『すいません。私はアシスタントAIですので、感情や意見を持つことはありませんが、主の……』
「アイ、もういいよ……」
長い付き合いだが、アイも所詮は人工知能だ。助言はできるが、私の廃れた心を理解することも、満たしてくれることもない。そう考えると、少し苛立ち?を覚える。
……しかし、この孤独な旅路で話し相手でいることは唯一の救いだろうか。
『……ただ』
「ただ?」
『今の主はいい笑顔をしています』
「はぁ?」
しかし、アイの言葉とは裏腹に笑顔とはほど遠い顔のはずだ。そんなことは自分でも分かっている。だが、アイは嘘をついた。なぜ?
「何っ?!」
『家の外に生体反応を確認しました。注意してください』
地響きを感知したアイからの突然の警告と同時に私は警戒態勢に入り、瞬時にスーツと武装を同期させる。
「こっちか!」
そうして家を飛び出た私たちの目の前に砂地を割って現れたのは、旅の行手を阻む機械獣だった。赤砂で錆びついた機械部品が四足歩行の生物から生えている姿は、まさに異形の怪物。
『グルルルル……』
機械獣は私の未来のように不明瞭な忌々しい存在。威嚇の声を上げているが、何やら苦しんでいるようにも見えた。
『主よ、機械獣は危険です。迅速な排除を具申します』
本能で生きているだけあって、その点だけならアイよりも人間の本質に近い。
「ハ、イ、除、スル」
珍しく喋れる機械獣だが、どうやら話し合う気はないらしい。戦闘態勢に入っている。
「……そう、満たしてくれないのね」
『グラァ!!』
私はその強靭な身体で雷撃のような飛び蹴りを、すれ違い様に砂埃と共に喰らわせる。その巨体の動きは非常に鈍く、私の動きに反応できていない。
ガン!
『グルァ?!』
レールガンを背中から取り出した私は照準を合わせ、よろめいた機械獣の胸のリアクター付近に素早く弾丸を叩き込み、弾丸が砂漠の静寂を切り裂いて不快な音が響く。
『グラァァ……ンゼラ……』
最期にそう呟いて、機械獣はあっけなく活動を停止したが、その顔は穏やかそうだ。
「アイ、データ解析して」
『機械獣の記憶データを保存、及び解析します』
機械獣と今まで何度も戦闘してきたが、毎度記憶デバイスが破損していたので、その記憶を覗けるというのは興味深い。
『細部は不完全ですが解析に成功しました。機械獣の記憶データを投影します』
投影された映像、その機械獣……いや、かつての人間の記憶は凄惨たるものだった。
太古代の大戦が総力戦となり、戦禍から逃れるために疎開した、とある一家。どんなに辛くても家族がいるから支え合って頑張ってこれた。
しかし、政府によるサイボーグ化の強要、それにより家族は離れ離れに……そして彼は政府に反逆罪で逮捕、人体実験により人を襲う機械獣へと成り果てた。
『この機械獣は、部品の経年劣化で動かないはずです』
しかし、彼を幾星霜もの間、突き動かしていたものがある。それは、娘への愛である。
「愛って、なに?」
愛とは、そこまで人を動かすものなのだろうか?疑問に思った私はアイに尋ねる。
『アイは主により名付け……』
「違う」
『失礼しました。愛とは、特定の相手を大切に思う気持ちや相手の幸せを願う心のことです。また、見返りを求めずに相手に尽くすことは一種の愛情表現です』
この日、私は初めて愛という概念を知った。そして、同時に壮大で、儚いということも。もしかしたら、私の求めるナニカとは愛のことかもしれない。それに夢の少女も気がかりだ。だが——
「ここで考えても仕方ない。進まなきゃ何も始まらないんだ」
『お供致します』
私は後悔しないためにも、愛への疑問と約束の地への希望を胸に一歩を踏み出した。





