1-11 戦場から夫の鎧が帰ってきました
私は夫の顔を覚えていない。
貴族同士のお家の事情で結婚した彼は、ろくに会う機会もないまま戦争に行ってしまい、終戦後、物言わぬ鎧となって帰ってきた。
「おかえりなさい……と言っていいのかしら」
鎧を前に呆然とする私を老執事は諌めた。
「奥様、そんな事を言っている場合ですか! この場はこの爺に任せて、お下がりください。危険です」
「そう?」
ーー
出征時の全身甲冑姿の夫しか覚えていない奥様が、戦後の混乱期に片田舎の領地を守りつつ、愛する夫を取り戻すまでの異世界恋愛ハートフル(ときどき)コメディ。
……シリアスっぽく始まりますが主要キャラは概ねトンチキです。
[キーワード]
女主人公 西洋 中世 魔法 人外 ハッピーエンド 特注全身甲冑 黒騎士 白い結婚未亡人(仮) 忠義の老執事は武闘派 旦那様は顔出ません 両片思い溺愛
バロールの夜は風が咽び泣く。
私は執事の老グレンに少しだけ暖炉に火を足すように告げた。
敗戦後の混乱で、ない物づくしの昨今だが、幸い我がバロール領は田舎なので、まだ薪に困るところまでは困窮していない。
私は暖炉の前で夜着の前をかきあわせ、マントルピースの上を見上げた。飾られているのは馬上槍試合に臨む勇ましい騎士の絵だ。
「主寝室に飾るにしては硬いわよね」
「旦那様がこの絵はここにと」
「そう……」
寒々しい主寝室をちっとも暖めない絵に背を向けて寝台に向かう。私は結婚以来、夫が使ったことのない冷たい寝台に横たわった。
薄情な話だが、私は夫の顔を覚えていない。
家の都合で決められた結婚だった。ろくに会う機会もなく、神聖帝国との開戦前に形ばかりの結婚式をあげたきり、彼は王国の栄えある騎士として戦地に向かった。彼がピカピカの全身甲冑に身を固めマントを翻して騎乗した姿はよく覚えている。出陣式のその姿は、それはもう格好が良かった。私はあれが私の旦那様だと誇らしく見送った。
だがその後、片田舎にある彼の領館で留守を守る私のもとに、彼は帰ってこなかった。
寝台から暖炉を見る。
薪の灯以外は闇に沈んでいる。マントルピースの上の騎士もシルエットがわかる程度で、馬の足元だけが揺らめく灯りに照らされている。
「(実物がもう一度見たかったわ)」
目を閉じると、重々しい蹄の音が聞こえた気がした……いや、聞こえた!
「奥様」
「肩掛けを」
「こちらでお待ちください」
正面玄関前の車寄せに敷いた砂利を踏みしめる足音は、急使の早馬や馬車のそれではない。武装した軍馬単騎の足音だ。
私はショールを羽織り、車寄せが見下ろせる側の窓辺に向かった。
ルオボ川の白い石を敷いた馬車寄せをこちらに向かってくるのは黒々した騎馬。
私は急いで内履きを履き替え、火かき棒を手に、テラス側の外階段からエントランスに向かった。
私に気付いたのか、月下の騎士はかなり手前で馬の歩みを止めた。騎士の甲冑も馬の装甲も黒い。フルフェイスの兜の面覆いを下ろしたその姿は、影そのもののようだった。
黒い騎士はぎこちなく馬から降りた。騎士の手が手綱を離すと、大きな軍馬の姿がすうっと闇に溶けて消える。……現世のものではあり得ない。
「この先はわが領。招かれざるもの、越ゆること能わず」
私は火かき棒で足元に一本線を引き、魔除けの定型句を告げた。
黒い騎士はギクリと身じろいで、こちらを向いたまま無言で動きを止めた。
「彼方より来し者よ。なにゆえ今宵、この館を訪うか。この地に災いもたらさんとするならば、この地を与る者の使命として汝を討ち果たさん」
風が止んだ夜の静寂に声を張る。こういう時の定型句は、ショールと火かき棒ではまったくサマにならないが、そこは気迫で有耶無耶にする。こういうのはハッタリが大事だ。
「汝、幽世の者ならば疾く去れ。害意なき者なら兜脱ぎその名と用件を告げよ」
黒い鎧の騎士は、しばらく躊躇するように、わずかに手甲をカタカタ鳴らしていたが、意を決したようにゆっくりと両手を兜に持っていった。
騎士は漆黒の兜を両手で持ち上げて脱ぎ、小脇に抱えた。
私は息を呑んだ。
騎士には顔がなかった。
本来、頭部があるべきところには黒い靄がうっすら立ち上っているだけで実体は何もなかったのだ。
その時、私の背後から老グレンの声が上がった。
「悪霊退散ーーーっ!!」
馬上槍試合のランスが轟音をあげて私の脇を抜け、黒い騎士の甲冑の胸に激突した。黒騎士はもんどり打って倒れ、兜は吹っ飛んでコロコロ転がった。
「奥様、ご無事ですか」
「……グレン」
「お部屋でお待ちくださいと申し上げましたものを。このグレン、肝が冷えましたぞ。無茶も程々にしてください」
「お前の言う、程々の無茶ってどの程度なのかわからないわ」
私はショールを肩に掛け直し、ほつれた髪を直しながら、倒れた甲冑に近づいた。
ばったり倒れた首のない甲冑は、火かき棒でつついてもピクリとも動かない。私は間近でしげしげと鎧を見た。
「これ。うちの旦那様の鎧ね」
一目見たときからシルエットでそうではないかと思っていたが間違いない。色が真っ黒になっているだけだ。
「おかえりなさい……と言っていいのかしら」
「奥様、そんな事を言っている場合ですか!」
たしかに不適切な気はする。
「この場はこの爺に任せて、お下がりください。危険です」
「そう?」
どっちが危険かは微妙だなと思いつつグレンに火かき棒を渡す。
「どうする気なの?」
「まずは網と金釘で拘束します」
グレンは駆けつけた他の使用人に命じて、大鎧を地面に貼り付けにする用意をし始めた。
「アレがもし旦那様だったら……かわいそうね」
「アレが坊っちゃんなら、このような無様を晒すマネをしたからには、この程度の目にはあっていただかないと」
「そういう家風なの?」
「そのようにお育ていたしました」
「アレが旦那様でも、そうじゃなくても、かわいそうになってきたわ」
「詮議は明朝に。奥様はお休みください」
寝室に戻る前に最後に振り返ったとき、黒い騎士の兜は麻袋に突っ込まれていた。
§§§
「では、十中八九、旦那様の霊体か、少なくとも旦那様の記憶がある魔物が、うちの鎧に宿っているのね?」
最後の一線の違いがわからないのが致命的だが、私達は一応、謎の黒騎士と平和的に意思疎通ができるようになった。
馬小屋の前では、羽ペンを持った使用人が、テーブルに置かれた兜に向かって何か質問しては、巻紙にチェックを入れている。
「”はい”と”いいえ”で答えられる設問を用意して、経緯の確認をしています」
兜の面覆いが1回カタリと鳴れば「はい」、2回カタカタで「いいえ」、3回カタカタカタは「わからない」のルールで会話しているそうだ。
「声は出せなくとも物は見聞きできるようです」
どうなっているのかは本人にも不明らしい。
「ねぇ、グレン。旦那様は幼少期から死霊術の素養があったとか、そういう話ってある?」
「我が家はあいにく武門一辺倒でして」
「そうね。地方貴族でそれはないわよね……」
私は卓上に鎮座した兜の近くに行った。明るいところで見るとはっきりわかる。色こそ黒いがこれは旦那様の兜だ。この翼の装飾は私が名工に造らせた。
私は兜を両手で持ち上げて、目のスロットを覗き込んだ。
「貴方ですの?」
……カタリ(はい)。
「帰ってきてくださったのね」
カタリ(はい)。
「よくぞ、お戻りくださいました……と言うには、貴方のご様子が怪しすぎる自覚はありますね」
……。
「返事は?」
カタリ(はい)。
「諸々を考慮し、事情が判明するまでの暫定処置として、貴方を身元不明の騎士として扱います。我が家への滞在を許可しますが、当主は引き続き私が代行します。異議はありますか?」
カタカタ(いいえ)。
「わが領内では私の指示に従うと誓いますか?」
カタリ(はい)。
私は重い兜を胸に抱えて、一つ大きく息をついた。これから大変だ。
「奥様、よろしいのですか」
「今のところ邪霊の気配は感じません。おそらくは呪いの類でしょう。王都の実家に文献を送らせます」
「承知いたしました」
「”はい”と”いいえ”だけでは埒が明かないわ。鎧には手があるのだから筆談させます。本体はどこ?」
拘束されている鎧の本体に頭部を返そうとしていると、領境からの早馬が駆け込んできた。
「ギリ峠に勇者を名乗る男が現れました! 少数ですが神聖帝国軍の兵を率いています」
「勇者? こんな田舎に!?」
"勇者"というのは神聖帝国が略奪許可を与えた暴漢だ。戦争中はもとより、終戦後も王国各地で狼藉の限りを尽くしていた。少人数で無計画にうろつき、略奪した金が尽きるとまた別の地を襲うというたちの悪い合法賊徒である。
「奥様、領兵は現在、ルオボ川の工事で北部に出ております」
「館の守兵を出します。予備役を召集して」
「承知しました。ジジイばかりですが皆、喜んで馳せ参じるでしょう」
「バロールの皆の意気、頼もしく思います。で、グレン……その槍はいつの間に」
「そこな鎧めが奥様に狼藉を働くとも限りませぬゆえ」
「……渡しなさい。あなたは兵の手配を」
「奥様は邸内でお待ちください。なあに、勇者ごときすぐに追い払えましょうぞ」
老グレンは、ご安心くださいと胸に手を当てた。
「魔導王国王家の青い血を引く有角の公女ヴィクトリア様にお輿入れいただいたときから、我らバロールの者は一人残らず貴女様に心酔しております。神聖帝国の奴ばらには指一本触れさせません」
「勇者は人品卑しいが腕は立つと聞きます。侮らぬよう」
「帰って来ぬと夜ごと奥様を嘆かせるマヌケは、うちの坊っちゃん一人で十分です」
グレンが一礼したとき、私の後ろで金属が軋む音がした。
網が破れ、金釘が弾け飛ぶ。
立ち上がった黒騎士は、己の兜をカチリとはめた。彼が手を挙げると、虚空から漆黒の装甲をつけた馬が現れた。騎士が騎乗すると同時に、その背に黒いマントがぶわりと広がる。
「戦ってくださるのですか」
カチリと面頬が一度鳴った。
私は手にした槍を差し出した。
「ならばバロールの荒鷲の鎧を纏いし者よ! この地守り給え」
槍を取り高々と掲げた騎士のマントに金色の紋章が浮かび上がる。
冬のバロールの強い風が、ゴウとすべてを揺らした。





