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回想録 ― 約束

「ね、ルルリア、あの万年筆を貸して」


「どうぞ」ルルリアは振り返り、後ろにいる天人に万年筆を渡した。


「ルルリア、喉が渇いた。あの水差しを持ってきて」


「……はい」


「あと、ルルリア、この本をあの棚に置いてくれない?」


高まる苛立ちに震えながら、ルルリアは拳を握りしめた。手に持った万年筆は抗議するように軋み、机の上の紙はみるみるうちに皺くちゃになっていった。


「……レルーシェイ、そんなの自分でやれるでしょう?」


彼女は眉をひそめながら文句を言った。


同盟軍の賑やかな兵舎の真ん中に設営されたテントの中で、二人の天人が睨み合っていた。


「ん?でも、今はちょっと忙しいんだ」


レルーシェイはゆっくりとした口調で答えた。

片手に小説、もう片手に湯気の立つティーカップを持ち、間に合わせの枕と心地よい毛布に寄りかかっていた。どう見ても「忙しい」からはほど遠い。


プチ音が聞こえる。

彼女の内部で沸き起こる苛立ちは沸点に達し、ストーブの上で泡をたてて踊る鍋のように噴き出した。


忙しい?ごろごろしているだけでしょう?と彼女はあきれた。


「いい加減にして。キミの依頼でこの辺りの悪魔どもを倒した後の書類処理で忙しいだよ!なのに、どうして先から邪魔してるわけ?!シャアアア!」


ルルリアは高位聖騎士として、前線での活動内容を教会上層部に定期的に綿密に報告する義務がある。

それだけでなく、部下から提出された書類を精査、自身の報告書と合わせて一枚の報告書にまとめなければならない。

机の上に積み重なる膨大な書類を見るだけでも憂鬱なのに、レルーシェイから関係のない、取るに足らない依頼をされ続け、勤務時間を延ばされるのも苦痛だった。


「もっと他にやるべきことあるでしょう? ステラ族の生活環境を改善するとか」


ルルリアは、まるで任務を怠っているかのような同胞の天人に目を細めた。

魔族の侵攻で村のほぼ全てが壊滅した後、ステラ族は極めて悲惨な状況に陥っていた。


レルーシェイは手を振った。


「いやいや。それは時間の無駄だ」


「なんで? キミはステラ族を助けるために生まれた存在だよね」


それぞれの天人は明確な使命を帯びて任命されている。

ルルリアの場合、魔族に対処するために生まれ。

一方、レルーシャイはステラー族と世界の住人との間の橋渡しを担う存在だった。


ステラ族は悪魔族と同じく異次元から来た種族であったが、自然と調和して共存する平和主義的な存在である。

しかし、その特異な生物学的性質と精神性ゆえに、この世界の住人と意思疎通を図る能力が全くなく、世界から隔離されていた。

最終的に、光の女神ソラリスは彼らの窮状に同情し、彼らを助けるためにレルーシャイを創造した。


「そうだね、だけど、悪魔者たちと戦う力を持つキミや、強力な浄化力を持つ他の兄弟たちとは違い、僕は心を読む力しか持っていない」


レルーシェイはこめかみをたたいて、ぎこちなく笑みを浮かべた。そして肩をすくめた。


「...何をしても、ステラ族の運命は変わらない。彼らは間違いなく滅亡に向かっている」


「それでも、何とか彼らに避難所を提供するために他の国々と交渉することはできないの?」


レルーシェイのソウルレガリアはテレパシーだ。

彼はあらゆる言語で意思疎通を図ることができる。

もはや使われていない言語、発音不可能な言語、あるいは下等な生物しか知られていない言語でさえも。

また、他者に同情を喚起し、共感を植え付けることもできる。

これは本質的には一種の精神操作だった。交渉術は彼の得意技であり、当然ながら、どんなに頑固な人物や権威者でさえ、彼なら容易に説得できただろう。


「それはなんの意味?ステラ族は自然の力を借りて増殖することで生き延びてきた。本来なら、生息地を悪魔どもに荒地に変えられた瞬間、彼らに未来はないんだ。

そもそも彼らは適応力の低さゆえに自らの世界を追われた、弱い生き物。

僕にできる事は、ただただ彼らが最期を迎え、可能な限り平和な時を過ごせるよう見守るだけだ。全てが終わる時、僕も存在を消滅させるだろうね」


レルシェイの切ない決意を聞き、ルルリアは視線を落とした。


「……自殺するの?」


「ん?おや?あれれ、もしかして僕がいないと寂しい?」


レルーシェイはニヤリと笑った。赤いルビーの瞳はいたずらっぽくキラキラと輝いていた。


「寂しいって?」


「つまり、僕がいないといや?」


「……わからない。感情はよく分からない。これから教えていただけませんか?」


ルルリアは唇を噛んだ。心の底では、自分が不可能なことを願っていることを自覚していた。

役割を終えた天人は、往々にして自らの存在を終わらせる。

・・・使命を終えた時、そこに残る空虚は、果たしてボクは他の同族と同じ道を歩むするだろうか?


分からない。


それでも、レルーシェイと過ごした時間は温かさに満ちていた。真冬に火の灯る暖炉のように、ポカポカで心地よかった。


レルシェイは瞬きをし、袖に伸びる陶器のような白い手を見つめた。

長い沈黙の後、ルルリアは顔を上げた。

自分のわがままで恥知らずなお願いに彼を怒らせたのではないかと心配したが、彼の表情は読み取れなかった。


まるで永遠のように感じられるほど長い間、無言で彼女をじーと見つめた。

そして、そっと彼女の頭に手を置き、鳥の巣のようにるまで髪をぐちゃぐちゃにかきあげた。


「わかった。もうしばらく付き合う。そんな醜い顔を見せておくわけにはいかないでしょう? せっかく可愛い顔をしているんだしね、ちゃんと大切にしなよ、ルルリア」


くすくす笑いながら手を振り、テントを出て行った。


下品な言い方だが、それは間違いなく彼の真剣な誓いの言葉だ。


大切な約束。


ルルリアはわずかに笑みを浮かべた。



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