第21話 真相への道
――誰もいない深夜の研究フロア。
照明は落とされ、わずかな非常灯とモニターの光が室内を照らしている。壁際の空調が微かに唸りを上げ、奥の処理室からは液体の循環音が断続的に響いてくる。
ナギは静かに扉を閉め、施錠する。呼吸を殺すように深く息を吐き、白衣の袖をまくり上げた。この時間帯、上層管理者の端末には自動ログインが維持されたままの箇所がある。それは不正アクセスとされる行為だが、ナギは既に一度、軽い閲覧で咎められた過去があった。
だが、今夜は違う。彼の中に芽生えたのは確信に近い疑念だった。
「彼は何をしているのかしら。ユイさん、このフロアのことは知ってる?」
「研究職の方が働いている区画のはずです。写真でしか見たことはないですね。主に各地のゲートの保守を行っている場所です」
ユイ曰く三人が立っているフロアは外勤の職員達が普段出入りすることのない場所だという。「監視塔」と呼ばれた施設でセクターの監視業務に勤めていたナギであっってもそれは変わらないらしい──ユイは手元の端末で自社のフロアマップと現在地を照合しながら説明を続ける。
「あら、相当大切な場所じゃないの。一人で乗り込むなんて……その方が驚きね」
「警備員とかどうしたんだろう。バレたら一発クビじゃない?」
「私が思うに……ナギさんは侵入に際して何らかの技術を使用したのだと思います。一般人であっても他のセクターの移動技術などを使うことが出来れば警備を潜り抜けることは可能でしょう」
──倫理観がずれているのだろうか。
エセルもヨウも彼が不正アクセスを行っていること以上に「企業の重要なフロア」に一従業員が侵入する手立てについて興味を惹かれていた。目の前で端末を操作しているナギの後ろ姿は軽装で衣服に乱れもない……細身な青年だが、見た目の割に隠密行動に長けている人物だったのだろうか?
ヨウの疑問を塗り替えるようにユイはナギが他セクターの技術を使用した可能性を示唆した。確かにここまで何度か移動だけでも複数の技術が存在するとは聞かされていたが……エセルに言わせれば「迷彩に似た技術」もあるという。
要は技術と言えども一概に何を使用したとは考えられないということであった。
「彼、何だか落ち着いてるのね。顔に出ないタイプなのかしら。汗かいてないわよ。伝わってくる感情には焦りがあるんだけどねえ」
エセルはナギの隣に立ち、モニターに照らされる横顔を眺めていた。
……ナギが端末のスリープを解除すると、管理ログのウィンドウが立ち上がる。
「ゲート通過履歴」「映像記録」「再現座標」──選択肢は膨大だったが、ナギが開いたのは通過後の行動観察報告だった。名前を入力する……レイ・ユウキ。
ローディングバーが進む。心拍が早まるのを感じながらナギは表示された報告書を追った。ページを捲る。次へ、次へ。
友人のレイが通過したゲートの時刻、再出現の秒単位のズレ。神経系統モニターの異常な数値変動。冷却装置が作動した形跡。そして帰還後に行われた短時間の心理評価。その記録の欄に一つだけ目を引く単語があった。
同一個体と認定──つまり戻ってきたのは「レイ本人」であると診断されている。
「いや……違う」
ナギは呟く。指先が震える。
あの晩、レイが見せた奇妙な沈黙。好きだった音楽にも反応せず思い出話をしても無表情で「忘れた」と言った。それまで毎晩のように夢中になっていたネットゲームもまるで存在を知らないかのように「そんなのやってたっけ」と言っていた。
彼がゲートを通る度に何かを忘れていく。趣味が変わったというだけで片づけていい問題なのだろうか。パーツが一つ一つ剥がれ、異なるパーツに付け替えられているようだ──それは果たして以前のレイと同一と言えるのか?
だがここには「異常なし」の文字が並ぶだけだ。
「異常なし?冗談だろう……」
目を走らせ続けるナギの視界に別の名前が映る。
「イオ・ハーヴェス」「クラリス・ノルド」「ハン・ミレ」……。
自身が知っている名前もあった。いずれも新代表の就任後にゲートを通った者達だ。そのいくつかに「要観察」や「感情反応の欠如」といった端末上の警告フラグが添えられていた。
「やっぱり……」
ナギの唇から震える声が漏れる。
画面の一角に映像ログの項目があった。ナギはそっとカーソルを動かす。
──再生。無音の映像が流れる。レイがゲートの前に立っている。
何かを呟き、軽く首を振る。
やがてゲートが起動し、虹彩のように歪んだ空間がゆっくりと開く。
その瞬間だった。映像の中のレイが──ふと立ち止まり、振り返った。
その顔にナギは恐怖を見た。焦点の合わない瞳。引きつった口元。何かを見てしまった者の顔。次の瞬間、彼はゲートに足を踏み入れた。光に包まれて消えた。
「……何かを見たんだ。やっぱり。短期間に忘れるわけがない。俺に話したことは嘘じゃなかったんだな」
モニターの明かりの中で、ナギの顔色が蒼白に染まる。
何が向こう側にあったのか。
何故、戻ってきた彼は変わってしまったのか。
何故、誰もそれを気に留めようとしないのか。
レイは自分の他にもゲートの「使用体験」を話していた。自分以外の人間も彼の体験を半信半疑で聴いていた。気に留めない者もいれば、恐怖する者もいた……当然、調査任務も一人で行ったわけではない。レイだけがこのような体験をしているはずではないはずだ。
ログの最後の欄には誰かの注記があった。その文字にナギの心臓が跳ねる。
「よくできた複製体。反応なし。今後も送信対象として使用可……ってどういうことかしら。移動技術の『核』に当たるところ?」
──複製体?使用?反応なし?
ナギはその場に立ち尽くしていた。ログを読み上げたのはエセルだった。茫然としたまま生気の無い顔でモニターを眺めるナギの隣、三人は顔を見合わせる。
……目の前にあるのは単なる数字の羅列や文書ではない。
「そうですね。言葉のまま、そのまま受け止めるとすればゲートの中で入れ替わりが起きているのかもしれません……でもそんなことあるはずが……」
「そういうのってバレたら倒産どころじゃ済まなくない?」
ユイの表情はナギと全く同じものであった。
まだ確証は持てないが、ゲートを潜る前と後で人が変わっている。
そして本人として扱われている……エセルは落ち着いていたが、同じ所属のユイは他人事では済まないのだろう。警備職員として直接、企業の暗部に触れてきた身だからだろうか。エセルはこうした「真実」にある程度耐性を持っている様子である。
──静かな吐息を漏らしながらナギは三人の前で端末のログを閉じた。
「あ、彼どこか行くみたいよ。今度も連れて行ってくれるといいけど」
閉じる間際、ウィンドウの下に見えたのは新たな計画の概要だった──唇がかすかに震える。もう時間がない。自分の番が来る前に動かなければならない。
フロアを後にするナギを追うようにして、空間には再び歪みが生じ始めていた。




