前編
夢を見た。
父と母、そして妹との四人で、平凡だけど幸せに暮らす夢を。
けれどすぐに夢だと気付く。
そんな幸せは存在しないからだ。
気付いた時、この手は汚れていた。
拭っても、拭っても、消えはしない罪で汚れていた。
だから、俺は――
◇◇◇
ちらちらと灰色の細かな雪が舞う中、数多くの露店が立ち並ぶ通りを、仕事を終えたばかりの青年、ラズリは歩いていた。
目深にかぶられた黒いフードからは時折、青みがかった銀色の瞳と長い睫が覗く。
「そこの兄さん! どうだい、安くしとくよ」
露店の中の一つを通りかかった時、品のない声が響いた。腹の出た小汚い親父が唾を飛ばしながら、店の前を歩くラズリに話しかけたのだ。
親父は、にやにやと黄色い歯を剥き出しながら、歩き続けるラズリの隣にくっつき、後をついて来る。
「見てくだけでもいいからさあ。いいのが入ったんだ……」
しかしラズリは目もくれず、歩き続ける。そんな彼を強引に引き止めようとして、親父がラズリの纏うマントをぐいと引っ張ると、フードがはらりと落ちた。
そこから現れた青年の顔を見て、親父は驚愕する。なぜなら、現れたのは真っ白な髪の毛、色素の薄い肌、そして青みがかった銀色の瞳だったからだ。 そんなラズリの姿を見た途端、親父はマントを掴んだ手を勢い良く離し、その拍子に後ろに尻餅をついた。
「うわっ……何だ、『ハク』かよ。『ハク』がこんな所うろついてるんじゃねえっ」
親父は振り向かずにに通り過ぎていったラズリを口汚く罵った。
白髪をなびかせながら歩くラズリは、そんな親父に見向きもしなかった。また、親父も、彼の姿を罵るばかりで、それに気付く事はなかった。
とは言え、仕方のないことだったと言えた。それは彼の纏う黒いマントに、すっぽりと覆われていたのだから。
ラズリがたった今終えてきた仕事の痕跡に、その親父が気付ける理由などなかった。
灰色の雪が降る世界――大地は年中灰色の雪に覆われ、その内側を見せることはない。
灰色の雪が降る所以を、世界に住む人々は知らない。雪が汚染された大気中を舞う間に、汚染物質が付着してしまうから、という一説が有力な説ではあるが、その真偽も定かではなかった。
それ程昔から、灰色の雪は絶えず降り続け、現在に至っているのだ。
灰色の世界には、ある病が蔓延していた。
死に至るその病の名は『白化病』。発症に至る原因は、世界に降り続ける灰色の雪のせいだと言われ、雪に含まれた成分が人体に悪影響を与えているという。
発病すればまず髪の毛や体中の色素が薄くなり、徐々に五感を失ってゆく。そしてやがては死に至る、そんな病だった。
人から人へ感染する事はない。しかし人々は死に至るこの病を酷く恐れ、発病した者を差別し、その真っ白な姿の異様さから『ハク』と呼んで蔑んでいた。
そして、そんな世界だからこそなのか、この世界には不思議な存在があった。
皆一様な姿で生まれ落ち、産声の代わりに、美しい唄声を発しながら生を受ける、そんな赤子の存在が。
そうして生を受けた者は『唄い人』と呼ばれ、奏でる旋律は世界に蔓延する病の進行速度を緩め、さらに健康な人間に対しては、病への耐性をつけるという不思議な効果があった。
しかし、そんな彼らの寿命は短かった。
その存在自体が特異であるが故に、心ない人間は、『唄い人』をある時はさらい、ある時は親元から金品で引き取り、更なる高額で必要とする人間と取引をして従属させる、そのような事が日常茶飯事として行われていた。
もちろん、そんな『唄い人』を救済する施設も存在してはいるが、その目をかいくぐり、違法を犯す人間は少なくない。
青年ラズリは、そんな暗黒の世界に生きていた。
「ただいま」
ラズリは白いドーム状の建物へ入るなり声を上げた。そのドーム状の建築物はこの世界に住む人々の一般的な住居であった。
降り続ける灰色の雪と、身に染みる寒さを防ぐ為にに適した素材で造られた数多くのドームが、この世界には多く存在している。
その時、ラズリの声に反応した何かの影が揺れた。
「ルビィ」
ラズリが呼ぶ。すると、ドームの奥から出てきたのは少女だ。
金の絹糸の様な髪をなびかせ、くりっとした海の様に深い青色の瞳を青年に向けて、少女は微笑んでいる。肌はきめ細かく、ラズリほどではないが白く透き通っていて、着ている藍色のワンピースがよく栄えていた。
ラズリはかぶっていたフードを脱ぐと、そんな少女を見て小さく微笑んだ。
「いい子にしてたか?」
とたとたと軽やかな足取りで、ルビィと呼ばれた少女はラズリに走り寄り、飛び付くと、彼の顔を見上げ得意気に答えた。
「うんっ、ルビィいい子にしてたよ。外にも出てないし、唄だって唄ってない」
しかし、自らをルビィと呼ぶ可憐な少女の口から出た声は、その姿に似つかわしくないものだった。満面の笑みをラズリに向けたルビィの声は、まるで老人のように嗄れていたのだ。
ラズリは、それを意に介する様子もなく、まるで甘える猫の様にすり寄るルビィの頭を撫で頷いた。そしてその手を引き、飯にしよう、と言い歩き出した。
「眠くなってきたぁ……」
食事が終わって一時間程すると、ルビィは目をこすり、欠伸をし始めた。
それは毎日変わらない事で、その後寝室へ連れて行き、少女が眠るまで脇で添い寝をしてやる事も、毎日のラズリの日課だった。そうでなければルビィは眠れなかったし、彼もまた、少女の安らかな寝顔を見なければ安心できなかったのだ。
寝室の窓からは青白い月明かりが、すやすやと眠るルビィの顔を照らしている。月の浮かぶ灰色の空を眺めながら、ラズリは物思いにふけっていた。
あと、どれくらい生きられるのだろう。自分が死んだら、ルビィはどうなるのだろう、と――。
ラズリは白化病患者だった。
自分がそうだと気付いたのは、もう数年前になる。兆候など無かったように思う。
毎日見る自分の姿の微細な変化に気付ける者は少ない。まして家族のいないラズリが、早期に気付ける術など無かった。
そして、そうだと気付いた時には既に遅かったのだ。
ラズリは、少し伸びすぎている後ろ髪をつまみ目の前に持ち上げた。
細い髪の毛は真っ白で、昔の面影など無い。かつては、髪の毛も目の色も、夜の闇の様に深い黒色だった。肌の色だって、健康という言葉がよく似合う褐色だった。
それが今はどうだろう。ラズリの今の姿は、残された命の時間が僅かであることを表しているのだ。
ラズリは嘆息し、隣で寝息をたてるルビィの髪を撫でた。
安らかな寝顔は、初めて出会った時からは想像できない。ましてや、笑顔などあの時は一瞬たりとも浮かべたりしなかった、とラズリは思い返していた。
青年が少女と出会ったのは一年前。その場所は見せ物小屋であり、青年の『仕事』の場所でもあった。
少女は『唄い人』として生まれた為に人買いに買われ、見せ物小屋で鎖に繋がれていた。
希少価値のある存在として見せ物とされていたその場所に、青年が通りかかったのは、決して偶然ではなかった。
青年の仕事は、『唄い人』とは切り離せないものなのだから。
◆
「ひぃっ、た、助けてくれ!」
耳障りな人間以下のクズの悲鳴。
何度同じような命乞いを聞き、何度耳障りな断末魔を聞いたことか。
同じ人間を人間として扱えない、世界に湧くほどにいるクズどもは、一掃しなければ。
「……お前は、同じ言葉を言った『唄い人』に、何をした」
傍らに横たわるのは、金の髪と白い肌を持つ少女の遺体。
その細い首には自由を奪う首輪がはめられ、体には暴行されたかのような傷跡が無数にある。虚ろに開かれた青い瞳には、涙が残っていた。
「や、やめ…………っ」
刃を振り下ろす。
迷いも、情けも、後悔もない。
それが、贖罪。
それが、俺の――。
◆
無音のドームで目を覚ました時、ラズリはそれが何度も見続けている夢であることに気付いた。
酷く汗をかいている。
ラズリは小さく嘆息した。この夢を見た朝は、いつもこうなのだ。
額にじっとりと浮かぶ汗を拭い、窓の外を見た。曇天であることを差し引いても、空はまだ暗い。
しかしラズリは起き上がり靴をはくと、上着すら羽織らずに、灰色の世界へと繰り出した。
灰色の新雪に足跡を残しながら、ラズリは進んでゆく。薄手の服から伝わる体温で、雪は瞬時に溶けてしまっていたが、顔色ひとつ変えない。
やがて後にしたドームが小さく見える位置まで来て、やっと立ち止まり俯いた。
「はは……」
漏れたのは自嘲するような、渇いた笑い。濡れた服が張り付いた肩が細かく震えていた。
「……寒さすら感じなくなるのか……」
ぽつりと呟く。
しんしんと降り積もる雪に余計な音が吸い込まれ、その声は暗がりの中、大きな存在感を持っていた。
眠るのが怖くなるのだという話を、聞いたことがあった。毎日症状が進むこの病を患う人間は、眠り次の日を迎えることを酷く恐れるのだ、と。
ラズリはその意味がやっと分かったような気がした。
人間の五感を失ってゆく死の病。やがて何も感じなくなってしまうのだ。喜びも、悲しみも、温もりも――。
「……イヤだな」
ラズリは雪をその手に掴んだ。
何も、感じなかった。
冷たさも、その感触も、溶けて水滴となり流れ落ちていった感覚も、何も。
「……は……」
もう一度、渇いた笑い声を上げ、目を閉じる。瞼の裏に浮かぶのは、ちょうど一年前の出来事。
あの日、いつものように『仕事』をこなしていたラズリの目の前にいたのは、名前すら持たない少女だった。
見せ物小屋で鎖に繋がれたその少女への扱いは、酷いものだった。
ろくに食事を与えられていなかったであろう体は、あばらが浮き上がり、粗末な服に包まれていた。そして無理矢理唄わされ続けていたのか、その少女の声は、老人の様に嗄れていたのだ。
血だまりに沈むかつての自分の所有者を、虚ろな眼で見据えながら、それでも唄うのを止めなかった少女。
そっくりだ、とラズリは思った。
いや、似ているのは当然なのだ。その少女は、同じ存在なのだから。
けれどラズリにとってその少女は他の『唄い人』と比べて、何かが違った。そしてその何かが、彼が失ったたった一人の妹の姿を彷彿とさせた。
ラズリは名もなき『唄い人』の少女を連れ帰り、名を与えた。
『ルビィ』――それはラズリの妹の名前。妹と同じ『唄い人』である少女に与えたその名を呼ぶことで、ラズリは自分の犯した罪を忘れないでいられた。
「……もう潮時かもしれないな」
小さくそう呟いて、ラズリは天を仰いだ。
その『仕事』は、贖罪だった。自らが犯した罪を知った時から、一生をかけてあがなわなければいけないと、己に課していた。『仕事』を終えるのは自分が死ぬ時だ、とそう思っていた。
しかし、『唄い人』である少女と出会いちょうど一年。守るべき存在を得たラズリにとって、彼の続ける『仕事』は危険すぎた。
己に課した贖罪。
しかし、その為にもしルビィを傷つけることになどなってしまったら、それはなんの意味も為さない。
「次で……最後にしよう」
その場所には、前々から目は付けていた。悪い噂を耳にしていたのだ。そしていつも通り確認に向かい、やはりそれが間違いないことをラズリは確信していた。
ラズリは踵を返した。
冷たく張り付く服を気にも止めず、ざくざくと雪道を歩き出す。
戻るのではない。最後の『仕事』場と選んだ場所へ向かう為だ。
「最後に……あそこを潰す」
まだ夜も明けないうち、その親父は店の支度に勤しんでいた。それは違法の元、しかし確かに必要とされていた店だった。
今日は大入りを見込めるはずなのだ。 いつも通り匿名ではあったが、親父の元には一通の封書が届いていた。それは、親父の店の違法な商品を取引する為の手段だ。
稀に見る高額だった。
決して親父がその値を提示したわけではない。よほど取引相手がその商品を物入りとしているか、金持ちの道楽であるかのどちらかだと、親父は踏んでいた。
どちらにしろ懐が温かくなることには変わりない。親父は口元が弛むのを我慢出来なかった。
封書に示されていた時間が近付いてきた時、親父は物音に気付いた。
ざく、ざく、と雪を踏みしめる音がするほうに視線を向ける。うっすらと影が見えた。
ほんのわずかな違和感を親父は覚えた。
酷く、華奢だ。
大抵は雪や寒さを防ぐ防寒具で、ある程度肉付きは良くなっている筈なのだが、この店に向かおうとするその影にはそれが見られない。
しかし、親父はそんな違和感もすぐに忘れ、両手を擦りながら華奢な影を迎え入れようとした。もうすぐ大金が手に入るのだ。
「いらっしゃいませ、あなたがこの封書の、か……た――」
意気揚々と封書をかざした親父の語尾が詰まる。そのままその手からひらりと封書が落ちた。
「お、お前は……」
親父が一歩後ずさる。
しかし向かう影の歩調のリズムは変わらない。ざく、ざく、と一定のスピードで親父に近付いてくる。
「ち、近付くな……っ」
親父が二歩後ずさる。
それと同時に激しく後悔をしていた。
うますぎる話だと思っていたのだ。まさか、まさか自分の身にこんな事が降り懸かるとは。
――いや、よく考えれば、これこそまさに典型的な成り行きであったのかもしれない。
知っていた筈だった。 『唄い人』を扱った商売をする人間が何者かに殺害される事件が、ここ数年絶えずに起きていた事を。
その犯人の姿は誰にも知られていなかった。違法の取引ゆえ、立ち会うのはごく少数の人間だけであったのに加えて、立ち会った人間は例外なく全員殺害されていたからだ。
ただ、同業者が次々と殺されている、と風の噂だけが流れていた。
「……お前が、俺達の同業者を殺してまわっていたのか」
おののく親父の目の前に夜の闇を裂き現れたのは、酷く儚げな青年。この寒さに似つかわしくない薄着で、白い息を吐きながら青年は足を止めた。
「お前は……今朝の『ハク』だろ」
青年――ラズリは、ふっ、と笑った。それは肯定の笑みだった。
しかしただ一度会っただけで覚えているとは、と思う。同時にやはりこの姿は酷く目立つ、とも。
「な、何が目的だ? 金か? 『唄い人』か? それならタダでいい……金はいらない」
ラズリが一歩進む。親父は一歩後ずさる。
「なぁ、た、助けてくれよぉ。こんな事でもしねえと、食いっぱぐれちまうんだよ……」
不敵な笑みを浮かべたラズリは、何も喋らない。目の前にいる醜い人間とは言葉を交わす気にもならなかった。
ふと親父の向こうに視線を送る。
開け放たれた店内に檻が見えた。その中に捕らわれているのが『唄い人』である事を、彼は知っている。
ラズリは笑みを消し、ぎりと歯軋りをした。
「なぁ、見逃してくれよぉ」
恐れおののくあまり、親父は足をもつらせ尻餅をついた。酷く青ざめ、絞り出した様な震える声で懇願する。
「…………」
そんな親父を冷ややかな目で、ラズリは見下ろした。
「俺だって、こんな商売やっちゃいけねえ事だって分かってるさ。で、でもなぁ、必要とされてるんだ……分かるだろ」
『ハク』であるお前なら、と言おうとして、止めた。いや、続ける事が出来なかった。
ラズリはいつ間にか鋭く光る刃を手にしていた。その滑らかな切っ先を目にしながら、ラズリの鋭い眼光に射抜かれた親父は震え上がった。
「こ……殺さないで、くれよ……」
もうその言葉は聞き飽きたと言わんばかりに大きく嘆息し、ラズリは腕を振り上げる。
そして言葉も発せずに、その腕を振り下ろした。
何の躊躇も、迷いもなく――。
灰色の雪に、鮮血が飛び散った。
辺りには鉄錆の様な臭いが充満している。しかしラズリは既にそれを感じる事は出来ない。それは彼にとって悲しい事実ではあったが、この『仕事』の時だけは、感謝出来る事でもあった。
ラズリは血塗れの刃を雪で拭うと、これ見よがしに開け放たれた店内へと向かった。 そこにある酷く小さな檻。そしてその中に閉じ込められていた『唄い人』の少女。膝を抱え埋めていた顔を上げたその大きな瞳には、涙が浮かんでいた。小さく細い肩が、か細く震えている。
「もう、大丈夫」
出来るだけ優しい笑みを浮かべて言うと、ラズリは刃を逆手に持ち、檻を閉ざす南京錠を強引に壊しにかかった。甲高い金属音に『唄い人』の少女の肩が、びくりと跳ねる。
錠はいとも簡単に壊れ、錆び付いた音と共にゆっくりと開いた。
かがんだままラズリは檻の中に向け手を伸ばす。少女は青い瞳に不安げな色を浮かべ、困惑していた。
「おいで」
大丈夫、ともう一度優しく言う。
その声に安堵したのか、少女はゆらりと立ち上がった――小さな檻で立ち上がれるくらいの背丈の、まだ年端もいかない『唄い人』。少女はそのままかけより、ラズリに抱きついた。
そんな少女の頭を撫でながら、ラズリは胸が痛むのを感じた。それは病のせいではない。
間近で見る少女の体には、沢山の傷が刻まれていた。どれほどの痛みと、恐怖と、孤独をこの小さな身で受け止めていたのだろう。ただ『唄い人』として生まれてしまったというだけで。
「……ごめんな」
小さな頭を撫でながら、呟く。
少女は何も聞こえなかったのか、ラズリの体にしがみついたままずっと顔を埋めていた。
「ごめんな」
もう一度そう呟いて、ラズリは灰色の天を仰いだ。
それは届くはずなどない言葉だった。それでも言わずにはいられなかった。胸の内で、根を生やしたかのように消えることのない後悔を、少しでも紛らわせたくて。
ただの自己満足だと分かっていても、それでも――。




